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久山城(長崎県諫早市) 

こんにちは!


先日は長崎で今冬2回目の積雪がありましたが、今日は一転して穏やかな陽気です。どこか行きたいのですが今日はマイカーが使えず自宅でまったりしときます。


さて、昨年末の12月に約五年ぶりに長崎県諫早市にある久山城に登城してきました。久山城は標高95m独立丘陵の城山山頂に築かれ、今では公園となっているものの、五年前は藪に囲まれて遺構も十分に鑑賞できませんでしたが、久しぶりに登城してみるときれいに草木が払われ中腹部もきれいになっていました。

久山城は、日本城郭大系や長崎県中近世城館跡分布調査報告書などにも詳しい記載がなく、出自はよくわかっていないものの、この一帯を治めていた喜々津氏の城ではないかと思われます。


01D34_0370_20201213_151917.jpg01 南側から眺めた久山城。中央にJR長崎本線。


02D34_0365_20201213_151612.jpg02 久山城南側山麓には久山年神社が祀られており、久山城へはここから登山道が通じています。


03D72_9483_20201213_130705.jpg03 途中ベンチと行先表示板もあります。


04D72_9482_20201213_130312.jpg04  登山道わきに石積を発見


05D72_9013_20201213_112851.jpg05 主郭に近づいてきました。左側は主郭南側の切岸


06D72_9455_20201213_125749.jpg06 主郭南端虎口付近


07D72_9024_20201213_113322.jpg07 主郭帯曲輪から南西方面の眺め


08D72_9460_20201213_125830.jpg08 主郭北西下あたりの切岸と武者走り


09D72_9275_20201213_122549.jpg09 続いて主郭北から東側に残されている石積を鑑賞します


10D72_9281_20201213_122650.jpg10 五年前は主郭周辺が藪に覆われこの石積を見逃していましたが、見ごたえのある石積が残されていました。


11D72_9393_20201213_124351.jpg11 比較的こぶりな石で主郭側面を補強しています。


12D72_9441_20201213_125359.jpg12 一段下がったところからの主郭北側の様子


13D72_9404_20201213_124458.jpg13 続いて主郭帯曲輪の様子を鑑賞


14D72_9417_20201213_124708.jpg14 主郭北側には帯曲輪に繋がるやや広めの腰曲輪が残されています。


15D72_9421_20201213_124747.jpg15 主郭から見下ろした主郭北側の腰曲輪


16D72_9425_20201213_124825.jpg16 主郭中央部の様子


17D72_9184_20201213_121533.jpg17 主郭周辺を鑑賞したあとは主郭西側に広がる平坦地を散策してみます。縄張図では特に記載はないのですが、城山の中腹に広がる削平地は城主の居館があってもよさそうです。すっかり木々が伐採され、何かの工事が始まるようです。写真奥は城の北側の大村湾。



18D72_9126_20201213_115501.jpg18 削平地の西側には立派な石積を発見。段々畑の石積だろうか。


19D72_9073_20201213_114059.jpg19 削平地から主郭を眺めてみました。




縄張図
kuyama_nawabari1.jpg

※長崎県中近世城館跡分布調査報告書Ⅱ(詳説編)より転載、加筆させて頂きました。

※ブログ掲載写真の大体の撮影場所を縄張図の丸囲み番号で示しております。




場 所


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中尾城(長崎県西彼杵郡長与町) 

こんばんは


コロナ禍もあり、県外への移動は自粛、できる限り外出を控える中、先日長崎県西彼杵郡長与町の中尾城へ約5年ぶりに行ってきました。

今では、城域に文化ホール、草スキー、モノレールなどが造られ公園となっていますが、主郭周辺は往時の雰囲気を残しており、特に主郭北側の立派な土塁が見どころです。

中尾城は天文年間(1532年~1554年)、長与権之助によって唾飲城とともに築かれたと伝えられています。(現地案内板より)

城の北側を除く三方には長与川が流れ、北側は山が迫り谷が天然の要害となっています。



01D34_0633_20210104_110821.jpg01 南側からの眺め


02D72_9581_20210104_103733.jpg02 城の北側は谷筋が延びていて、ここから登城できます。谷筋の左上は主郭。主郭から弓矢が飛んできそうです。


03D72_9585_20210104_103907.jpg03 早速、登城!


