犬山城 <名古屋勤務シリーズ> 

こんにちは、毎日暑いですねぇ~、僕は7月から名古屋で仕事をすることになりました。休日も出勤が多そうな感じなんですが、7月23日は休めたので、名古屋出張シリーズの第一弾は犬山城へ。

名古屋に来たので、普通は名古屋城から攻めるところですが、近くなのでいつでいけるだろうということで、犬山城から攻めることにしました。僕は建物も好きなので、城下町や織田有楽斎作の茶室・如庵も楽しみなのです。

犬山城は、1537年に織田信長の叔父信康によって築城され、江戸時代、尾張藩の付家老である成瀬正成が入って以来、成瀬氏九代の居城です。
北に木曽川、南に城下町を取り込んだ惣構をもつ守りに固い縄張り、また、二重櫓に望楼を載せた古式かつ優美な天守は数少ない現存国宝天守の一つです。


①P7231886
①木曽川沿いの北東からの眺め。木曽川に面する北側は断崖になっていて、攻めるのは困難ですね。
②P7231603
②メインストリートの本町通りからの眺め。

③P7231615
③本町通りを真っ直ぐ突っ切って、神社を通っていくと近いようですが、ここは往時を偲びながら、中御門を通って登城します。古図によると、この辺りに中御門があり、右側は堀があるようですが、この近辺は神社の造成によって改変されたのでしょうか。

④P7231624
④さらに登っていくと、この先に黒門跡あります。黒門の手前はクランクになっていて、簡単には入れてくれませんね。奥の石垣と右の石垣に櫓を渡して櫓門にしてもよさそうですが、絵図には何も書かれていません。

⑤P7231626
⑤写真④の左下にある横堀です。

⑥P7231633
⑥黒門の礎石。こういう配慮はうれしいですね。少しは往時をイメージできます。

⑦P7231636
⑦大手道。大手道の左右には杉の丸、桐の丸、樅の丸が配置されています。

⑧P7231648
⑧大手道を登りきると本丸鉄門が見えてきます。また、写っていませんが、写真右手にはチケット売り場があります。

⑨P7231647
⑨今回は名古屋-犬山間の名鉄の往復乗車券とセットになった、「犬山城下町きっぷ」を利用。


⑩P7231760
⑩本丸に入ると、天守が目の前に。

⑪P7231723
⑪天守最上階廻縁から木曽川の上流側を眺めてみました。

⑫P7231738
⑫天守を後にして、本丸内を散策。僕のお気に入りはこの七曲門跡。

⑬P7231740
⑬七曲門を本丸から外に向けて撮影。観光客の多い犬山城にあってもこの近辺は人影はまばら。門の外にはベンチもあります。

⑭P7231742
⑭門の礎石は左右両方とも残っていました。

⑮P7231744
⑮七曲門を外から本丸に向かって左側の隅石。

⑯P7231745
⑯こちらは右側。

⑰P7231746
⑰外から本丸内を見たところです。実際の門は無いものの、往時の石垣と思われる遺構が残っていて、あまり手を加えていないところがいいです。

⑱P7231754
⑱階段

⑲P7231747
⑲七曲門を抜けると、写真の七曲道を通って降りることができるようですが、立入禁止になっています。残念!

⑳P7231767
⑳天守を見上げてみました。

21_P7231773.jpg
21 本丸東側の多聞櫓があった場所。

22_P7231772.jpg
22 弓矢櫓があった場所。

P7231579.jpg
城下町の様子1
古い町屋を喫茶店にしています。おしゃれですね。

P7231597.jpg
城下町の様子2
犬山の城下町はエアコンの室外機を見えないように木枠で囲ったり、自動販売機も色を街並みに合わせたりと、町の景観に配慮した街づくりを進めているようです。この日は犬山城への登城待ち時間は無かったようですが、それでも、メインストリートには、美しい町並みを求めて多くの観光客が訪れていました。

P7231853.jpg
国宝の茶室・如庵。茶室の内部は撮影禁止です。

P7231855.jpg
お茶も頂きました。

犬山城は有名観光地ということもあって、登城道がコンクリートで整備され、また危険個所は立入禁止になっていたりと、遺構が残されていない場所や見れない場所があって、残念なところもありましたが、それを上回る、優美な天守に木曽川沿いから眺める犬山城は素晴らしいと感じました。

場 所

最後まで見て頂きありがとうございました。

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梶谷城(長崎県松浦市) 

こんにちは、長崎は今日も雨です。よく降りますね。


福岡県、大分県は記録的な豪雨で、亡くなられた方々のご冥福をお祈り申し上げますとともに、被災された皆様、そのご家族の方々に対しまして、心よりお見舞い申し上げます。
長崎でも7月4日に台風3号が直撃し、早朝の出勤時間と重なったものの、幸い大きな被害が無く、安堵しています。


