大洲・内子・宇和島など 

こんにちは

皆さんGWはいかがお過ごしでしょうか。
僕はGW中盤に愛媛県の西側を旅してきました。旅といっても主な目的は城なんですがね。
大洲城、木蝋で有名な内子の古い町並み、宇和島城と北宇和郡にある河後森城に行ってきました。
本当は四国からの帰りに佐伯城と臼杵城も登城予定だったのですが、雨のため、あきらめました(T_T)


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01 肘川を挟んだ対岸から眺めた大洲城。僕にとって城としての天守はそれほど重要なものではありませんが、この写真を見ると、町として天守はあるのとないのではぜんぜん違うように思います。故郷の重要なランドマークなのではと。


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02 大洲城の石垣。しっかりと横矢があります。再建天守や現存4櫓以外でも、石垣も見どころが多いです。


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03 天守だけでなく、櫓と一緒だと迫力があります。


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04 この石垣は大洲城のものではありません。大洲城から歩いて十数分の場所にある臥龍山荘の石垣です。入ってすぐ積み方が異なる3種類の石垣に目を奪われました。


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05 大洲を後にして内子へ。内子は木蝋の生産で栄えた歴史を持つ、白壁の古い町並みで知られる町です。木蝋を海外に輸出し財を成した贅沢な家屋を鑑賞できます。


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06 上芳我邸(木蝋資料館)


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07 佐野薬局(商いと暮らし博物館)の電話ボックス? 電話番号は13番。


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08 桝形。城下町にはよく見られますが、商いの町にはあんまり記憶がありません。

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09 次に宇和島へ移動。宇和島城は搦手側から登城。上り立ち門。


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10 上り立ち門をくぐり登城。登城道は何回も折れがあり、簡単には入れてくれませんね。立派な石垣です。


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11 登城道の途中、代右衛門丸の高い石垣が視界に入ります。写真右下は式部丸。現在、代右衛門丸は立入禁止です。残念。


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12 しばらく登城道を登ると長門丸へ。写真は長門丸の石垣。立派な石垣が組まれています。僕の宇和島城のイメージは古風な天守が強調されていましたが、各曲輪や石垣も天守以上に見応えがあります。


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13 僕の好きな場所の一つ。雷門付近と雷門へ至る階段。趣があると思います。


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14 雷門付近。階段を上ると、右へ折れ、更に左へと入る構造になっています。


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15 二の門あたりからの眺めです。本丸にはぽつんと天守があるだけで写真を撮っても絵になりません。石垣と併せて撮ってみました。


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16 続いて河後森城。本郭からの眺めです。河後森城へは宇和島駅から50分程電車に乗り、松丸駅で降りると、歩いて20分程で河後森城に取り付くことができます。
河後森城は国指定史跡で案内板や登城道などが整備されており、山城にしては最寄りの駅からのアクセスが良く、非常にお勧めの城です。


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17 東第四郭と古第二郭を分かつ堀切。おそらく発掘前は相当埋まっていたと思いますが、発掘整備のおかげで明瞭な遺構を鑑賞できます。また、この堀切には虎口があったようです。


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18 本郭。それほど広くはないですが、郭の中央に幅いっぱいに建物が建てられていたようです。また、手前のグレーの四角い場所にも建物が建っていたようです


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19 子供たち手作りの説明板。なかなか良く書かれています。


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20 本郭西側の石積みの様子です。見どころの一つです。築城当初は堀切だったようですが、後世に改変されたようです。


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21 西第十郭。西第十郭は南東に延びる稜線の突端にあります。東側と南側に土塁が再現されており、中央に掘立柱建物が再建され、中に馬の模型があります。


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22 河後森城の最寄り駅の松丸駅から宇和島駅へ戻ります。変わったカラーリングの電車が到着しました。


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23 車内には、海洋堂監修?の河童をテーマに応募されたジオラマが飾られていました。左端の河童の人形がたまに話し出します。


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24 夕食はちゃんぽん。ちゃんぽんは大好きで、各地にでかけると地元のちゃんぽんを食します。八幡浜が積極的に地元のちゃんぽんをPRしていましたが、このちゃんぽんは宇和島で食べたものです。長崎のものよりあっさしてして食べやすいです。宇和島は港町なのでエビ、イカなどの海産物を少々期待していましたが、海産物は入っていませんでした。なぜかな。


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25 最後におみやげはタルト。まだ開封していないので、味はわかりません。