04D72_9596_20210104_104302.jpg04 主郭付近まで登ってきたところから、振り返ってみました。右は主郭。


05D72_9524_20210104_100820.jpg05 主郭の様子


06D72_9523_20210104_100759.jpg06 このお城一番の見どころの土塁。


07D72_9527_20210104_100839.jpg07 長崎ではそうそう見られない立派な土塁。


08nakaojyo_dorui1.jpg08 土塁の断面図。何層にも土を叩き締めた本格的で貴重な遺構なのだそうです。


09D72_9546_20210104_101436.jpg09 主郭北側には段築と呼ばれている石積で補強された階段状の遺構が残されています。城郭では段築と呼ばれる遺構はあまり耳にしませんね。


10D72_9558_20210104_102321.jpg10 展望所から西側を眺めた長与町の様子。写真手前から奥に二の丸が延びています。右下はホール。


11D72_9516_20210104_100422.jpg11 二の丸から主郭を見上げてみました。中央上は展望所。


12D72_9514_20210104_100357.jpg12 二の丸


13D72_9506_20210104_100211.jpg13 二の丸北側の切岸


14D72_9500_20210104_095648.jpg14 城の西側の谷筋。こちらが公園の正面です。




城周辺図

15nakaojyo_nawabari1.jpg※現地案内板より転載させて頂きました。



場 所

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鷹取城(福岡県八女市星野村) 

こんにちは


耳納山系中世城館シリーズの最終回は鷹取城をご紹介します。


鷹取城は標高802mの鷹取山山頂に築かれており、八女市のホームページによると「全国で一番高所の山城」とのことです。にもかかわらず前回ご紹介させて頂いた発心城同様に主郭下まで車で行くことができます。ですので景色は抜群、ベンチなども整備されていて、お城見物ではなくハイキングやピクニック目的で来られているかたもちらほらおられたようです。


鷹取城が作られた時期はよくわかっていないようですが、星野鎮種によって築城され、星野吉美が居城したと伝えられているようです。見どころは城の南側に多数掘られている畝状竪堀と北側の尾根筋を分断する堀切です。畝状竪堀は北部九州の山城では多く見られますが、鷹取城も40本以上の竪堀を車道から容易に観察できます。



01D72_2064_20200314_152745.jpg01 林道から眺めた鷹取城主郭方面。斜面がうねうねしていますね。


02D72_2059_20200314_152716.jpg02 道路そばから畝状竪堀群をまじかに見ることができます。道路から触れる畝状竪堀って、あんまり聞いたことがありません。ただ、道路建設で遺構も失われているようで一長一短ありますね。


03D72_2073_20200314_153216.jpg03 続いて畝状竪堀群の上に築かれている土塁。横移動がしずらい畝状竪堀の中を攻めてくる敵兵を、土塁の陰から狙い撃ちするという、非常にわかりやすい遺構です。凹んだところに一直線に弓や鉄砲を構えた足軽がずらーっと並ぶのでしょうか。


04D72_2079_20200314_153303.jpg04 東側の堀切。縄張り図では更に東側にも堀切があるようです。


05D72_2094_20200314_153744.jpg05 写真03から更に一段上の曲輪へ登ってきました。写真左上に八女市街方面の景色が広がっています。


06D72_2113_20200314_153941.jpg06 主郭まで登ってきました。このあたりは主郭南端部。縁には土塁が盛られているのがわかります。そして一段下がった場所に帯曲輪。道路に降りる階段が設置されていて虎口があったような作りですが、南側は守りの要で往時虎口はなかったのではないかと思います。


