大給城(愛知県豊田市)その1 ~名古屋勤務シリーズ~ 

こんにちは、先週末から更に寒くなりましたね。週末もすっきりした天気にならずお出かけもままならない感じですが、今日は岐阜基地航空祭に会社の仲間とでかけてきました。4年ぶりのブルーインパルスの飛行とのことでした。写真も少しだけアップさせて頂きます。

さて航空祭はさておき、今回は愛知県豊田市の大給城のご紹介です。大給って「おぎゅう」って読みます。最初は読めませんでした^_^; 
大給城は大給松平氏の居城で、付近には松平城や松平氏館など、徳川家ゆかりの遺構数多くあり、以前からこの地域は訪問してみたいと思っていました。中でも大給城は、深い空堀に多数の石積に巨大な取水施設がありぜひとも登城したお城のひとつでした。
案の定見どころ一杯でしたので、二回シリーズでのご紹介となります。よろしければご鑑賞下さい。

大給城は、もと土豪長坂新左衛門の城であったが、岩津(岡崎市)に進出した松平宗家三代の信光が攻略し、三男親忠(松平宗家四代)に与えた。親忠は細川城(岡崎市)とともにこれを次男乗元に譲り、乗元が大給松平氏の初代となった。大給松平二代乗正は永正七年(1510年)までに城の大修築を行った。以後、乗勝、親乗、真乗、と続き、天正十八年(1590年)六代家乗のとき徳川家康の関東への国変えに伴って上野国(現群馬県)に移り、大給城は廃城となった。(案内板より、豊田市教育委員会)

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01 登城口から歩いて数分のところに駐車場があります。3,4台ぐらいしか停めれなかったと思います。

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02 道路脇に登城口があります。案内板もあって迷うことはなさそうです。

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03 気持ちのいい登城道を進みます。

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04 しばらく登ると分かれ道。左に行くと大給城。右に行くと松平乗元の墓へ。松平乗元の墓へはすぐなので行ってみることに。

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05 右が今登ってきた道。左奥が松平乗元の墓です。

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06 松平乗元の墓

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07 門扉には三つ葉葵

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08 松平乗元の墓を後にして、大給城へ。正面に虎口。左に石碑と空堀が見えます。

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09 縄張り図

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10 空堀

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11 空堀の石積み

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12 写真8の正面虎口を左に折れたところです。かなり埋まっていますが往時は門が設えていたと思われます。

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13 写真12の虎口を入り振り返ったところです。右奥の土塁上には櫓があったとのこと。

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14 写真13の櫓台から虎口を見下ろしたところです。

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15 虎口を過ぎるとすぐ右に、主郭東に一段下がった2郭の虎口が現れます。この虎口に折れはないようです。

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16 2郭の様子。土塁は明瞭に残されています。

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17 2郭東側の土塁の様子。

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18 2郭を後にして取水施設と考えられている水の手曲輪へ向かいます。途中、大給城東端にある帯郭を進むと、石積みの残る土塁にぶつかります。帯郭の移動を遮る目的なのでしょうか。このような遮断物はあんまりみたことがないです。

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19 18の土塁手前には堀切も作られていて、遮断効果を高めています。

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20 更に進むと水の手曲輪は直ぐですが、途中にも石積を残す土塁などが残されていて興味は尽きません。

<おまけ>岐阜基地航空祭

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エアロバティック・パイロット室屋義秀氏のエクストラ300

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ブルーインパルス

大給城の場所・駐車場・登城口


最後見て頂きありがとうございました。

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岩村城(岐阜県恵那市) ~名古屋勤務シリーズ~ 


こんにちは、ブログにスポンサーサイトが登場してしまい、久しぶりの投稿になってしまいました。
だんだん寒くなってきましたね。長崎から名古屋にきて早三か月が過ぎ、長崎では草木が枯れ、クモや蜂が姿を消す、これからの時期が山城めぐりのシーズンになるのですが、東海地方はどうなんでしょうか。特に岐阜県の山間部はなんだか寒そうです。

さて、苗木城に続き今回ご紹介するのは岩村城。どちらの城も比較的近いのでセットで登城される方が多いと思います。
岩村城は備中松山城、大和高取城と共に三大山城と呼ばれており、名に恥じない、おすすめのお城です。

岩村城といえば、信長の叔母・女城主の城です。岩村城の城下町も女城主をキャッチフレーズに集客を図ろうとしていますが、もちろん大河の直虎ではありません。
元亀3年(1572年)武田信玄の家臣・秋山信友から攻められ、4ヶ月を超す籠城戦で和睦し、信長の叔母は信友と結婚し、遠山氏の養子となっていた信長の第四子御坊丸は人質として甲府へ送られました。
天正3年(1575年)織田・徳川の連合軍は長篠の戦いで武田勝頼を破ると、信長は嫡男信忠に岩村城を攻めさせ、開城となりました。
開城の条件は、籠城兵の助命であったが、信長は籠城兵を皆殺しにし、叔母を許さず、逆さ磔刑に処せられた、悲しい出来事を持つ城として有名です。

