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刈谷城・緒川城(愛知県) 古戦場ゆかりの城めぐり 桶狭間の戦い⑥(最終回) 

こんにちは
先週からやや肌寒い感じで、過ごしやすい気候が続いています。梅雨の前のこんな時期は城めぐりに最適なのですが、色々用事があってなかなかお出かけできません(T_T)


さて、古戦場ゆかりの城めぐり 桶狭間の戦い最終回は刈谷城と緒川城をご紹介します。


一旦戦となると戦場周辺の小領主は何れかの陣営に与するか態度を明らかにしたと思われますが、桶狭間の戦い直前、刈谷城を守る水野信元は織田方に仕えたようです。
戦いの結果、今川義元は討たれましたが、敗走する今川方にあって、鳴海城の城将・岡部元信は抵抗を続け、岡部元信は織田信長と交渉し、今川義元の首級と引き換えに開城し、駿河に戻る途上、この刈谷城を攻め水野信元の弟信近は討たれ戦死したとされています。


この岡部元信って武将凄いですね、敗軍にあって敵方と交渉、帰り道に城を攻めて帰還するなんぞは、なかなかできることではないと思います。案の定、その後の生涯を調べてみると最後まで勇猛かつ忠義を持つ武将であったようです。最期は高天神城から自ら先頭に立ち徳川軍に討って出たとされています、時に70才に近い歳だったとのこと。



続いて緒川城は、徳川家康の母於大の出生の城として知られ、於大はその後刈谷城へ移り、徳川家康の父・松平広忠に嫁いでいます。
16世紀初頭の三河一帯は今川の勢力下にあり、水野氏、松平氏共に今川氏に仕え、互いに婚姻を繰り返していたようですが、水野忠政の亡き後、家督を継いだ信元は当時三河へ勢力を伸ばしてきた織田方に仕えたため、於大は離縁され、刈谷城に戻ったとされています。その結果、桶狭間の戦いでは、水野氏、松平氏は敵味方で戦うことになります。


①D70_0859①現在刈谷城一帯は亀城公園として整備されています。本丸と二の丸を分かつ水堀。この辺りは昔、三河湾が内陸部に入り込み、天然の沼を利用したものと考えられています。


②D70_0863②朱色の橋が亀城公園のアクセントとなっています。


③D70_0833③本丸南東隅あたり。正徳期の絵図では辰巳櫓が描かれています。また写真左側には表門がありました。


④D70_0851④石碑


⑤D70_0842⑤本丸東側。絵図では石垣の上に多聞櫓や土塀が描かれていますが今では土塁が残るのみ。


⑥D70_0895⑥本丸東側を北東から眺めてみました。この辺りは折れのある裏門がありましたが現状ではよくわかりません。


⑦D70_0897⑦写真⑥の右側の土塁。


⑧D70_0891⑧土塁を本丸内から撮影。本丸北側と西側の土塁は刈谷城の見どころの一つと思いますのでお見逃しなく。


⑨D70_0892⑨本丸東側ののり面。往時は立派な多聞櫓が建っていたはず。


⑩D70_0886⑩本丸の様子。


⑪D70_0873⑪本丸西側土塁を切っています。後世の改変でしょうか。


⑫D70_0874⑫戌亥櫓のあった北西隅には十朋亭(じっぽうてい)が建てられており、現在では休憩所や集会所として使われています。


⑬D70_0900⑬刈谷城の模型。模型上の本丸から中央の二の丸あたりまでが現在亀城公園となっていますが、その下の三の丸は市街地に埋もれてしまっています。藩主は三の丸にお住まいだったようです。


⑭D70_0928⑭大手門跡。三の丸に立派な桝形の大手門があったようですが、今は見る影もありません。


⑮D70_0813⑮続いて、刈谷城を離れ於大出生の城、緒川城を訪れてみました。刈谷城から歩いて30分ぐらいでしょうか。立派な石碑に案内板とその後ろに土塁が残されています。


⑯D70_0791⑯現在は古城公園となっていて、遺構はわずかに残るこの土塁だけのようです。でも、この土塁が残されただけでも奇跡ではないかと思います。あと、赤線のように土塁が続いていたようですが、この土塁の高さはすごいです。この土塁の高さでこの城が尋常ではないことがわかると思います。


⑰D70_0792⑰於大出生の碑



縄張り図(緒川城)
nawabari_ogawa1_D70_0807.jpg※現地案内版より転載させて頂きました。



場 所



今回、城やその時代に生きた人々を戦で輪切りにしてみましたが、予想外に面白い出来事や生き様にぶつかり本当に歴史の面白さは尽きないと思いました。
次回は「小牧・長久手の戦い」を考えていますが、何が待っているのやら楽しみです。

最後までご覧頂きましてありがとうございました。



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大智庵城(長崎県佐世保市) 