07D72_2142_20200314_154349.jpg07 主郭を北側に移動してきました。このあたりが鷹取山山頂部です。


08D72_2146_20200314_154501.jpg08 鷹取山山頂の石碑。山頂を示す石碑や名板は数多く見てきましたが、なかなかの秀作だと思います。


09D72_2148_20200314_154537.jpg09 当然眺めはサイコーです。写真左側の麓は久留米市、右側はうきは市です。


10D72_2154_20200314_155049.jpg10 続いて主郭から下り、北側の遺構を散策しましょう。


11D72_2157_20200314_155132.jpg11 尾根道を振り返ってみました。写真左は主郭切岸


12D72_2159_20200314_155206.jpg12 途中トーテンポールのようなオブジェ。山の中でこんなものに遭遇するとドキッとします。


13D72_2161_20200314_155221.jpg13 浅めの堀切


14D72_2163_20200314_155305.jpg14 尾根筋に沿って掘られた堀?堀というよりも塹壕なのでしょう。塹壕に隠れつつ登ってくる敵兵を土塁に隠れながら射撃するのでしょう。幅の広い尾根には縁に土塁を盛るのですが、細尾根には塹壕を掘るのが利にかなっているように思います。でもあんまり細尾根に塹壕を掘っているお城は記憶にありません。


15D72_2170_20200314_155412.jpg15 個人的にこのお城の一番の見どころ北尾根の堀切です。赤線が堀切です。写真右へ延びる堀切は竪堀となって落ちていきます。青線は塹壕です。う~ん、堀切はいいとしても、この堀切と塹壕は繋がっているので、敵兵が麓から尾根筋を登って攻めてきて堀切まで降りてきたら、塹壕に沿って攻められるのではないのかと思います。塹壕はこのあたりで止めといて堀切に対して土塁を盛った方がよいように思いました。


16D72_2183_20200314_155632.jpg16 写真15の堀切から右へ落ちる竪堀


17D72_2188_20200314_155654.jpg17 尾根筋に掘られた塹壕を北側から眺めてみました。


18D72_2205_20200314_160022.jpg18 写真16の竪堀を北側斜面から撮影


19D72_2207_20200314_160045.jpg19 同じく竪堀を真下から撮影




~おまけ~
IMG_20210117_111527.jpgうちのかみさんが、僕がちゃんぽん、皿うどんが好きだと知っているので、色々と仕入れてくれました。写真右下は長崎市思案橋にある有名店の天天有のもののようです。


IMG_20210119_121049.jpgまずは、電子レンジで作れる皿うどん!?とはどんなものか早速作ってみました。あまり長崎以外の方で皿うどんはなじみがないかもしれませんが、パリパリの固い細麺に具材をからめたあんかけをのせたものです。ちょっとしたお客さんがくるとお寿司などと一緒に大皿に盛った皿うどんを近所の中華店から注文することがあります。でも最近は食の多様化で皿うどんの注文も少なくなったように感じます。


IMG_20210119_121546.jpg出来上がりです。しょぼい見た目で、あんかけも少ないように感じますが、味はまずまず、量も適量でした。



縄張図
takatori_nawabari2.jpg
福岡県の中近世城館跡Ⅳ~筑後地域・総括編~  (福岡県教育委員会)より転載、加筆させて頂きました。

※ブログ掲載写真の大体の撮影場所を縄張図の丸囲み番号で示しております。




参考文献
・福岡県の中近世城館跡Ⅳ~筑後地域・総括編~  (福岡県教育委員会)
・日本城郭大系  第18巻 福岡・熊本・鹿児島   (新人物往来社)
・八女市ホームーページ 鷹取城跡



場 所


最後までご覧頂きましてありがとうございました。



発心城(福岡県久留米市・八女市) 

こんにちは


大河ドラマ「麒麟がくる」もあとわずかですが、先日2023年の大河ドラマ「どうする家康」の発表がありました。主演の徳川家康役は松本潤さんですが、ぜんぜんイメージがわきません。

「麒麟がくる」で織田信長を演じられています染谷将太さんも、最初は織田信長のイメージとは違っていましたが、染谷将太さんらしい信長のイメージを作り上げておられますね、これまで沢山の作品で徳川家康が演じられてきましたが、「どうする家康」もぜひ期待したいです。


さて、耳納山系中世城館シリーズの三回目は発心城をご紹介します。


発心城は筑後国草野地方を治める草野鎮永により天正5年(1577年)にこれまで代々の居城としていた竹井城からここ発心城に移ったとされています。


草野氏は平安時代末期に筑後国の国司としてここ草野地方に在官したのが始まりとされているようです。源平の争乱、南北朝期を経て、戦国時代の九州で、大友氏、龍造寺氏、島津氏などが台頭する中、草野氏は当初大友氏に与していました。しかし、大友氏は耳川の合戦で島津氏に敗れると、草野氏は大友氏から離反、龍造寺氏に寝返り、守りを固めるため竹井城からここ発心城に移っています。発心城には大友氏、秋月氏らからの攻撃にさらされたものの撃退し難攻不落であったと伝えられているようです。


