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黒瀬城・本郷城・天崎城(長崎県西海市) 

こんにちは!
今週末も天気はまずまず、城めぐり日和です。明日は佐賀県に出陣しようかと思案中です。
さて、今回は先週末に登城した長崎県西海市にある黒瀬城、本郷城、天崎城をご紹介します。いずれも海に面した立地で、のどかな場所にあります。



①D70_9683x
まずは西海市大島の北東端にある黒瀬城。日本城郭大系などにも記載が無く由緒不明ですが、中世この大島は小佐々氏の支配下にあったことから、小佐々氏の出城ではないかと考えています。

②D70_9654
黒瀬城の南側に駐車させて頂いて早速登城。登り始めるとすぐに堀切らしきものを発見。

③D70_9656
主郭には宮崎神社が祀られており、鳥居をくぐって主郭へ向かいます。

④D70_9658
宮崎神社の説明板

⑤D70_9663
参道脇には石積がありますが、往時のものではないでしょうね

⑥D70_9666
主郭に祀られている宮崎神社

⑦D70_9635
途中、黒瀬番所跡を発見!長崎県西彼半島の外海側は韓国や中国に近い立地にあるので異国船が度々漂着したのでしょう。

⑧D70_9636
今は何もありません

⑨D70_9644
黒瀬番所跡付近の様子

黒瀬城縄張り図
黒瀬城縄張り図
※長崎県中近世城館跡分布調査報告書Ⅱ(詳説編)より転載させて頂きました。



⑩D70_9706
続いて長崎県西海市崎戸町にある本郷城。「長崎県中近世城館跡分布調査報告書Ⅱ(詳説編)」によると、黒瀬城と同様に、西海市西側一帯を治めていた小佐々氏が城主とのことです。

⑪D70_9701
城の東側の集落から谷沿いに攻めるつもりだったのですが、、、

⑫D70_9703
この先は藪が酷くて退散しました(^^; 次回は北側から尾根沿いに攻めてみます。

⑬D70_9690
途中、崎戸浦合戦場跡の石碑を発見!
この崎戸浦合戦を調べてみると、永禄13年(1570年)平戸・松浦軍が、兵船二隻でこの崎戸浦に攻め入ったものの、この地を守る弱冠18歳の小佐々弾正純正により退けられたとあります。

⑭D70_9698
崎戸浦の様子

本郷城縄張り図
本郷城縄張り図
※長崎県中近世城館跡分布調査報告書Ⅱ(詳説編)より転載させて頂きました。


⑮D70_9742
最後は、西海市西海町にある天崎城(あまがさき)。「長崎県中近世城館跡分布調査報告書Ⅱ(詳説編)」によると、大村氏の被官とされる在地領主の天久保氏(あまくぼ)が城主とされる。天久保氏は近世初頭に大村氏によって改易され、代わりに田島氏が知行した。とあります。

⑯D70_9712
天崎城へはこの道を進みます。目印は写真右の案内板。

⑰D70_9713
ただ、この案内板は天崎城の案内板ではなく、田嶋家墓地の案内板(^^; 墓地は天崎城の中にあります。

⑱D70_9736
写真左側の小道を通って天崎城へ行きますが、ちょうど向かいの家にお住まいの方がいらしたので、場所を教えて頂きました。

⑲D70_9720
城内にある田嶋家墓地。残念ですが相当荒れていました。

⑳D70_9727
城内は竹藪

21_D70_9729.jpg
石積を見つけましたが、往時のものかどうか、、、

天崎城縄張り図
天崎城縄張り図
※長崎県中近世城館跡分布調査報告書Ⅱ(詳説編)より転載させて頂きました。


おまけ
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今日は西海町の大鍋まつり。ゲストは大泉逸郎さん。

23_PB117134.jpg
この写真ではわかりませんが、凄い人でした

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海鮮鍋だったかな、350円也


場 所


最後まで見て頂きましてありがとうございましたm(_ _)m
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佐久城(静岡県)~思い出の名古屋勤務シリーズ~ 

こんにちは!
週末の長崎はいい天気でした♪11月とは思えない暑さではありましたが、、、
今日はいとこの結婚式に参列してきましたが、天気でホントに良かったです。
式場のテラスからはこんなのどかな景色が広がっていました。