こんにちは

今回は長崎県佐世保市にある大智庵城をご紹介します。


大智庵城は、今福、相浦、生月などの地を領していた松浦宗家を称する相神浦松浦氏が相浦の武辺城から移り居城とした城です。

相神浦松浦氏は平戸に拠点を持つ平戸松浦氏と争いを繰り広げており、明応7年(1498年)12月平戸松浦弘定に攻められ落城、城主・政(まさし)は戦死、その子は人質として平戸へ送られたと伝えられています。

大智庵城は、複数の出丸があるものの基本的に単郭の城で、その曲輪も狭いため、この城だけでは長期の籠城は難しいと思われます。北側の相浦川と現在一部宅地になっている周辺の丘陵地と一体で守ろうとしたのでしょうか。


現在は公園として整備されており、その一角に松浦丹後守政の墓が建てられています。



①D70_9178①登城口です。近くには長命寺さんがあります。



③D70_9183②木々に囲まれた登城道を登ります。


④D70_9189③登城道を登りきると本丸跡に着きます。往時は複数の出丸があったようですが現在残されている遺構は本丸のみのようです。


④D70_9194④松浦丹後守政の墓


⑤D70_9193⑤説明板


⑥D70_9195⑥石碑


⑦D70_9216⑦縄張り図によるとこの本丸を取り巻くように空堀が造られていたようなので、確認してみました。


⑧D70_9219⑧空堀ではなく帯曲輪が取り巻いているようです。空堀は危ないので公園化にあたって埋められたのでしょうか?残念です。


⑨D70_9221⑨本丸北側は段々になっているようです。


⑩D70_9211⑩ところどころ階段状の境界部に石積がみられます。


⑪D70_9230⑪このあたりは長い石積が見られます。


⑫D70_9223⑫左端が本丸側でその右に帯曲輪があって、更にその右は落ち込んでいるように見えます。もしかして、このあたりは昔空堀で今は埋まっているのかもしれません。


⑬D70_9226⑬段々になっていますが、なんとなく段々畑に見えなくもないです。


⑭D70_9225⑭苔むした石積




縄張り図
daichian_nawabari1.jpg※現地案内版より転載させて頂きました。



場 所

最後までご覧いただきましてありがとうございます。



桶狭間古戦場跡(愛知県)古戦場ゆかりの城をゆく~桶狭間の戦い⑤~  

こんにちは
古戦場ゆかりの城めぐり 桶狭間の戦い⑤は、桶狭間古戦場とその周辺ををご紹介します。


桶狭間古戦場の史跡は、名古屋市緑区にある「桶狭間古戦場公園」と豊明市にある「桶狭間古戦場伝説地」があります。数万の軍勢で戦う合戦は、「点」で戦うのではなく、「面」で戦うのでしょうから、双方の場所で戦いが行われたのではないでしょうか。今回は、前者の「桶狭間古戦場公園」とその周辺の史跡をご紹介します。


01_P8273032.jpg①最寄り駅は、名鉄・有松駅。僕は古い町並みを散策するのも好きなので、国の重要伝統的建造物群保存地区に選定されており、旧東海道の宿場町であった有松の街並みを散策しつつ、桶狭間へ向かうことにしました。


02_P8273034.jpg②有松駅の観光案内板。見どころはやはり、桶狭間の古戦場と有松の街並み。


03_P8273043.jpg③古い建物が残されています。写真右上の建物と建物の仕切りと小さな屋根は「うだつ」でしょうか。防火の為と富の象徴とも聞いています。


04_P8273049.jpg④こちらは蔵でしょうか。地域によって蔵も様々なのですが、蔵の下部の装飾や窓の小屋根の支えの意匠に目が留まります。


05_P8273063.jpg⑤桶狭間の交差点。写真では緩やかな登りになっています。桶狭間の戦いがあった場所は丘陵地と聞いていたので、もしかして織田の軍勢がこの辺りを進軍したのかと思うと気分が高まっていきます♪


06_P8273094.jpg桶狭間古戦場公園。有松駅から歩いて25分くらいかかりました。



07_P8273096.jpg⑦公園の石碑


08_P8273099.jpg⑧左が織田信長公、右が今川義元公。


09_P8273085x.jpg⑨この公園、桶狭間の戦いのゆかりの場所をジオラマ楽しむ事ができます。※クリックすると多少拡大します。


10_P8273077.jpg⑩「今川義元戦死之地」碑


11_P8273071.jpg⑪昭和初期と昭和40年代頃のおけはざま山の貴重な写真。おけはざま山は今川軍の本陣がおかれていた場所です。今は宅地になっていてあまり雰囲気は感じられませんが、この写真で丘陵地の地形の感じをを捉えることができます。※クリックすると多少拡大します。