その後、豊臣秀吉の九州平定後の仕置で反発した草野家清は、秀吉により誘殺され、立て籠もっていた家臣自害、この地方に長く勢力を誇っていた草野氏は滅んだとされています。







01D72_1909_20200314_141616.jpg01 幸か不幸か発心城は林道が貫かれていてアクセスは最高です。ただ、致し方ないですが遺構が一部失われていますね。説明板のある場所には4台程度駐車できます。駐車場所のすぐ上は主郭です。



02D72_1864_20200314_140146.jpg02 説明板。説明板の左上の縄張図を拡大して巻末に貼り付けていますのでご参考まで。



03D72_1866_20200314_140414.jpg03 主郭へ登る前にまずは主郭東側に位置する東郭を鑑賞します。曲輪の北側にしっかりとした土塁が残されていました。



04D72_1873_20200314_140615.jpg04 東郭の更に東には浅めの堀切



05D72_1887_20200314_141003.jpg05 更に東には明瞭な堀切を発見。



06D72_1911_20200314_141703.jpg06 ではいよいよ主郭へ。主郭東側の切岸。



07D72_1926_20200314_142321.jpg07 主郭の様子。きれいに削平されていますね。



08D72_1919_20200314_141814.jpg08 「発心山」の山名板。立派ですねぇ、山に登られる方が多いんでしょうかね。後付けで「県指定史跡 発心城 主郭」の名板も。



09D72_1930_20200314_142352.jpg09 主郭から一段下がった帯曲輪?もみられます。



10D72_2039_20200314_145713.jpg10 主郭を鑑賞した後は二の郭へ。写真左は主郭東の切岸、正面の少し盛り上がった場所が二の郭の南端です。



11D72_1935_20200314_142458.jpg11 主郭北端から二の郭南端を眺めたところです。主郭と二の郭は写真中央のとおり分断されています。この分断された箇所ですが、「福岡県の中近世城館跡Ⅳ~筑後地域・総括編~ (福岡県教育委員会)」では、「堀切状」と表現されていて、一見堀切のようにも見えるのですが、虎口のようにも見えます。堀切ると主郭と二の郭の連携が難しくなるのと、主郭東側や東郭へ連絡するための虎口だったのかもしれません。



12D72_1938_20200314_142536.jpg12 主郭と二の郭間の虎口?



13D72_1947_20200314_142643.jpg13 二の郭南端付近。北側へ進みます。



14D72_1973_20200314_143843.jpg14 二の郭頂上部から少し北西に降りたところです。久留米の街並みが見えてきます。



15D72_1984_20200314_144046.jpg15 写真14辺りから振り返って二の郭頂上部を見上げてみました。



16D72_1997_20200314_144321.jpg16 二の郭の北西端にはわずかに石積がみられます。今でも登山道として使われているようで、往時からの登城道なのでしょう。石積があるということは門があったのでしょうか。



17D72_1990_20200314_144222.jpg17 石積のアップ



18D72_2019_20200314_145022.jpg18 写真16あたりからは急斜面になっていました。写真の岩塊は自然石と思われますが、なかなかの要害です。



19D72_2033_20200314_145359.jpg19 最後は二の郭の北西端から眺めた久留米の街並み




参考文献

・福岡県の中近世城館跡Ⅳ~筑後地域・総括編~  (福岡県教育委員会)
・日本城郭大系  第18巻 福岡・熊本・鹿児島   (新人物往来社)


縄張図
hosin_nawabari2.jpg

※現地説明板の縄張図にブログ掲載写真の大体の撮影場所を丸囲み番号で示してみましたのでご参考にされてください。




場 所



最後までご覧頂きましてありがとうございました。



毘沙門岳城(福岡県久留米市) 

こんばんは


前回に続き、耳納山系中世城館シリーズは毘沙門岳城をご紹介します。


毘沙門岳城は、毘沙門岳とも呼ばれている高良山山頂とそこから伸びる尾根筋に築城されています。築城時期や築城者などは不明とのことですが、南北朝期の延文4年(1359年)の筑後川合戦の時、親良親王の本城になったと伝えられているようです。