IMG_20181104_113738.jpg

さて、思い出の名古屋勤務シリーズ、今回は静岡県の佐久城をご紹介します。
佐久城の登城日は2018年1月13日。大河ドラマ直虎のドラマ館が閉館する間際だったかと思います。
そういうこともあって、天竜浜名湖鉄道に揺られ、穏やかな浜名湖を眺めながらドラマ館を楽しみつつお城鑑賞となりました。
天竜浜名湖鉄道沿線には二俣城や鳥羽山城など著名なお城があるのですが、今回は都筑駅からほど近い佐久城にも登城。近くに野地城もあるのですが、遺構はあまり残っていませんでした。


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佐久城は、浜名湖の支湖、猪鼻湖に突き出た岬に築城されています。現在は主郭とその南にある馬出ししか遺構は残されていないようですが、往時は更に南側に曲輪が配されていたようです。
見どころは丸馬出と、主郭と馬出を分かつ空堀と土橋。地元長崎県では丸馬出という遺構は見たことが無く、生まれて初めてみる丸馬出に感動です。それに、空堀も深く良好に残されています。
佐久城は、室町時代、浜名地域(三ヶ日町一帯)を支配した浜名氏の居城です。浜名氏は平安末期鵺代を本拠として興起した猪鼻氏の系統を引き「鵺(ぬえ)退治」で有名な源三位頼政の子孫といわれています。室町初期の貞和四年その中興祖浜名左近大夫清政がこの地域に築城居住して以来子孫は足利幕府の奉公衆となり常に京都にあって将軍の側近として活躍、又歴代歌人としても著名です。清政より九代目の肥前守頼広の時永禄11年(1568)12月、徳川家康の遠州侵入にあたり守護今川氏のため当城にこもって抵抗したが、翌12年(1569)2月、力尽きて降伏没落し、以来、家康の部将本多百介信俊が守備したが、天正11年(1583)東北方の野地城構築により廃城となった。とされています。


①D70_2447
①天竜浜名湖鉄道 都筑駅。駅舎はパン屋さんになっていて、出来立てのパンのいい香りがしていました。都筑駅から佐久城まで大体20分程度歩きます。

②D70_2454
②瀟洒な別荘地の中を歩き、登城口に到着。見取り図と説明版が設置されており、写真左端の階段から入ります。

③D70_2461
③階段を上りあがると深い堀切が現れます。この堀切は丸馬出の外側(南側)に当たります。

④D70_2523
④丸馬出の土塁。この土塁、美しいラインだと思うのですが、、、

⑤D70_2526
⑤主郭と馬出を繋ぐ土橋。向こう側が主郭です。

⑥D70_2478
⑥次は土橋を主郭側から馬出側を眺めてみました。

⑦D70_2475
⑦堀底はこんな感じです。

⑧D70_2479
⑧いよいよ主郭へ。主郭虎口はやや食い違いになっているようです。

⑨D70_2506
⑨主郭の様子

⑩D70_2490
⑩井戸もあります。湖はすぐそばなので水に困ることはなさそうです。

⑪D70_2501
⑪立派な石碑

⑫D70_2505
⑫主郭南西側の土塁。

⑬D70_2508
⑬主郭南側の土塁。主郭南側は高い土塁が築かれ、しっかりと防備がなされています。

⑭D70_2496
⑭主郭から猪鼻湖の眺め。

見取り図
D70_2452.jpg

場所

最後まで見て頂きまして、ありがとうございましたm(_ _)m

木戸城(愛知県)~思い出の名古屋勤務シリーズ~ 

こんにちは!

今週末の天気もまずまずで、絶好の山城シーズンなのですが、何かと用事があって城には行けずじまいでストレスたまりまくりです(T_T)
過去の城めぐりでブログを繋いでいる感はありますが(^^;、今回の思い出の名古屋勤務シリーズは愛知県安城市の南部、西尾市との市境に位置する木戸城をご紹介します。


愛知県安城市は安祥城あたりからこの木戸城付近まで多くの城郭が分布しています。ただ、レンタカーでは近すぎ、歩くには遠すぎるので、名鉄・堀内公園駅まで折畳み自転車を担いで乗車し、堀内城から木戸城を通り名鉄・西尾口駅まで自転車で巡ってみました。このルートの目玉は戦国時代に三河一向一揆の拠点となった本證寺なのですが、その他の城郭も宅地化で完全には消滅せず遺構が残るも多くありました。また、付近には城郭だけでなく、古墳(堀内古墳、姫小川古墳など)や貝塚(堀内貝塚)など遺構が数多くあるので併せて鑑賞してきました。

