FC2ブログ

愛藤寺城(熊本県上益城郡)前編 

こんにちは

大型台風10号が四国・中国地方に接近しています。広島に住んでいる友人によると四国上陸直前の時点で、風が強く、避難所に行くかどうか悩む状況だそうです。被害が無いことを祈るばかりです。
また、長崎では、精霊流しという初盆を迎えた故人の家族らが、精霊船とよばれる船に故人の霊をのせて、鐘や爆竹を鳴らしながら、弔い、送る行事が今日行われますが、この台風の影響が心配です。



さて、今年5月熊本遠征の際に訪れたお城を数回にわたってご紹介します。熊本遠征では城友のIさんに案内して頂きました。今回訪城した城のいくつかはルートがわかりにくく、また駐車場所も不明確であったため(というか毎度のリサーチ不足^^;)、Iさんには大変お世話になりました、本当にありがとうございましたm(_ _)m

まずは、熊本県の中央部、通潤橋で有名な上益城郡山都町にある愛藤寺城をご紹介します。見どころ多く前後編2回となりました。
愛藤寺城のある白糸台地は「通潤用水と白糸台地の棚田景観」として国の重要文化財に指定されており、白糸台地に水を送るために造られた通潤橋と美しい棚田の景色を楽しみながら城に向かうとよいと思います。ただ、道が狭く、カーブが多いため運転は十分にご注意下さい。県道180号線から愛藤寺城へ向かう農道はややは入口がわかりにくいため、詳しくは本ブログの地図をご覧頂ければと思います。

愛藤寺城は、貞応元年(1222年)阿蘇大宮司阿蘇惟次により、緑川と千滝川の峡谷に挟まれた白糸台地の南端部に、天台宗寺院の愛藤寺を移転させ、跡地に城を築いたと伝えられています。
天正13年(1585年)、薩摩島津氏の侵攻により、攻め落とされ、神武天皇の皇子神八井耳(かむやいみみ)命を先祖に持つとされる、阿蘇神社大宮司家・阿蘇氏は没落します。(のち、清正の手で復興された一の宮・阿蘇神社の大宮司に復帰します)
その後、小西行長の入国により、近世城郭に改修、結城弥平次を城代にしています。愛藤寺城からは熊本県では出土例のない、キリシタン瓦が出土しており、キリシタン大名である小西行長の所産ではないかとされています。
小西行長が関ヶ原の戦いで斬首された後は、加藤清正の入国に伴い、三重の天守を持つ城郭に大改修されますが、慶長17年(1612年)、破却されました。破却後、建造物の一部は熊本城へ運ばれ利用されたと伝わっているようです。


01x_IMG_20190503_115106.jpg01 通潤橋辺りから南下し愛藤寺城へ向かう途中に説明板があり撮影。当時水の少なかった白糸台地の灌漑用水に対する期待とその難工事を偲びます。

※クリックすると多少拡大します。



02_D70_3008.jpg02 城の北側から城内に入るとまず目にするのが城門の標柱。左に堀切と左上の曲輪隅には石積があり櫓台と考えられているようです。



03_D70_3009.jpg03 城門の標柱


04_D70_3012.jpg04 標柱には「鎌ぎ石」が城門付近にあることが書かれていますが、この石のことか?



05_D70_3024.jpg05 城門を過ぎしばらく進むと右側に小高い山が見えてます。この一帯が本丸と考えられています。この付近に車の通行、作業の邪魔にならないように車を停めさせて頂きました。


06_D70_3026.jpg06 この小高い山状の本丸には天守台があったと考えられており壁面には石垣が取り巻き、今でも周辺には大きな切石が討ち捨てられています。


07_D70_3030.jpg07 この石は比較的きれいに成型されています。


08_D70_3041.jpg08 本丸と標柱


09_D70_3050.jpg09 本丸の一段下がった あたりにも石がゴロゴロ


10_D70_3061.jpg10 矢穴の残る切石


11x_D70_3064.jpg11 本丸に設置されている説明板

※クリックすると多少拡大します。


12_D70_3139.jpg12 続いて本丸から三の丸方面へ向かう途中、本丸西側には石積が散見されます。



13_D70_3072.jpg13 続いて本丸と本丸の西側に広がる三の丸とを分かつ空堀。左側の曲輪が本丸、右側が三の丸。見どころの一つです。堀幅は十メートルぐらいはありそう。写真右には朽ち果て寸前の標柱。