12_P8273175xx.jpg⑫今川義元本陣跡です。新しい石碑が建てられていました。


13_P8273179.jpg⑬ただ、石碑は写真の通り民家の玄関先にあります。桶狭間の戦いは有名な戦なので、しょっちゅう僕みたいな歴史好きが来ると思うと、かなり迷惑ではないかと心配です。

この写真で分かるように、丘陵地の山腹に本陣が置かれています。見張りはいるとは思いますが、丘陵地の山頂を越えた見えない場所から攻められると危険な感じがします。


14_P8273111.jpg⑭続いて、瀬名陣所跡。今川義元の家臣、瀬名氏俊隊約200名が先発隊として着陣し、村木(東浦)、追分(大府)、大高、鳴海方面の監視と、大将今川義元が19日に昼食する時の本陣を設営をしたとされています。(現地案内板より)


15_P8273151.jpg⑮「戦評の松」。今川義元の家臣、瀬名氏俊が、かつてここにあった松の根本に武将を集め、戦いの評議をしたと伝えられている場所です。(現地案内版より)


16_P8273182.jpg⑯「釜ヶ谷」。信長隊が今川隊への突撃の機を窺った所です。信長隊が中島砦から密かにこの釜ヶ谷に着いた時は激しい雷雨で、この付近に潜み雷雨の上がるのを見て、おけはざま山に陣取る今川本体の右翼を急襲したとされています。(現地案内板より)


17_P8273122.jpg⑰長福寺。今川義元が討死したのち、今川義元に仕える林阿弥が、今川方武将の首実験を命じられた場所とされています。(長福寺略縁起より)


18_P8273134.jpg⑱弁天池。桶狭間の戦いで血のついた刀が濯がれた場所とされています。また、この界隈は14世紀中ごろ、南朝の落人が隠れ住んだとされ、桶狭間発祥の地とされています。泉に浮かぶ桶が廻る様子から「おけはざま」(桶廻間)の地名が生まれたとする説があるようです。(現地案内板より)



場 所

最後までご覧いただきましてありがとうございましたm(_ _)m

東光寺山城(長崎県北松浦郡) 

こんにちは
最近暑くなったり、雨のおかげで涼しくなったりで、体調崩しそうですが、皆さんご注意ください。


先週末の日曜日は長崎県西海市へ父の用事でお出かけしてきました。西彼半島の外海をドライブしてきましたが、所々橙色のビワが沢山生っていました。この時期無人販売所では、ビワを一袋100円や200円ぐらいで販売していて、大量に買ってきました(^_^)
義母から頂いたカステラと一緒にパチリ

IMG_20190528_200539.jpg


さて、今回は佐世保市からほど近い長崎県北松浦郡佐々町にある東光寺山城をご紹介しま
す。


1563年(永禄6年)8月。平戸の松浦隆信は2,000余騎を率いて相浦飯盛城を守る松浦親を攻略するため、平戸白虎山城から出陣し、この東光寺山城に本陣を置いたとされています。その際、戦に備え曲輪や空堀が造られたようです。
東光寺山城は東光寺の背後にある南北に長い丘陵に築かれた城で、最も大きい北側丘陵地に本丸、その南側の尾根先に二の丸、更に南側の独立した丘陵地に出丸を配し、本丸西側に現在の東光寺に居館を建てていたようです。
居館も切り立った高台にあり、居館の左右も山に守られ、居館そのものも攻めにくい立地にあります。


01_DSC_1521.jpg01 東光寺山城の西側からの撮影。寺、住宅の裏山が城跡です。


02_D70_8874.jpg02 石段を登り上がると東光寺。その裏山(医王山)が東光寺山城です。東光寺には昔居館があったとされています。


03_D70_8869.jpg03 石段の右側には8台ぐらい停められる駐車場があり、今回停めさせて頂きました。ありがとうございました!


04_D70_8876.jpg04 案内板


05_D70_8887.jpg05 石段のそばにはなかなか立派な石積があります。


06_D70_8890.jpg06 すごい高さと角度のある石垣。この高さと傾斜ではちょっと登るのは難しいです。石垣の上は昔居館だったようですが、まず居館を落とすことさえ難しいのでは。


07_D70_8901.jpg07 東光寺境内


08_D70_8905.jpg08 東光寺境内からの眺め。登ってきた階段と写真右上に鳥屋城が望めます。


09_D70_8924.jpg09 東光寺に向かって左側へ回り込み、医王山へ登っていきます。途中の眺めです。


10_D70_8934.jpg10 山の中に分け入っていくと、早速、虎口らしき遺構を発見!