木戸城は、元は石川式部、石川太郎五郎の居城でしたが、1471(文明三)年頃、松平信光が安祥城に進出すると同時に、 成瀬藤蔵正義がこの城に配属されました。ところが、1590(天正18)年、徳川家康が関東に移封されたため、成瀬氏も武蔵国(東京都)に移り、廃城となりました。現在も神社の裏側は濠の形態を残しています。(現地案内板より)

木戸城のある安城市木戸町の南西部には、木戸城をはじめ長因寺付近に築かれていた木戸村古城や、北・南・東・西屋敷という名前が残り、地図を見るとわかりますが、今でも集落が形成されていたことがわかります。また、集落全体を北は鹿乗川、南は矢作川、東西を田畑や湿地帯により守られていたと思われます。
現在
木戸城は、春日神社となっていますが、神社社殿の東西には明瞭な堀が残り、東側の虎口と思われる付近には土塁が残されています。



01_D70_6933.jpg 

①木戸城の西側からの撮影。


02_D70_6985.jpg

②木戸城西側の虎口付近です。


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③虎口左側の土塁です。


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④同じく虎口右側の土塁です。更に右側には空堀が続いています。


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⑤空堀の様子。付近には宅地や田畑もあるのですが、よくぞ良好に残っていたと思います。


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⑥⑤と同じ空堀を城内から見てみました。写真左が空堀。中央右にみえる鳥居あたりが虎口付近です。



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⑦春日神社境内の様子。往時は御殿が建てられていたのでしょうか。


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⑧鳥居から社殿へ向けて撮影


09_D70_6948.jpg

⑨⑧と同じ鳥居を境内から撮影してみました。河川の改修が行われたようで矢作川の堤防が正面に築かれています。遺構も一部消滅したのかもしれません。



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⑩社殿西側の空堀を曲輪から見下ろしてみました。空堀の深さは4mぐらいはありそうです。


11_D70_6972.jpg

⑪⑩の空堀を外側から眺めてみました。右側はかなり落ち込んでいることがわかります。


12_D70_6965.jpg

⑫⑪の場所から南側の矢作川へ視線を移すと空堀が続いています。もうちょっと気の利いたアングルだとこの空堀の様子もうまく伝えられるのですが、これではよくわかりませんね。



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⑬木戸集落の中心付近に長因寺があり、この付近に木戸古城があったとされています。


14_D70_7017.jpg

⑭最後に木戸バス停


PA093847.jpg 

⑮お疲れさまでした~

※城めぐりの際に撮影した写真が無かったのでアパートで撮影した写真を掲載しました。


場 所

最後まで見て頂きありがとうございましたm(_ _)m

興国寺城(静岡県)②~思い出の名古屋勤務シリーズ~ 

こんにちは、
今週末は三連休でしたが、城ではなく、知人とキャンプしてました。
場所は長崎県西海市の尻久砂里海浜公園キャンプ場。お尻が腐ってしまうまで見とれてしまうほど美しい砂浜であることから名づけられたとのこと。
ただ、台風の影響で砂浜はゴミだらけでした。管理人の方ご苦労様です。

さて、思い出の名古屋勤務シリーズは静岡県・興国寺城の第二回です。

①D70_4554
01 本丸北西隅の土塁上から南東側を眺めてみました。

②D70_4562
02 本丸を鑑賞した後は、本丸と北曲輪を分かつ空堀と北曲輪を鑑賞しましょう。

③D70_4565
03 本丸東側土塁の外側です。けっこう急ですね、登るのはキツイです。

④D70_4570
04 空堀の東側から西側を眺めてみました。

⑤D70_4576
05 北曲輪の空堀を半分程度登ったところです。キチンと整備されているのでしょう、空堀は見事にV字です。写真左側に見えているのは本丸土塁上の天守台跡です。

⑥D70_4587
06 北曲輪から本丸西側付近を眺めてみました。

⑦D70_4591
07 空堀東側方面

⑧D70_4598
08 北曲輪の眺め

⑨D70_4612
09 北曲輪北端の土塁。柵の下は新幹線が通っています。土塁は中央が凹んでいますが、木橋でも渡したのでしょうか、考え過ぎかな。

⑩D70_4615
10 北曲輪から本丸方向を眺めてみました。

⑪D70_4622
11 空堀東側に放置されている切石。しっかり矢穴が残っています。

⑫D70_4638
12 本丸東側土塁の外側を通って駐車場へ戻ります。

⑬D70_4654
13 駐車場到着。駐車場南側から本丸の眺め

縄張り図

koukokuji_ezu_20181008215739da1.jpg

場所




IMG_20181007_161755.jpg
昨晩から知人4人で長崎県西海市の尻久砂里海浜公園でキャンプ

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夕日が落ちると美しい景色が広がります。でも、景色を撮ったのではなく沢山のカラスを撮ってみました。黒い点はすべてカラスです。夕日はロマンチックですがカラスがうるさいです。

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サンマが旬です

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吸い込まれそうな炎

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めらめらと燃える炭は幻想的です

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昆虫は詳しくないので調べたら「ヒメクダマキモドキ」というらしい

最後まで見て頂きましてありがとうございました!