さて、今年2月に登城した松浦市にある梶谷城をご紹介します。ブログの更新頻度が少ないので、なかなかタイムリーにご紹介ができておりません。


梶谷城は、源久(みなもとのひさし)が1069年に摂津渡辺荘から今福に下向し、宇野御厨の荘官となったころに梶谷城を築いたとされています。
その後、水軍として有名な松浦氏は、壇之浦では源氏側で戦い、元寇では松浦党一族の活躍が記録に残っているようです。
また、豊臣秀吉の文禄の役に備えて、肥前名護屋城が築城されましたが、近隣の梶谷城も併せて改修が施されたようです。そして、1615年の一国一城令により廃城となりました。



①D70_6396
①梶谷城は主郭直下の副郭まで車で登城することができます。途中大きな案内板もあり、あまり迷うことはなさそうです。

②D70_6397
②しばらく登ると3本の分かれ道。こんなにきれいな分かれ道は記憶が無いので一枚パチリ。左側の道をお進みください。


③D70_6402
③更に登ると駐車場が見えてきますが、ここに駐車せず更に進んでください。

④D70_6405
④しばらく登ると副郭に到着。数台は止められそう。前方に主郭の石垣が見えます。


⑤D70_6406
⑤副郭に設置されている案内板。


⑥D70_6409
⑥石碑


⑦D70_6563
⑦主郭北側の石垣。右側はかなり崩落していますね。


⑧D70_6422
⑧副郭から主郭へ向かいます。主郭北側の石垣の様子ですが、写真手前の石垣が崩れています。破却の跡でしょうか。


⑨D70_6424
⑨主郭の様子です。写真奥に天守台と呼ばれる高台があります。ただ、天守があったかどうかは定かでないとのこと。


⑩D70_6448
⑩東櫓台跡。張り出している様子がわかると思います。


⑪D70_6433
⑪東櫓台跡から東側の眺めです。向かいは福島。水道を右に進むと伊万里湾です。昔、陶磁器の積み出しで賑わったんだろうなと往時を偲びます。


⑫D70_6477
⑫奥に天守台が見えます。天守台に向かいましょう。


⑬D70_6474
⑬天守台の様子です。天守台といっても、思いのほか広いです。


⑭D70_6470
⑭展望台にいくとこんなのがよく設置してありますね。展望台を降り、梶谷城の一番の見どころ主郭大手口を向かいます。


⑮D70_6485
⑮主郭大手口。石垣がかなり崩れていますが、しっかり桝形になっています。おそらくこの桝形は文禄の役に備えての改修と思われます。戦国期の改修とはいえ、長崎の山城にこんなに立派な桝形の虎口は見たことがないので感激です。


⑯D70_6509
⑯主郭大手口を中から外へ撮影したものです。どんな門が設えてあったのでしょうか。


⑰D70_6536
⑰主郭大手口を出て真向いの石垣。破却の跡かわかりませんが、隅部は崩落しています。

⑱D70_6516
⑱同じく主郭大手口を、外から中へ撮影してみました。


⑲ D70_6544
⑲主郭大手口を後にします。主郭大手口を見上げたところです。



D70_6556.jpg
⑳しばらくおりると大手口に着きます。大手口の石垣です。



縄張り図
kajiya_jyo1.jpg 
※「長崎県中近世城館跡分布調査報告書Ⅱ(詳説編)」から転載させて頂いております。

所在地


最後まで見て頂きありがとうございました。

風南城(長崎県東彼杵郡川棚町) 

こんにちは、6月後半に入って雨が多くなってきました。今週末は残念ですが雨のため登城は難しそうです。


さて、ゴールデンウイークに登城した風南城をご紹介します。風南城は東彼杵郡川棚町の風南山の山頂に築かれた山城です。
後藤氏が大村領内への侵攻するための陣城である小峰城に対して、大村氏により築かれ、緊急時には山道、立岩、上組、下組などに住む13人の武士が頭になり、百姓たちもかけつけてこの城を守ったと伝えられています。

①D70_8489
①風南城南側からの撮影


②D70_8508
②風南城西側県道4号線沿いのバス停。バス停も風南城跡。写真右側に説明板も写っています。場所はGoogle Mapを参照下さい。

③D70_8501
③説明板


④D70_8422
④風南城南東付近まで車で上ってきました。山頂付近までは南側の麓から林道が通じています。登城口はGoogle Mapを参照下さい。
写真奥の林が城域です。地肌が見え、何かの造成が進んでいるようで、遺構の破壊が心配です。