最後まで見て頂きましてありがとうございましたm(_ _)m

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名護屋城・陣跡 ~徳川家康陣跡~ 

こんにちは、天気いいですねぇ、今日は概ね日本全国で晴れの天気のようです。
長崎県美術館では先週から大江戸展と題して、葛飾北斎・富嶽三十六景や鈴木其一・風神雷神図襖などを展示した特別展が開催され、江戸時代に開花した美意識を堪能してきました。

さて、名護屋城陣跡の四回目は徳川家康陣跡です。徳川家康が昔この地にいたというだけで、少々興奮してしまいます。
徳川家康陣は名護屋城の東に二か所あり、ここと、名護屋浦を挟んだ対岸に別陣があります。


①D70_7587
①徳川家康陣跡近景。小高い丘の上に築かれていたようです。

②D70_7559 (1)
②陣の南側に設置されている徳川家康陣跡の碑と説明版。左側の林が主郭、右側が南郭と呼ばれています。南郭は現在保育園になっています。

③D70_7555 (1)
③説明版

④D70_7556 (1)
④説明版は主郭と南郭との境目に設定されています。

⑤D70_7589
⑤主郭は石垣で囲われていたようですが、植物に覆われていて中央付近にわずかに顔を出しています。

⑥D70_7560 (1)
⑥保育士さんにお断りをいれて、主郭南側の石垣の様子を鑑賞。保育士さんとお話させて頂きましたが、あまりご存知でない様子でした。思いのほか立派な切り石を発見。

⑦D70_7563 (1)
⑦主郭に登ってみましたが、このとおり。もしかして、保育園の運動会に使われているのかもしれません。

⑧D70_7566
⑧石碑がありました。

⑨D70_7574
⑨主郭北側に説明版がありました。

⑩D70_7575
⑩説明版を拡大してみました。昔の絵図があれば少しはイメージが膨らみます。

⑪D70_7581
⑪主郭北西の入り口。ミラーの奥に石積みが残されていますが、往時のものか不明。

場所

最後まで見て頂きありがとうございました。

名護屋城・陣跡 ~島津義弘陣跡~ 

こんにちは、名古屋から長崎に戻ってきて、だいぶ落ち着いてきたので、昨日は佐賀県にある名護屋城の陣跡に行ってきました。


名護屋城は、豊臣秀吉の朝鮮出兵(文禄・慶長の役)の際に、出兵拠点として築かれた城です。周囲には130を超える日本全国から集まった大名の陣屋が築かれていました。


現在では、多くが宅地や畑地になっているため、遺構が消滅している陣跡もあるようですが、手が入っていない陣跡には曲輪や土塁、石垣などが残されています。


昨日は数か所の陣跡に登城してきましたが、まずは島津義弘陣跡から紹介します。

①D70_7261
主郭石垣。


②D70_7272
入口です。当日は九州オルレという自然や史跡などを観光するトレッキングが行われていました。



③D70_7268 
入口からしばらく歩くと案内板がありました。



④D70_7257 主郭付近の様子。
無数の石がゴロゴロしています。



⑤D70_7258 おおむね曲輪の境に沿って土塁、石積みがみられます。



⑥D70_7264 ここにも。



⑦D70_7286 この付近は海岸に近く、低い石が海岸線に沿って積まれています。



⑧D70_7292 主郭の隅部。この付近は立派な石垣が散見されます。



⑨D70_7296 前の写真から右に進むと1mから2mの高さの石垣が続きます。



⑩D70_7317 名護屋城近辺は広い平地が少なく、どうしても丘陵地に作らざるを得ないため、段々になった複数の曲輪が築かれています。



⑪D70_7303 陣跡をうろうろしていると、道路に出てきました。写真の左は島津義弘陣跡で、右の林にちょっと足を踏み入れてみると、



⑫D70_7306 ここにも石積みを発見。



⑬D70_7310 そしてここにも石積みを見つけました。おそらく名護屋城を含めてこの半島全域は遺構の塊なんだろうと思います。



⑭D70_7236 主郭の石碑。



⑮D70_7330 島津義弘陣跡には駐車場が隣接しています。ただ、入口はぐるっと逆側に回る必要があります。



⑯20180217_150017 島津義弘陣跡近くに波戸岬があります。波戸岬にはサザエのつぼ焼きを食べさせてくれる小屋があるのですが、30年ぶり位に入ってみました。サザエ以外にもカキやイカもありますが、今回は定番のサザエとカキを食してみました。う~ん、やはりウマいです。この二皿で1,000円也(写真以外に大きめのカキがもう一つ付きます)