14_D70_3092.jpg14 この空堀よく観察してみると、草木で隠れていますが立派な石垣を回しています。



15_D70_3098.jpg15 ここにも


16_D70_3078.jpg16 堀底から三の丸に上がってみました。写真右は三の丸の曲輪。この曲輪の隅は直角に近く美しいと思います。そして左に空堀、その先は本丸。


17_D70_3131.jpg17 三の丸の突端へ。途中曲輪がすぼまっているようです。



18_D70_3125.jpg18 すぼまっているあたりを観察してみると、昔は堀切っていて、移動に邪魔なので埋めてしまったのではないかと思いますが、どうでしょうか?


19_D70_3118.jpg19 三の丸突端部からの眺め。



縄張り図
aitouji_nawabari1.jpg

※熊本県文化財報告書 第30集 熊本県の中世城跡 1978  熊本県教育委員会 207ページより転載させて頂きました。



場 所

最後までご覧いただきましてありがとうございました。


スポンサーサイト

蟹清水砦・北外山城(愛知県)古戦場ゆかりの城めぐり 小牧長久手の戦い③ 

こんにちは
台風8号が西日本に向けて接近しているようです、九州地方は週明け8/6(火)あたりに上陸の見込みのようです、皆さまお気をつけ下さい。


天正12年3月15日小牧山城に入城し、羽黒の戦いで池田恒興と森長可の軍勢を退けた徳川家康は、小牧山城や周辺の砦の修築を行います。
古戦場ゆかりの城めぐり 小牧長久手の戦い③は修築した砦の中で、蟹清水砦と北外山城および周辺の遺構をご紹介します。




①PB114694①この日のスタートは名鉄・小牧口駅。折畳み自転車を担いできました。自転車で出発!



②PB114727②まず最初は蟹清水砦。遺構は残っていないようです。奥に小牧御殿跡の石碑が写っています。



③PB114724③説明板
※クリックすると拡大します。



④PB114729④蟹清水砦の周辺。写真右の家は一段落ちていて写真中央に土塁があってもよさそうです。



⑤PB114722⑤付近には水路があって堀跡ということにしときましょう(^^;



⑥PB114717⑥蟹清水砦のすぐそばには小牧御殿の石碑が立っています。



⑦PB114716⑦案内板によると小牧御殿は尾張藩の十四か所設けられた御殿の一つらしく、尾張藩初代藩主・徳川義直が鷹狩りの際に宿泊所、休憩所として利用したようです。また江戸時代に蟹清水砦跡は小牧御殿の庭園の一角になっていたとのこと。



⑧PB114821⑧続いて北外山城。この場所は区画整理により近くにあった稲荷社、北外山城跡碑、小川芳次郎顕彰碑を一か所に集め祀っています。北外山城も遺構は無く、石碑が残るのみ。



⑨PB114818⑨説明板
※クリックすると拡大します。



⑩PB114819⑩実は、どういうわけか、小川芳次郎顕彰碑は撮影していたものの、肝心の北外山城跡碑は撮影しておらず、まったく困ったものです(^^;



⑪PB114797⑪最後は北外山城から南に下ったところにある南外山城。ちゃんと案内板と石碑が残されています。小牧山城-蟹清水砦-北外山城-宇田津砦-田楽砦の防衛ラインからやや南に外れているようですが、多少の改修はあったのかもしれません。



⑫PB114795⑫案内板。南外山城は堀尾孫助という武将の居城だったようです。
※クリックすると拡大します。



⑬PB114799⑬現在では八幡社が祀られています。



⑭PB114806⑭特に遺構らしきもは見当たらず。



場 所

最後までご覧いただきましてありがとうございました。



蟻尾城(佐賀県鹿島市) 