⑤D70_8488
⑤写真④の左端から城内に入ります。


⑥D70_8428
⑥入って右側に進むと、風南山の北西側を分断する堀切が現れます。


⑦D70_8474
⑦主郭です。


⑧D70_8438
⑧風南城北から東側にかけて石積が見られます。


⑨D70_8445
⑨ここにも


⑩D70_8446
⑩写真⑨のアップです。


⑪D70_8455
⑪上段に主郭が見えます。一段下がった場所に石塁が見られます。


⑫D70_8460
⑫土塁も残されています。


⑬D70_8462
⑬土塁の内側にも外側にもしっかり石塁で補強しているようです。


⑭D70_8468
⑭城内の随所に石塁が見られます。


⑮D70_8432
⑮東側の眺めです。


P6171435.jpg
(おまけ1)
先週、長崎県西海市の親戚のおじさんから、夏みかん、ビワがなっとるけん、とりにこんねぇ(長崎弁)とのことで、おじゃましてきました。
親戚のおばさんの家は西海市の西側、外海とよばれている場所にあって、のどかなところです。

P6171446.jpg
夏みかんはだいたい酸っぱくて、普通ははちみつなどに漬けて食べますが、この夏みかんは酸っぱさが少なくまずまずでした。

P6171441.jpg
桃もありました。まだ少々固いですが、味はまずまず。


P6171453.jpg
今の季節、長崎のあちらこちらに手入れされていないビワが沢山なっています。西海市も他の地域と同様に高齢化が進んでいて、手入れが難しく、放置されているビワが多いです。


P6171439.jpg
柿はちょっと早いですね。

P6171425.jpg
(おまけ2)
名古屋に出張してきました。7月からしばらく名古屋で仕事することになりそうです。
僕はお菓子には目がないのですが、名古屋といえば、坂角のゆかりですよね。昔、若い頃名古屋に出張にいっていた女性の上司がよく買ってきてくれました。少々安い簡易パッケージのものを購入。えびせんべいは各地にあるようですが、坂角のゆかりは別格ではないかと思います。もし、もっとおいしいえびせんべいがあればぜひ教えてください。


P6171419.jpg
最後にコンビニで購入した味噌煮込みうどん。水は分量通りにしましたが、僕は濃い味が好きなので、水は少な目にしたほうが良かったです。



縄張り図
funan_jyo1.jpg

※「長崎県中近世城館跡分布調査報告書Ⅱ(詳説編)」から転載させて頂いております。



所在地

赤のマーカーは風南城、青のマーカーは風南城跡バス停、緑のマーカーは林道の入口です。


最後まで見て頂きありがとうございました。

松山城(長崎県東彼杵郡波佐見町) 

こんにちは、6月に入り梅雨の季節です。先週末、今週末共に天気はいいのですが、湿度が高くて、梅雨の到来を感じさせます。



さて、井手平城に引き続きゴルーデンウイークに登城した松山城をご紹介します。松山城は東彼杵郡波佐見町にあり、戦国時代、大村氏と後藤氏がせめぎあう国境の城です。この松山城を巡って幾度の戦が行われています。



戦国末期には大村方の福田丹波守がこの城を守っており、丹波守の留守中に後藤勢から攻められましたが、丹波守の娘が城兵を指揮し、自らも投石、敵を退散させ、「石打ちの御子」と呼ばれたと伝えられています。
しかし、その後、後藤氏に屈すると、大村氏の家臣で丹波守の弟薩摩守忠兼により丹波守は追放され、兄に代わり松山城主となります。



松山城は130m程の丘陵地を利用、中央に主郭を配し、尾根沿いに小規模な郭を持つ小規模な山城です。主郭は南北に長く東西は狭いため、城内に居住したとは考えにくく、平時は麓の居館に住み、緊急時に城内に立てこもったものと思われます。



①D70_8086
①松山城西側からの撮影



②D70_8073
②麓の道路脇に設置されている説明板



③D70_7953
③南側から登城します。個人の敷地内を通りますので、一言お断りを入れて登城させて頂きました。ありがとうございました。
縄張り図によると南側からは登城道があるように記載されていますが、実際には道は不明瞭でした。



④D70_7972
④主郭。南北は長いですが、東西は十m程度しかなく、大きな建物を造るには適しません。



⑤D70_7973
⑤北側に進むと土を積み上げた高まりがあります。物見台でしょうか。



⑥D70_7993
⑥主郭北端から北東の尾根沿って進むと、堀切を発見。しかし、堀底はかなり埋まり、不明瞭です。



⑦D70_8010
⑦更に北東へ進むと、先端部は段々の小規模な曲輪があります。(写真ではわかりにくいです)