⑰D70_7365 小屋はこんな感じで、複数のお店が長屋の中に入っています。



場所


ギャラリー


最後まで見て頂きありがとうございましたm(_ _)m

大給城(愛知県豊田市)その1 ~名古屋勤務シリーズ~ 

こんにちは、先週末から更に寒くなりましたね。週末もすっきりした天気にならずお出かけもままならない感じですが、今日は岐阜基地航空祭に会社の仲間とでかけてきました。4年ぶりのブルーインパルスの飛行とのことでした。写真も少しだけアップさせて頂きます。

さて航空祭はさておき、今回は愛知県豊田市の大給城のご紹介です。大給って「おぎゅう」って読みます。最初は読めませんでした^_^; 
大給城は大給松平氏の居城で、付近には松平城や松平氏館など、徳川家ゆかりの遺構数多くあり、以前からこの地域は訪問してみたいと思っていました。中でも大給城は、深い空堀に多数の石積に巨大な取水施設がありぜひとも登城したお城のひとつでした。
案の定見どころ一杯でしたので、二回シリーズでのご紹介となります。よろしければご鑑賞下さい。

大給城は、もと土豪長坂新左衛門の城であったが、岩津(岡崎市)に進出した松平宗家三代の信光が攻略し、三男親忠(松平宗家四代)に与えた。親忠は細川城(岡崎市)とともにこれを次男乗元に譲り、乗元が大給松平氏の初代となった。大給松平二代乗正は永正七年(1510年)までに城の大修築を行った。以後、乗勝、親乗、真乗、と続き、天正十八年(1590年)六代家乗のとき徳川家康の関東への国変えに伴って上野国(現群馬県)に移り、大給城は廃城となった。(案内板より、豊田市教育委員会)

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01 登城口から歩いて数分のところに駐車場があります。3,4台ぐらいしか停めれなかったと思います。

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02 道路脇に登城口があります。案内板もあって迷うことはなさそうです。

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03 気持ちのいい登城道を進みます。

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04 しばらく登ると分かれ道。左に行くと大給城。右に行くと松平乗元の墓へ。松平乗元の墓へはすぐなので行ってみることに。

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05 右が今登ってきた道。左奥が松平乗元の墓です。

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06 松平乗元の墓

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07 門扉には三つ葉葵

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08 松平乗元の墓を後にして、大給城へ。正面に虎口。左に石碑と空堀が見えます。

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09 縄張り図

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10 空堀

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11 空堀の石積み

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12 写真8の正面虎口を左に折れたところです。かなり埋まっていますが往時は門が設えていたと思われます。

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13 写真12の虎口を入り振り返ったところです。右奥の土塁上には櫓があったとのこと。

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14 写真13の櫓台から虎口を見下ろしたところです。

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15 虎口を過ぎるとすぐ右に、主郭東に一段下がった2郭の虎口が現れます。この虎口に折れはないようです。

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16 2郭の様子。土塁は明瞭に残されています。

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17 2郭東側の土塁の様子。

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18 2郭を後にして取水施設と考えられている水の手曲輪へ向かいます。途中、大給城東端にある帯郭を進むと、石積みの残る土塁にぶつかります。帯郭の移動を遮る目的なのでしょうか。このような遮断物はあんまりみたことがないです。

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19 18の土塁手前には堀切も作られていて、遮断効果を高めています。

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20 更に進むと水の手曲輪は直ぐですが、途中にも石積を残す土塁などが残されていて興味は尽きません。

<おまけ>岐阜基地航空祭

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エアロバティック・パイロット室屋義秀氏のエクストラ300

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ブルーインパルス

大給城の場所・駐車場・登城口


最後見て頂きありがとうございました。

岩村城(岐阜県恵那市) ~名古屋勤務シリーズ~ 


こんにちは、ブログにスポンサーサイトが登場してしまい、久しぶりの投稿になってしまいました。
だんだん寒くなってきましたね。長崎から名古屋にきて早三か月が過ぎ、長崎では草木が枯れ、クモや蜂が姿を消す、これからの時期が山城めぐりのシーズンになるのですが、東海地方はどうなんでしょうか。特に岐阜県の山間部はなんだか寒そうです。

さて、苗木城に続き今回ご紹介するのは岩村城。どちらの城も比較的近いのでセットで登城される方が多いと思います。
岩村城は備中松山城、大和高取城と共に三大山城と呼ばれており、名に恥じない、おすすめのお城です。