こんにちは
やっと先週梅雨明けして、高校野球の県予選と通勤時のバスの中から学生達の姿が消えると、いよいよ夏が来たなぁと感じます。
それと先週は金沢と滋賀県の甲賀郡中惣遺跡群と湖西を巡ってきました。金沢は言わずもがな、湖西は水と石の文化が残る静かで美しい町々も城跡とあわせて散策してきました。何れご紹介したいと考えております。


さて、今回は佐賀県鹿島市の蟻尾城をご紹介します。
蟻尾城は標高192mの在(有)尾山とも書かれる蟻尾山の山頂に、鎌倉時代から室町時代にかけて藤津地方を支配した大村氏が、千葉氏の侵攻に備えて、文正元年(1466年)に築かれています。
文明9年(1477年)千葉胤朝は内田某を藤津に派遣して大村氏を攻め、蟻尾城は落城、大村日向守家親は山浦城と考えられている能古見の本城に落ちていったとされています。


大村氏といえば、現在の長崎県大村市にあった大村藩歴代藩主が知られたところですが、この大村氏はここ肥前鹿島から移り住んできたとされています。大村氏の出自については、これまで藤原直澄が正暦5年(994年)に下向してきたと考えられていましたが、肥前鹿島の大村方を本拠とする地方豪族であると修正されてきているようです。



①D70_239201 蟻尾城の東側から撮影。


②D70_223402 蟻尾城(ありおじょう)のある蟻尾山(ぎびざん)中腹一帯は蟻尾山公園として運動やレクレーションの施設が整備されています。


③D70_222803 写真02の場所から野球場が見下ろせます。


④D70_223504 この場所には車が数台停めれます。(場所はGoogleマップをご覧ください)


⑤D70_223805 車を停めて背後にある蟻尾山へ整備された登山道を登ります。


⑥D70_224606 中腹には展望所がありますが、木々に遮られて眺めはあまりよくありませんでした。


⑦D70_224907 登山道が整備されているのはここまで。城跡までは山道を進みます。途中石がゴロゴロしています。


⑧D70_225108 割れた大岩を発見


⑨D70_226209 しばらく平坦地をすすみますが、登りに差し掛かると段々畑が見えてきます。段々畑の石積が立派です。


⑩D70_226610 山頂部の曲輪の下には竪堀らしきものがが散見されます。ただ、遺構は不明瞭です。


⑪D70_228511 曲輪の東端部に到着。


⑫D70_237212 曲輪の東端部は石積で四角に囲われた櫓台のようになっています。


⑬D70_227913 この石積で四角に囲われた場所には、大天狗の石碑と1512年(永正9年)平常親によって造立された弁財天の石殿が祀られていて、豊前坊さんと呼ばれています。


⑭D70_237114 隅石をアップして撮影してみました。


⑮D70_230215 蟻尾城は東西に長い単一の曲輪で成り立っているようです。この石積は曲輪中央南側の石積。


⑯D70_230416 写真15と同じあたりの石積


⑰D70_231817 曲輪西側の土塁。石塁が散乱しています。


⑱D70_234618 石積


⑲D70_234719 曲輪の西側は一段高くなっているようです。


⑳D70_234820 段々部には石が積まれています。


21_D70_2381.jpg21 登山道からの眺め。曲輪からは木々で視界が遮られ眺望は良くありませんでした。




縄張図
D70_2231.jpg
※現地案内板より転載させて頂きました。
※クリックすると拡大します。



場 所



参考文献

大村市ホームページ 新編大村市史 第二巻(中世編)戦国時代
佐賀県鹿島市観光周遊コース のんびら~とかしま  かしま観光戦略会議



最後までご覧いただきましてありがとうございました。



小牧山城(愛知県)古戦場ゆかりの城めぐり 小牧長久手の戦い② 

こんにちは

古戦場ゆかりの城めぐり 小牧長久手の戦いの二回目は小牧山城をご紹介します。


本能寺の変の後、信長三男織田信孝を担ぐ柴田勝家、滝川一益。一方、次男織田信雄を担いだ羽柴秀吉、丹羽長秀の織田政権内での主導権争いは、羽柴秀吉に軍配が上がったものの、信雄を担ぐ必要の無くなった羽柴秀吉と信雄との関係が悪化。信雄は徳川家康に接近することになります。