11_D70_8941.jpg11 本丸北側は一段高くなった場所に帯曲輪を回しています。


12_D70_8958.jpg12 本丸北側の堀切。明瞭に残っていますが、小規模ですね。


13_D70_8965.jpg13 空堀


14_D70_8975.jpg14 本丸には貯水タンクがあります。


15_D70_8999.jpg15 尾根続きになっている本丸と二の丸の鞍部。堀切っています。


16_D70_9002.jpg16 堀切の西側はそのまま竪堀になっています。ただ縄張り図とは異なり竪堀が二本あるように見えます。


17_D70_9005.jpg17 堀切を別の角度から


18_D70_9015.jpg18 二の丸の堀切。縄張り図にも描かれていますが、確かに二の丸の曲輪上に堀切があります。面白い。


19_D70_9023.jpg19 写真15~17の西側の竪堀の様子。


20_D70_9027.jpg20 同じく西側の竪堀の様子。


21_D70_9033.jpg21 最後に 東光寺境内から眺めた鳥屋城



縄張り図
toukoujiy_nawabari1.jpg 
長崎県中近世城館跡分布調査報告書Ⅱ(詳説編)より転載させて頂きました。


場 所

最後までご覧いただきましてありがとうございました。


丸根砦・鷲津砦(愛知県)古戦場ゆかりの城をゆく~桶狭間の戦い④~ 

こんにちは

昨日会社の近くのコンビニで久しぶりにHi-Softを購入。もちろん半分はおまけの名城カードが目的なんですが、未だにカードが変わってないですね。そろそろ第二弾を投入して欲しいと思っている今日この頃です。

さて、古戦場ゆかりの城めぐり 桶狭間の戦い④は、丸根砦、鷲津砦をご紹介します。
織田領内に今川方が進出する中、桶狭間の戦いの前年、今川方の守る大高城や鳴海城をけん制するため、織田方にて築城された砦が丸根、鷲津、善照寺、中島、丹下の各砦とされています。

丸根砦、鷲津砦は大高城に睨みをきかすべく大高城東側の高台に造られています。善照寺、中島、丹下の各砦と比較して、住宅地にあるにも関わらず遺構がまずまず見られる稀有なおすすめの砦です。有名な桶狭間の戦いに関わる砦でなければとっくの昔にまっ平になっていたかもしれません。


01_P8273205.jpg01 駅前に設置されている案内板です。この地図で大高城と丸根・鷲津砦の位置関係がわかると思います。現在は埋め立てられていますが、当時北から北西方向は海か湿地帯になっていたようなので、この二つの砦で今川方の大高城を封じ込めることができたようです。


02_P8273287.jpg02 まずは丸根砦を散策します。大高城から歩いてくると行先表示板が見えてきます。(場所はGoogleMapをご覧下さい)この辺りから坂を上ります。


03_P8273290.jpg03 ここを登ると主郭直下に到達します。写真奥に案内板が見えます。ある古地図によると写真右側の住宅がある辺りには馬出が書かれていて、丸根砦は高台にあるため下から見上げるような馬出が造られていたのかもしれません。


04_P8273291.jpg04 案内板


05_P8273292.jpg05 案内板に向かって左手には立派な堀切があります。丸根砦は文字通り丸い形をしていますが、丸い形に添うように堀切が切られている感じです。



06_P8273294.jpg06 案内板付近は主郭を取り巻いている帯曲輪にあたります。では、主郭に登りましょう。


07_P8273298.jpg07 主郭はそれ程広くありません。


08_P8273300.jpg08 丸根砦の戦で亡くなられた方々を慰霊する石碑が建てられています。桶狭間の戦いの前哨戦では、この丸根砦を守っていた佐久間盛重が今川方の松平元康から攻められ討ち死にしたとされています。


09_P8273303.jpg09 南側の帯曲輪には石碑が建てられています。


10_P8273312.jpg10 写真05の堀切を別のところから撮影してみました。


11_P8273325.jpg11 丸根砦を後にして鷲津砦へ。住宅街の中を歩くと丸根砦から10分ぐらいで着きます。


12_P8273326.jpg12 鷲津砦公園。ちょっとした遊具があります。この辺りは鷲津砦の中でも高い場所にあります。


13_P8273327.jpg13 案内板


14_P8273337.jpg14 林の中に入っていくと石碑があります。


15_P8273344.jpg15 付近を散策すると土塁らしき遺構を発見。住宅街の真ん中によくぞ残っていました(涙)


16_P8273345.jpg16 大高駅方面を降りていくと空堀らしき遺構がありました。すごい。


17_P8273353.jpg17 麓に降りてきました。


18_P8273356.jpg18 麓も公園になっています。



場 所

最後までご覧頂きましてありがとうございました。

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しんこう

Author:しんこう
しんこうといいます。長崎市在住の50歳過ぎのオヤジです。かみさんと子供2人の4人家族です。よろしくお願いいたします。趣味の山登り、城や地元長崎の様子などについて発信させて頂きます。この屋根瓦は倉敷を訪れた際に、色の組み合わせが綺麗だなぁと思って撮影したものです。

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