岩村城の見どころはやはり石垣群で、本丸虎口の六段壁が有名なのですが、六段壁のほかにも、麓の居館跡から続く登城道はよく遺構が残り、往時の雰囲気をかみしめつつ本丸に進むとよいと思いますし、本丸埋門付近の何回もクランクした石垣は興味深いです。


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01 苗木城から移動する場合は、中津川駅からJRで恵那駅で降り、明智鉄道に乗り換えます。どこも地方鉄道は知恵を絞って集客にがんばっていますが、今回乗る電車の1両は食事を楽しみながらの企画列車のようでした。

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02 岩村城下の様子。ここは伝統的建造物群保存地区となっているようで、古い建物も残り、町ぐるみで街並み整備に取り組んでいるようです。

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03 岩村駅を城下町に沿って東に向かうと写真右側の居館跡に着きます。太鼓櫓がお出迎えです。

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04 更に登ると登城口。草に隠れていますが石碑もあります。

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05 美しく曲がったこの場所は初門と呼ばれています。有事の際は門を建てて通行を遮断するようです。

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06 更に登ると一の門が見えてきます。二層の櫓門があったそうです。

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07 まだまだ登ると土岐門に到着。礎石は角がシャープで今まさに門を撤去したばかりのようです。写真撮影した場所付近は、古図で狭間付きの土塀が描かれており、土岐門まで来た敵兵は側面から狙い撃ちされます。

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08 土岐門を過ぎしばらく歩くと畳橋。左の石垣から中央の石垣に畳橋と呼ばれる木橋が渡されていたようです。現在は木橋は無いので、道なりに進むと中央の石垣上に登ることができます。

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09 八幡曲輪の虎口が見えてきました。

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10 八幡曲輪の虎口の右側の石垣。反り上がっていて鋭いです。門があってもよさそうですが、無かったようです。

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11 八幡神社に至る階段。

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12 更に進む奥に見えてきました。

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13 有名な六段壁。正面より石段がより重層的に見えるこの角度が好きです。

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14 六段壁右の階段を登っていくと長局埋門跡が見えてきます。かっこいいです。

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15 長局埋門虎口。真っ直ぐには入れてくれませんね。


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16 長局埋門の礎石。きれいに残っています。

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17 長局埋門を入り左に折れ、すぐに右に折れると、桝形にあたります。まだ本丸には入れません。

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18 写真17番の桝形を本丸から見下ろしてみました。

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19 ようやく本丸到着

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20 本丸北側の虎口。どの虎口もしつこいくらいの折れ。

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21 本丸石垣を北側帯曲輪から眺めてみました。

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22 写真20番を真っ直ぐ進んで左に折れたところです。勝手口のような虎口は生活感があって好きです。

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23 写真22番の虎口を出て左に折れたところです。この折れ具合が楽しいです。

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24 埋門跡。櫓門が設えていたようです。

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25 岩村城南側の尾根を断ち切った堀切。中世時代の遺構とのこと。

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26 本丸東下の曲輪のきれいなカーブを描いた石垣。石垣に沿って進むと六段壁が見えてきます。

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27 一応有名なアングルでパチリ。

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28 最後に藩主邸跡から眺めた旧岩村城下の街並み。

岩村城の場所

最後まで見て頂きありがとうございました。

苗木城(岐阜県中津川市) その3 <名古屋勤務シリーズ> 

こんにちは、長崎から名古屋に来て大体3か月。休日出勤の無い週末は土曜日にお出かけ、日曜日は休養日といったリズムが定着しつつあります。

で、名古屋の方と話してたら「関宿は、いいよぉ~」とのことでしたので、昨日土曜日は三重県伊賀・亀山方面におでかけしてきました。関宿はもちろん、伊賀市の伊賀上野城、亀山市の鹿伏兎城(かぶとじょう)と関宿近くの新所城(しんじょじょう)に登城。新所城は毎度の事前調査不足で1/3程度しか鑑賞できず、正法寺山荘と併せてまた来なければ。

さて、苗木城の最終回は本丸を降り、二ノ丸から本丸直下を一周して、駈門、北門を鑑賞して下山します。

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01 本丸を降り二の丸を散策します。写真は的場跡。本丸直下にもありましたが、二の丸にも設けられていたようです。
また、二ノ丸には御殿が建っていたのですが、どういうわけか見逃してしまったようで残念!