ここで、織田信雄、徳川家康に加え、四国の長宗我部元親、紀州の根来衆、越中の佐々成政、関東の北条氏政らと同盟を結び、池田恒興や森長可など美濃の諸将らを味方に付けた羽柴秀吉との小牧・長久手の戦いが始まります。


当初、家康は信雄の支配下にある尾張の清洲城に入ったものの、既に廃城になっていた小牧山城に移り、犬山城を守る池田恒興としばらく対峙することになります。


この睨みあう僅かな期間で小牧山外周の土塁や空堀などが整備されたようです。



01_D70_7448.jpg01 桜の馬場あたり


02_D70_7393.jpg02 小牧山城には、南東の虎口からお邪魔しました。城内から撮影しましたが、真っ直ぐには入れず土塁で囲われた食い違いになっています。土塁のおかげで城内の様子が見えないようになっています。案内板によると小牧・長久手の戦いの際には東側の出入り口になっていたとのこと。


03_D70_7402.jpg03 城の南東の史跡公園。重臣の居宅があったのでは。案内板が各所にあります。


04_D70_7412.jpg04 南東虎口の県道に沿った土塁。 


05-1_D70_7424.jpg05-1  大手道。小牧山の南側には城下町があったようで、他の城と同じように城下町側に大手道が造られています。同じ織田信長が築城した安土城と同様に直線になっています。しかも、途中の山腹あたりで曲げられているところも同じです。信長さんにその意図を聞いてみたいです。


05-2_komakiyama_annnai22x.jpg05-2 ただ、小牧・長久手の戦いの際には、直線になっていた大手道は土塁と堀で曲げられたとのことです。

※現地案内板より転載させて頂きました。



06_D70_7442.jpg06 大手道を登り右へ折れた場所にある曲輪からの眺め。山腹にもしっかりと土塁と空堀が造られています。この土塁と空堀も小牧・長久手の戦いの際に造られたそうです。


07_D70_7454.jpg07 桜の馬場を通り気持ちのいい木陰の中を登ります。天守まではもう少し。


08_D70_7490.jpg08 天守直下では発掘調査が行われているようでした。また、このような転落石があちらこちらに。


09_D70_7511.jpg09 主郭から天守を見上げてみました。天守は歴史館になっています。


10_D70_7552.jpg10 天守曲輪の虎口は立派な桝形になっています。写真中央右に僅かに石垣が残されています。大きいですね。


11_D70_7550.jpg11 天守からの眺め


12_D70_7579.jpg12 天守から西側へ降りてみます。大小の曲輪があって城の痕跡が認められます。写真の曲輪は比較的大きな曲輪で土塁が残されています。


13_D70_7593.jpg13 更に降りてみます。この辺りの登場道は曲がっていて視界が悪いです。


14_D70_7601.jpg14 竪堀も見られます。


15_D70_7617.jpg15 お稲荷さん


16_D70_7631.jpg16 観音洞前の登城道口。複数の登城道があるようで、登ってみることに。


17_D70_7633.jpg17 道の左右に小規模な曲輪が段々にあるようですが、草木覆われていて発掘調査も今からといった感じ。


18_D70_7649.jpg18 空堀のような登城道。写真左奥は曲輪があります。手前には高さのある土塁が。


19_D70_7684.jpg19 麓に下りてきました。左は山側、右には土塁。


20_D70_7691.jpg20 土塁を輪切りして通行できるようにしています。


21_D70_7688.jpg21 輪切りの断面を見れるようしています。


22_D70_7699.jpg22 井戸跡


23_D70_7713.jpg23 北東側の様子。土塁でぐるりと囲われています。



24_D70_7731.jpg24 信長公居館跡とされています。地方豪族の方形館ぐらいの規模はありそう。土塁と空堀で厳重に。



25_D70_7728.jpg

25 信長公居館跡の説明板

※現地案内板より転載させて頂きました。



説明板

komakiyama_annnaizu1.jpg

※現地案内板より転載させて頂きました。



場 所

最後までご覧いただきましてありがとうございました。


花頂山館(佐賀県鹿島市) 