岩村城といえば、信長の叔母・女城主の城です。岩村城の城下町も女城主をキャッチフレーズに集客を図ろうとしていますが、もちろん大河の直虎ではありません。
元亀3年(1572年)武田信玄の家臣・秋山信友から攻められ、4ヶ月を超す籠城戦で和睦し、信長の叔母は信友と結婚し、遠山氏の養子となっていた信長の第四子御坊丸は人質として甲府へ送られました。
天正3年(1575年)織田・徳川の連合軍は長篠の戦いで武田勝頼を破ると、信長は嫡男信忠に岩村城を攻めさせ、開城となりました。
開城の条件は、籠城兵の助命であったが、信長は籠城兵を皆殺しにし、叔母を許さず、逆さ磔刑に処せられた、悲しい出来事を持つ城として有名です。

岩村城の見どころはやはり石垣群で、本丸虎口の六段壁が有名なのですが、六段壁のほかにも、麓の居館跡から続く登城道はよく遺構が残り、往時の雰囲気をかみしめつつ本丸に進むとよいと思いますし、本丸埋門付近の何回もクランクした石垣は興味深いです。


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01 苗木城から移動する場合は、中津川駅からJRで恵那駅で降り、明智鉄道に乗り換えます。どこも地方鉄道は知恵を絞って集客にがんばっていますが、今回乗る電車の1両は食事を楽しみながらの企画列車のようでした。

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02 岩村城下の様子。ここは伝統的建造物群保存地区となっているようで、古い建物も残り、町ぐるみで街並み整備に取り組んでいるようです。

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03 岩村駅を城下町に沿って東に向かうと写真右側の居館跡に着きます。太鼓櫓がお出迎えです。

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04 更に登ると登城口。草に隠れていますが石碑もあります。

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05 美しく曲がったこの場所は初門と呼ばれています。有事の際は門を建てて通行を遮断するようです。

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06 更に登ると一の門が見えてきます。二層の櫓門があったそうです。

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07 まだまだ登ると土岐門に到着。礎石は角がシャープで今まさに門を撤去したばかりのようです。写真撮影した場所付近は、古図で狭間付きの土塀が描かれており、土岐門まで来た敵兵は側面から狙い撃ちされます。

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08 土岐門を過ぎしばらく歩くと畳橋。左の石垣から中央の石垣に畳橋と呼ばれる木橋が渡されていたようです。現在は木橋は無いので、道なりに進むと中央の石垣上に登ることができます。

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09 八幡曲輪の虎口が見えてきました。

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10 八幡曲輪の虎口の右側の石垣。反り上がっていて鋭いです。門があってもよさそうですが、無かったようです。

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11 八幡神社に至る階段。

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12 更に進む奥に見えてきました。

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13 有名な六段壁。正面より石段がより重層的に見えるこの角度が好きです。

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14 六段壁右の階段を登っていくと長局埋門跡が見えてきます。かっこいいです。

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15 長局埋門虎口。真っ直ぐには入れてくれませんね。


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16 長局埋門の礎石。きれいに残っています。

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17 長局埋門を入り左に折れ、すぐに右に折れると、桝形にあたります。まだ本丸には入れません。

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18 写真17番の桝形を本丸から見下ろしてみました。

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19 ようやく本丸到着

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20 本丸北側の虎口。どの虎口もしつこいくらいの折れ。

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21 本丸石垣を北側帯曲輪から眺めてみました。

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22 写真20番を真っ直ぐ進んで左に折れたところです。勝手口のような虎口は生活感があって好きです。

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23 写真22番の虎口を出て左に折れたところです。この折れ具合が楽しいです。

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24 埋門跡。櫓門が設えていたようです。

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25 岩村城南側の尾根を断ち切った堀切。中世時代の遺構とのこと。

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26 本丸東下の曲輪のきれいなカーブを描いた石垣。石垣に沿って進むと六段壁が見えてきます。

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27 一応有名なアングルでパチリ。

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28 最後に藩主邸跡から眺めた旧岩村城下の街並み。

岩村城の場所

最後まで見て頂きありがとうございました。
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プロフィール

しんこう

Author:しんこう
しんこうといいます。長崎市在住の50歳目前のオヤジです。かみさんと子供2人の4人家族です。よろしくお願いいたします。趣味の山登り、城や地元長崎の様子などについて発信させて頂きます。この屋根瓦は倉敷を訪れた際に、色の組み合わせが綺麗だなぁと思って撮影したものです。

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