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02 不明門。二階建ての門が建っていたようで、普段は締め切られていたようです。

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03 不明門を外から眺めたところです。幅が狭いです。不明門から外に続く道は藪化してよくわかりませんでした。

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04 八大竜王社。隣の巨石が気になります。八大竜王社は往時のものでなく、明治以降に移設されたものとのこと。すぐ近くに清水門があります。

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05 本丸下をぐるりと一周します。八大竜王社を更に進むと、階段状の石積がみられます。おそらく倉庫代わりの櫓が建てられていたものと思われます。

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06 牢屋跡。写真05の場所からぐるりと牢屋跡までいけそうだったのですが、よくわからず、一旦本丸直下の的場跡へ出て、牢屋跡に至ります。写真の岩の上に建てられていたとのこと。

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07 苗木城唯一の牢屋で、明治初年に起きた苗木藩の政争で多くの武士が収監されたようです。


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08 駈門。かける門と読むようで最初は読めませんでした^^; 意味を調べてみると、「馬にむちをあてて走らせる」ということなので、急ぎの時には、この門から馬を走らせたのでしょうか。見ての通り桝形の立派な門です。この門が大手ではないかと思わせます。

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09 駈門の石垣。崩れていますが、往時は立派な櫓門が設けられていたと思います。

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10 駈門を外から眺めてみました。城下町は風吹門の方向なので、大手は風吹門だと思うのですが、それにしても立派な門です。


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11 駈門を下ると竹門があります。この竹門を通らず、右折して北門からも入城できるようです。

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12 竹門は二か所目です。門が竹で作られていたようです。

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13 礎石も残されています。北門へ向かいます。

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14 北門を外から眺めてみました。

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15 北門。

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16 風吹門からみて北側にあったので北門らしいです。城全体から見ても北側に位置しています。絵図の通り簡素な作りで、門番はいなかったようです。この北門を抜けても風吹門が待っているので、門番は不要だったようです。


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17 北門を過ぎると、大矢倉下に至ります。大矢倉の石垣で苗木城はお別れです。

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18 帰りは苗木バス停からバスで中津川駅に戻ります。苗木バス停は苗木遠山史料館から歩いて20分程度です。途中城下町を通るので、古い建物も鑑賞しながらバス停に向かうと良いと思います。中津川駅行きのバスは概ね30分から1時間半に1本程度です。15分程度で中津川駅に着き、料金は390円でした。苗木バス停を地図に記載しておきましたのでご参考にされてください。

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19 苗木遠山史料館から苗木バス停までに古い建物が見られます。なまこ壁の蔵ですが、江戸後期以降の建築でしょうね。

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20 説明板によると、「旧苗木藩主遠山家の近代の屋敷です。明治以降、遠山家は華族として東京へ移られましたが、明治二十二年に苗木に戻られました。その後は、旧家臣らの助力を得て、明治末~大正元年に建築されたものです。」とあります。

苗木城の場所

最後まで見て頂きありがとうございました。
次回は岩村城の予定です。

苗木城(岐阜県中津川市) その2 <名古屋勤務シリーズ> 

こんにちは、今週末はいい天気になりました♪ 昨日はトヨタ自動車の町豊田市へ行ってきました。もちろん行先は城なんですが、愛知県で二か所指定されている重要伝統的建造物群保存地区の一つ「足助」も併せて訪問させて頂きました。足助の町は、塩を信州へ運んだ伊那街道の宿場町で、古い家並みが残されています。
今回の楽しみは大給城(おぎゅうじょう)と足助城(あすけじょう)。大給城の見どころは水の手曲輪と呼ばれる大規模な取水施設。主な目的は水の確保だと思いますが、神籠石山城にあるような石積の水門もあり、この施設だけでも行く価値があると思いました。
足助城は、発掘調査に基づき建物や門などの復元がされている数少ない戦国時代の山城です。

さて、前回に続いて苗木城の第二回は坂下門から。いよいよ本丸への登城です。


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01 坂下門。手前の礎石もしっかり残っています。その先の登城道左はちょっとした倉庫を建ててもよさそうです。

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02 菱櫓門。坂下門からちょっと歩くとまた門が。門が多くて防備が厳重です。本丸へはジグザクに登りますが、姫路城の「はの門」や「にの門」あたりも確か複数の門に狭い道をジグザグに登って登城したような。


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03 菱櫓門のすぐ先は折り返しになっています。

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04 折り返しを登ると本丸石垣と千石井戸が現れます。真直ぐ行くと天守方面へ、左へは的場跡へ行けます。

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05 千石井戸。

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06 苗木城内の井戸で一番高いところにあり、どんな日照りでも水が枯れることはなかったとのこと。


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07 的場跡。写真奥に土を盛っていて弓や鉄砲の的にしたのでしょうか。

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08 本丸口門。文字通りここからが本丸。

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09 武器蔵、具足蔵。

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10 礎石、縁石は往時のままとのこと。


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11 武器蔵を過ぎると左上の頭上に天守台が現れます。天守台下に登城道が見えていますが帰りに利用します。行きは南側(写真右方面)の馬洗石から登城します。