興国寺城(静岡県)①~思い出の名古屋勤務シリーズ~ 

こんにちは!
台風24号が近づいています。9/30 18:00時点では四国の南を北東に移動中のようです。この後、通過する近畿、東海地方などの方々に被害が無いことを願うばかりです。

さて、思い出の名古屋勤務シリーズは静岡県の興国寺城です。
北条早雲の旗揚げの城として有名な城で、本丸を取り囲む高く壁のような土塁、特に本丸と北曲輪を分かつ土塁と空堀は今まで見たことがない巨大なものです。この巨大土塁と空堀だけでも見る価値ありです。

興国寺城は、愛鷹山の尾根を利用して、北から北曲輪、本丸、二の丸、三の丸の順に直線的に造られています。また、往時、城の東側は蓮池、西・南側は湿地帯で、天然の要害となっています。

1487年(長享元年)頃に、室町幕府の官僚であった伊勢新九郎盛時(北条早雲)は、今川義忠急死後の家督争いで、甥の今川氏親を助けた功により富士郡下方12郷を与えられ、興国寺城主となったとされています。
盛時は1493年(明応2年)に伊豆国を治めていた堀越公方の子・足利茶々丸をを襲い、伊豆国の領主となり韮山城に移ったようです。
この後、興国寺城は、戦国期の領土争いの中で、今川氏、北条氏、武田氏、豊臣氏、徳川氏の勢力下となり、1601年(慶長6年)に、徳川家康の家臣・天野三郎兵衛康景が1万石で入城しましたが、康景は家臣であった足軽による事件の裁定に不満を募らせ出奔、改易となり、1607年(慶長12年)に廃城となりました。


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01 目印はこの交差点。この「根小屋」という交差点の名前からすでに気分は高まります。奥に富士山が頭をだしていますね。

02_D70_4677.jpg
02 交差点のすぐそばに標柱があります。

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03 二の丸あたりから本丸を眺めてみました。さっそく、壁のような土塁が正面に見えてきます。もう気分の高まりを抑えることはできません(^^;


04_D70_4483.jpg
04 車でこられる方は本丸東側に駐車場があります。

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05 駐車場北側の様子ですが、本丸東側の土塁は無残にも壊されているようです。

06_D70_4486.jpg
06 でも幸い、本丸西側の土塁は比較的良好に残されています。

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07 本丸北側の土塁に向かいます。

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08 本丸北側の土塁直下には、高尾山穂見神社から分詞された穂見神社が祀られています。

09_D70_4487.jpg
09 土塁上に登ってみましょう。

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10 階段が設置されていますので、高い土塁も楽々登れます。ありがとうございます!

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11 土塁上には天守台がありますがその基礎部には石積が見られます。


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12 天守台石垣を東側から西に向けて眺めてみました。

13_D70_4513.jpg
13 本丸北東隅の土塁上から南側を眺めてみました。写真左の本丸東土塁が美しく伸びています。

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14 天守台跡です。礎石が残されています。

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15 角度を変えて眺めた天守台跡。見ての通り有名城郭の天守台跡とは異なり狭いです。櫓程度の建物しか建てられなかったのではないでしょうか。


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16 本丸北側土塁上から北側の北曲輪を眺めてみました。土塁も大きいですが、写真手前の空堀も相当大きく、深いです。


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17 本丸北側土塁上を東側に移動してみます。

18_D70_4543.jpg
18 本丸西側の土塁がきれいにみえます。

縄張り図

koukokuji_ezu.jpg
※現地案内板より転載させて頂いております。

場 所



最後まで見て頂きありがとうございます。

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プロフィール

しんこう

Author:しんこう
しんこうといいます。長崎市在住の50歳過ぎのオヤジです。かみさんと子供2人の4人家族です。よろしくお願いいたします。趣味の山登り、城や地元長崎の様子などについて発信させて頂きます。この屋根瓦は倉敷を訪れた際に、色の組み合わせが綺麗だなぁと思って撮影したものです。

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