現在では城の北側に久留米森林つつじ公園が整備されていて、遺構も部分的に失われているようですが、駐車場も十分にありお弁当持参でピクニックやハイキングなどとあわせて行かれてもよいかと思いました。


01D72_1742_20200314_113228.jpg01 公園から眺めた毘沙門岳城方面。写真右のログハウスには売店などあり、テラスで休憩もできます。



02D72_1828_20200314_115808.jpg02 主郭に設置されている案内板。堀切や竪堀、横堀などはお城の北側に集中しているので、きっと敵方は北にいたのでしょう。ちょっと見にくいですが案内板の縄張図にブログ掲載写真の大体の撮影場所を丸囲み番号で示してみましたのでご参考にされてください。


03D72_1743_20200314_113350.jpg03 不明瞭ながらも竪堀かな


04D72_1756_20200314_114059X.jpg04 まずは北西曲輪の北端に到着。このあたりは飛雲台と呼ばれているようで久留米の街並みが一望できます。


05D72_1752_20200314_113757.jpg05 同じく飛雲台に置かれていた石碑。「菜の花の遥かに黄なり筑後川」夏目漱石の句らしいです。


06D72_1761_20200314_114315.jpg06 北西曲輪の様子ですが、土塁などは見当たりませんでした。


07D72_1766_20200314_114507.jpg07 北西曲輪の北端から南下すると堀切を発見。あいにく工事中のようでした。


08D72_1768_20200314_114520.jpg08 堀切から落ちていく竪堀。今では竪堀に階段が設置されています。竪堀の階段と堀切を上り下りする階段はたまに山城で見る光景です。


09D72_1777_20200314_114737.jpg09 写真07の堀切の更に上には、もう一つ小ぶりな堀切があります。


10D72_1784_20200314_114826X.jpg10 写真09の堀切を更に上段から見下ろしてみました。ここからは二つの連続堀切が見えるはずですが下の段の堀切はオレンジのシートがわずかみみえる程度です。


11D72_1823_20200314_115726X.jpg11 そして主郭に到着。僕を除き本日の参加者のみなさんです。左より九州オフ会の親分Oさん、Kさん、Yさん、本州方面にもよく遠征されているJさん、いつもご一緒させて頂いておりますIさん。


12D72_1825_20200314_115740.jpg12 主郭からの眺め。真下に公園、更に麓には久留米市街。


13D72_1829_20200314_115820.jpg13 高良山山頂碑


14D72_1815_20200314_115611.jpg14 続いて主郭東側の堀切へ向かいます。東側にも尾根筋が伸びており、二条の堀切がありますので見落としの無きよう。


15D72_1794_20200314_115124.jpg15 ちょっとわかりにくいですが堀切から落ちる竪堀


16D72_1801_20200314_115300.jpg16 堀切を上から見下ろしてみました。


17D72_1835_20200314_120129.jpg17 続いて南西方面に長く伸びる曲輪を鑑賞します。縄張図の通り幅の狭い曲輪ですが長さはあるのである程度の兵の駐屯はできそうです。


18D72_1838_20200314_120217.jpg18 この曲輪には土塁がみられます。


19D72_1846_20200314_120414.jpg19 南西曲輪の様子。細長~い曲輪です。


20D72_1850_20200314_120703X.jpg20 南西曲輪の末端には堀切らしき遺構がありますが、現状ではかなり浅めです。


21D72_1852_20200314_121436.jpg21 最後にお城の北側に残されている横堀と土塁。今でも明瞭に残っていますので、往時はかなり深い堀だったと想像されます。



参考文献

・福岡県の中近世城館跡Ⅳ~筑後地域・総括編~  (福岡県教育委員会)
・日本城郭大系  第18巻 福岡・熊本・鹿児島   (新人物往来社)




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最後までご覧頂きましてありがとうございました。



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しんこうといいます。長崎市在住の50歳過ぎのオヤジです。かみさんと子供2人の4人家族です。よろしくお願いいたします。趣味の山登り、城や地元長崎の様子などについて発信させて頂きます。この屋根瓦は倉敷を訪れた際に、色の組み合わせが綺麗だなぁと思って撮影したものです。

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