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12 写真11番からすぐのところに三つの分かれ道。左へは玄関口門へ(写真11番の登城道へ)、中央は馬洗石を経由して天守台へ、右は笠置矢倉へ。笠置矢倉へ行ってみます。

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13 笠置矢倉。写真奥に天守台が見えます。

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14 笠置矢倉からの眺め。概ね西側の景色です。

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15 笠置矢倉を後にして、天守台へ向かいます。左の巨石が馬洗岩です。かつて苗木城が敵に攻められ敵に水の手を切られた時に、この岩の上に馬を乗せ、米にて馬を洗い、水が豊富であるかのように敵を欺いたことが名前の由来とのこと。米を使って水があるかのように見せるのは、多くの城で残されていますね。
中央の階段で天守台に向かいます。

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16 写真15番から階段を上るともうすぐ天守台です。自然石を利用しながらきれいに石を組んでいます。大手にあるような大きな虎口もいいんですが、僕は裏口にあたる通常の生活のにおいがするような虎口も好きなのです。


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17 左は天守台。木組みで展望台が設えられています。

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18 天守台からの眺め。写真中央の木曽川と奥のほうには南アルプスが見てえいるのでしょうか。

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19 本丸から眺めた大矢倉を眺めてみました。


「苗木城 その3」に続きます

苗木城の場所

最後まで見て頂きありがとございました。

苗木城(岐阜県中津川市) その1 <名古屋勤務シリーズ> 

こんにちは、せっかくの三連休ですがあいにくの雨ですね。滋賀・京都に観光の予定だったのですが中止やむなしです。

さて、9月に入って念願の苗木城、岩村城に登城してきました。何れも天守や櫓は無いものの、石垣がすばらしく、改変が少ない往時の雰囲気を残す、すばらしい山城です。
まずは苗木城からの紹介になりますが、見どころが多く3回シリーズとなりますので、よろしければお付き合いください。

苗木城は、天文年間(1532年~1555年)に遠山三人衆の一人遠山直廉(なおかど)の時代に築城されたと伝えられています。
直廉の養子の友忠は織田、豊臣、徳川の勢力争いに巻き込まれ、天正10年(1582年)に森長可より攻められ落城、川尻秀隆が入城ししましたが、関ケ原で東軍に与した友忠とその子の友政が苗木城を取り返し、その後12代に渡り苗木を治めました。


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01 大矢倉から本丸への眺めです。写真奥の高台が本丸。

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02 中津川駅前。マイカーがないので公共交通機関での登城になります。中津川駅から苗木城の登城口となる苗木遠山資料館までタクシーで移動することにしました。所用時間は大体10分程度で2310円かかりました。帰りはバスの予定です。

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03 苗木遠山資料館。まだ8時前後だったのでまだ空いていませんでした。車でこられる方はここ資料館にも停められますが、更に登り竹門手前の駐車場も台数が少ないものの駐車可能です。

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04 竹門手前にある倉庫の側面に描かれている案内板。

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05 竹門傍そばに設置されている石碑。

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06 竹門正面。

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07 竹門を過ぎると真っ直ぐな登城道。石畳は往時のものか不明ですが雰囲気があります。右側は足軽長屋跡へ。

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08 途中にある大岩と石垣

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09 風吹門。門の周りには櫓があったんだろうなと想像膨らませながら登ります。

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10 風吹門を外から向かって左側の石垣。立体的な石垣の構図が美しいと思います。

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11 大矢倉。城の北側や風吹門の防備のために高い石垣が組まれています。

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12 大矢倉の階段を登り上がったところです。

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13 大矢倉の石垣最上段。向こう側に天守台が写っています。左下は大矢倉の穴蔵。

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14 奥に写っているのは風吹門の石垣。きっと櫓が建てられていたのでしょう。

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15 石碑。

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16 大門。文字通り城内で最大の門と言われています。

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17 大門を抜けると二ノ丸に至ります。中央の石垣の上には朱印状など収める御朱印蔵があったとされています。

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18 綿蔵門。本丸に至ります。写真右下わずかに写っているのは二の丸。

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19 綿蔵門の説明板。門の二階には真綿を保管していたとのこと。

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20 綿蔵門の礎石。苗木城は門の礎石が良好に残っています。礎石があれば、どんな門が建っていたのか想像するのも楽しいものです。

 「苗木城 その2」に続きます

苗木城の場所

最後まで見て頂きありがとございました。

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しんこう

Author:しんこう
しんこうといいます。長崎市在住の50歳目前のオヤジです。かみさんと子供2人の4人家族です。よろしくお願いいたします。趣味の山登り、城や地元長崎の様子などについて発信させて頂きます。この屋根瓦は倉敷を訪れた際に、色の組み合わせが綺麗だなぁと思って撮影したものです。

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