こんにちは
雨がふりますねぇ、梅雨なので仕方ないのですが、せっかくの3連休は雨のためお出かけは難しそうです(T_T)


さて、今回は佐賀県鹿島市にある花頂山館をご紹介します。花頂山館は、鹿島藩3代藩主、鍋島直朝が晩年に隠棲の地として設けた館。現在では思瓊神社となっており、鍋島直朝が祀られています。


鹿島藩は、鍋島家佐賀藩を筆頭に、蓮池、小城、鹿島の3支藩のひとつ。藩主は直朝以前に初代・忠茂(佐賀藩祖鍋島直茂の二男)、続いて子の正茂と続きますが、正茂の叔父・勝茂(佐賀藩祖鍋島直茂の長男)から、その5男直朝を半ば強引に養子として送り込むなど、佐賀藩とその支藩の関係は良好ではなかったようです。


花頂山館は、あまり期待していなかったのですが、虎口付近の雰囲気が良く、小規模ながら思いのほか楽しむ事ができた城館です。


①D70_2504①花頂山館遠景。尾根の先端部に築かれています。



②D70_2393②館の西側から道路が通じていて、すぐ近くまで車で入ることができます。手前に2台程度、奥に数台停められそう。邪魔にならないように停めさせて頂きました。(場所はGoogleMapを参照下さい)


③D70_2496③写真②のすぐ右側。長く伸びた尾根をこの辺りで堀切っているように見えます。


④D70_2492④続いて写真②の左側。中央は土塁に見えます。写真右の斜面から登ってくる敵を防ぐためでしょうか。


⑤D70_2489⑤館の北側は斜面になっています。


⑥D70_2396⑥写真②中央の高い場所へ登ってみました。小さな祠があります。左側は空堀のようです。


⑦D70_2402⑦空堀の様子。深さはあまりなくかなり埋まってしまっているのでしょうか。


⑧D70_2403⑧空堀の壁面には若干石積がみられます。奥に神社の社殿の屋根が見えています。


⑨D70_2420⑨この館は上段と下段に分かれていて、社殿は上段に造られています。


⑩D70_2416⑩下段との境には土塁も見られます。


⑪D70_2426⑪館下段部。東側から西側を眺めてみました。今日は年配の方々がゲートボール?をされていました。


⑫D70_2429⑫神社の由来が書かれた説明板。戦に敗れ片足を負傷しながらもここまで落ち延び、敵兵から討たれようとされながらも最後の抵抗をする武将のよう。


⑬D70_2485⑬曲輪北東端部。武者走りを回しているようです。


⑭D70_2482⑭曲輪東端の虎口


⑮D70_2441⑮虎口を外から撮影


⑯D70_2452⑯同じく虎口をちょっと下がって撮影。折れがあります。この付近が一番の見どころです。


⑰D70_2460⑰登城道を下ってみましょう。振り返ると立派な石積が続きます。


⑱D70_2463⑱石積をアップで撮影


⑲D70_2468⑲更に下ってみました。狭くなったあたりに門があってもよさそうです。



場 所


最後までご覧いただきましてありがとうございました。

| HOME | NEXT

calendar

S M T W T F S
- - - - 1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30 31
07« 2019/08 »09

メニュー

プロフィール

しんこう

Author:しんこう
しんこうといいます。長崎市在住の50歳過ぎのオヤジです。かみさんと子供2人の4人家族です。よろしくお願いいたします。趣味の山登り、城や地元長崎の様子などについて発信させて頂きます。この屋根瓦は倉敷を訪れた際に、色の組み合わせが綺麗だなぁと思って撮影したものです。

最新記事

最新コメント

最新トラックバック

月別アーカイブ

カテゴリ

カウンター

検索フォーム

RSSリンクの表示

リンク

ブロとも申請フォーム

QRコード

QR