⑧D70_8017
⑧主郭北端直下の様子。北西の郭と連絡する武者走りのように見えます。



⑨D70_8019
⑨主郭北端直下の切岸。



⑩D70_8023
⑩石積らしきものを見つけましたが、自然石でしょうか。



⑪D70_8027
⑪最後は北西郭の堀切。この堀切も深さがありません。




縄張り図
hasami_matsuyama1.jpg 
※「長崎県中近世城館跡分布調査報告書Ⅱ(詳説編)」から転載させて頂いております。




所在地
これまでご紹介した写真の撮影場所をマークしてみました。写真説明の丸囲み番号と一致させています。
間違いがあればご連絡頂けると幸いです。



最後まで見て頂きましてありがとうございました!


井手平城(長崎県佐世保市)後編 

こんにちは、今日長崎は雲一つ無いいい天気です。お出かけ日和なんですが、かみさんが車で外出しているうえ、家の雑用もあって今週末は家にこもりきりです(T_T)



さて、ゴルーデンウイークに登城した井手平城の後編です。今回は東出丸の南側と本丸をご紹介します。




0_D70_7930.jpg
井手平城遠景。南側からの撮影。二つ並んだ山の右側が本丸、左側が西出丸です。


①D70_7791
①前編では、東出丸の南側虎口までご紹介しましたが、虎口から更に南側を降りていきます。

更に南側に降りていくと、ここにも石仏があります。


②D70_7813
②しばらく降りていくと登城口が見えてきました。


③D70_7817
③写真②を降りて左側に進むとすぐに千人塚があります。千人塚は、1586年(天正14年)の大村・有馬・西有田・波多の連合軍より井手平城が攻められ、落城した際の戦死者の墓と伝えられています。


④D70_7815
④千人塚の説明板


⑤D70_7824
⑤井手平城の登城口は各所にあるようですが、本丸と東出丸に挟まれた南側の登城口です。


⑥D70_7830
⑥写真⑤から北側に進みます。左側が本丸。右側が東出丸です。両曲輪ともに切り立っていて、攻めるには難しいです。


⑦D70_7847
⑦谷道を登り上がると、水堀、土橋が現れます。写真右上へは本丸虎口へ至ります。


⑧D70_7846
⑧南側から北側へ撮影した水堀です。写真奥に東出丸へ渡る土橋があります。


⑨D70_7863
⑨写真⑦の土橋には水を通す排水口があり、埋もれないようにきちんと石積しています。


⑩D70_7914
⑩いよいよ本丸へ進みます。本丸の登城口ですが、虎口が大きく屈曲しています。往時と同じものか定かではありませんが、攻めにくいように工夫しているのだと思いますが、ただ、左上に続く本丸への登城道は真っ直ぐです。


⑪D70_7871
⑪写真⑩から登城道を真っ直ぐに登り上がると右手に石碑があります。その上には土塁が巡らされています。


⑫D70_7879
⑫本丸に入り左側の様子です。明瞭に土塁が残されています。土塁に沿って石仏もあります。


⑬D70_7880
⑬案内板


⑭D70_7882
⑭本丸中央部の様子。あまり広くないです。井手平城は本丸、東出丸、西出丸の三つの曲輪で成り立っていますが、各曲輪は水堀や切り立った空堀で分断されており、戦いの際には連携するのが難しく、守るには難しい城のように感じました。ここ本丸は多くの兵を配置することはできないので、南側を監視する出丸もしくは見張り台として機能していたのではないかと感じました。


⑮D70_7909
⑮本丸東側の空堀と土塁。


⑯D70_7896
⑯本丸南側の空堀と土塁。空堀はほとんど埋まっています。


⑰D70_7898
⑰本丸西側の空堀と土塁。


⑱D70_7885
⑱本丸虎口を内から外へ眺めたところです。


⑲D70_7916
⑲上宮神社へ戻ります。右は西出丸です。




縄張り図

idehira1_1.jpg 

※「長崎県中近世城館跡分布調査報告書Ⅱ(詳説編)」から転載させて頂いております。




所在地
これまでご紹介した写真の撮影場所をマークしてみました。写真説明の丸囲み番号と一致させています。



最後まで見て頂きましてありがとうございました。
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プロフィール

しんこう

Author:しんこう
しんこうといいます。長崎市在住の50歳目前のオヤジです。かみさんと子供2人の4人家族です。よろしくお願いいたします。趣味の山登り、城や地元長崎の様子などについて発信させて頂きます。この屋根瓦は倉敷を訪れた際に、色の組み合わせが綺麗だなぁと思って撮影したものです。

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