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原爆の日 

昨日は8月9日長崎原爆の日でした。

僕は小さいころ、原爆落下中心地に程近い坂本町というところに住んでいました。

その頃は昭和40年代から50年代ですので、もう原爆の遺構はほとんどありませんが、それでも、あちらこちらに遺構は残っていました。
たとえば、片足鳥居があります。この片足鳥居とは、爆風で鳥居の左半分だけ吹き飛ばされたものです。岩川町にある山王公園に遊びに行くときにはよく通っていったものです。倒壊したもう片方の鳥居も傍らに置かれています。
また、片足鳥居の近くには山王神社があり、被爆クスの木があります。今年元日に初詣を兼ねて訪れましたが、痛々しい修復の跡が残っていて、悲しい思いがしました。
そして、浦上天主堂の鐘楼。原爆投下の爆風で鐘楼は吹き飛ばされ、地面に落ちたものがそのまま残されています。当時、すごく恐ろしかった記憶があります。この記憶もかなり昔のものなので、今はどうなっているか定かではありません。
その後、僕は引越しをして城山小学校に転校しましたが、この城山小学校には被爆校舎が残されており、当時階段部分の校舎の記憶がありますが、現在、どのようになっているかはわかりません。
その後、長崎の会社に就職しましたが、なぜか、広島に通算約5年滞在し、原爆との繋がりを感じます。

普段、日常の忙しさに埋没して、あまり原爆のことを考えることは少ないですが、この8月9日の原爆の日は、当時の惨劇のことを考え、この惨劇を今後どのように繋げる必要があるかを考えるよい機会と考えます。

この人類史上稀に見る惨禍に見舞われた方々のことを思い、合唱


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しんこう

Author:しんこう
山中に忽然と現れる山城の石垣に衝撃を受け山城巡りがライフワークになりました。城巡りをはじめたころ登城口や駐車場などがわからず城を目の前に退却する始末に、城めぐりされる方ができるだけ困らぬようゆる~くお城のご紹介をさせて頂きます。ちなみに「しんこう」とは小学生の時のあだ名です。
よろしくお願い致しますm(_ _)m

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