石垣の美 高城(長崎県諫早市) 

8月も明日で終わりです。同時に夏休みも終わり子供達もそわそわ。会社の同僚の中では涼しく感じられるとの会話も聞き及んでいますが、最近の仕事の忙しさで心の余裕もなく、季節の変化も感じられなくなっていきている今日この頃です-_-;
8月も終わると長崎では秋の大祭、長崎くんちを前に、少々落ち着かなくなる時期です。長崎くんちは、長崎の氏神、諏訪神社の大祭で、10月7日から9日まで3日間開催されます。和風、洋風、中国風が入り混じった長崎らしいお祭りです。龍踊りが有名ですが、個人的には本踊りが面白くて、日本舞踊の中に、コミカルな動きと、軽妙な三味線などの音楽を織り交ぜたもので、つい庭先周り(会社や各家にだしものを披露することです)を追っかけてしまう程です。

さて、7月末に長崎県の諫早市にある「高城(たかしろ)」に登城してきました。

高城は、鎌倉時代末期から南北朝時代にかけて諫早をおさめていた伊佐早氏に変わり、文明年間に西郷氏が進出、築城したのが始まりとのことです。その後、信尚の時代に豊臣秀吉の島津討伐に参陣しなかったため、所領召し上げ、龍造寺家晴に与えられました。家晴の子直孝の時に、諫早と改名するも、佐賀・鍋島藩に組み込まれてしまいます。

高城は、現在、諫早公園として整備されていることから、往時からかなり人手が加わっているようで、あまり往時を偲ぶことができませんでした。

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眼鏡橋です。長崎市のものとは異なり一回り大きい感じです。この眼鏡橋は昭和32年の諫早大水害で、本明川にかけられていたこの橋が流木やがれきをせき止め、被害を拡大したとの指摘がなされたことから、現在の諫早公園に移されたそうです。

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高城(諫早公園)の案内板。

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所々に立派な案内板が設置されています。

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大手門付近ですが、近世城郭にあるような折れ曲がった虎口はありません。

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しばらく登ると折坂虎口に達します。文字通り登り坂を折り曲げ、攻め手の勢いを削ぐ狙いがあります。

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空堀です。左側が本丸方面で、右側には土塁や石塁が造られています。

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ところどころに石塁が散見されますが、これが往時のものか近年作られたものか判別できません。

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武者走りと呼ばれています。空堀の一段上にあり、ここから空堀の敵に向けて弓矢や巨石をおとして攻撃したとのことです。

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本丸。戦に備えて武器や食料を保管していた倉庫があったと伝えられています。

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本丸から諫早市内の眺め。

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本丸北側の階段。本丸曲輪は石垣を一周巡らした総石垣作りと伝えられていますが、残念ですが面影はありません。

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本丸へ至る階段(左)と武者走り(右)。往時の武者走りは人一人が通れる幅だったとのことです。

最後まで見て頂きありがとうございました。
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石垣の美 帯隈山神籠石(佐賀県) 

今日から5日間のお盆休みに入ります。どうやら明日から雨のようですが、毎年8/15に行われる長崎の伝統行事「精霊流し」は雨が心配です。精霊流しは、初盆を迎えた故人の霊を弔うために、盆提灯や造花などで飾られた精霊船を造り、爆竹を鳴らしながら精霊船を曳き、街中を練り歩き極楽浄土へ送り出すというものです。精霊船は複数の船を連結した数十メートルを越える船から、一人で持てる小さな船まで様々です。しめやかな目的とは裏腹に、派手で楽しめる行事なのです。
また、長崎ではお盆の墓参りでも爆竹、ロケット花火(長崎では「やびや」といいます)、小型の打ち上げ花火を上げたりします。県外でそのような話をするとビックリされます。

さて、先月7/20に帯隈山神籠石に行ってきました。帯隈山神籠石は「おぶくまやまこうごいし」と読みます。
神籠石とは、山腹を取り囲むように切石を並べたもので、山の谷部は水が流れ込むため水門があったり、城門跡が確認されている場所もあるようです。当初は、字面の通り、神様が籠る石と書くので、列石の中は神聖な場所として考えられたようですが、発掘の結果、列石は土塁の基礎であることが判明し、現在では山城説が有力となっています。

神籠石は白村江での大敗を機に北九州の防備を固めるために、大野城や基肄城などと同じ6世紀から7世紀にかけて築城されたものと考えられており、西日本から北部九州にかけて十数か所確認されているようです。

帯隈山神籠石は、標高177.3mの帶隈山と南側の丘陵部の腹部を縫うように花崗岩の切石が全長約2.4kmにわたって並べられています。

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帯隈山と神籠池。神籠池は農業用水確保のために作られたため池で、工事中に神籠石が発見されたことにより神籠池と名づけられました。

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県道51号線沿いに案内板が設置されています。

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この道を進むと、神籠池の堤防上にたどり着きます。

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これが神籠石です。土に埋まっていて全体を確認することができませんでした。

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少々拡大したところ。

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引いて写してみました。

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ちょっと角度を変えて。本当はこのような切石が2.4kmにわたって並べられているのですが、土に埋もれていたり、藪が邪魔していたりで、思うように神籠石の確認ができませんでした。

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立派な石碑がありました。

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すぐ近くにも、別の石碑があります。

最後まで見て頂きありがとうございます。

石垣の美 岸岳城(佐賀県) その3 ・波多城ほか 

さっき神戸出張から戻ってきました。でも台風11号接近中のため朝一の神戸→長崎便は欠航-_-;。仕方なくJRで帰ってきました。
九州への直撃は回避され四国方面に進んでいたので、大丈夫だろうと思っていたら欠航でした。でも、会社の同僚は早朝の伊丹→長崎便で帰ってきたらしいので、タイミングが悪かったみたいです。

さて、岸岳城の最終回です。ここ岸岳の麓には波多氏が築城したといわれている波多城と唐津焼発祥地と呼ばれている登窯がありましたので、併せてご紹介します。

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写真の撮影場所を番号で示していますので、よろしければ併せて参照ください。ただ、地図が大雑把な上、不確定な場所もありますので、参考程度に止めておいてください。

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①本丸南東の隅石。

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②本丸南の石垣列。

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③本丸南東の隅石をほぼ正面から撮影。

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④本丸東端。

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⑤本丸北東の隅石。

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⑥本丸北東の隅石をほぼ正面から撮影。お気に入りの一枚なんですけど^_^;

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⑦階段を降りるとすぐに三左衛門殿曲輪に至ります。

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⑧三左衛門殿曲輪です。小規模の櫓を建てるのがせいっぱいの広さです。ここを突破されるとすぐに本丸なので最終防衛ラインになるのでしょうか。

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⑨三左衛門殿曲輪 北側の石垣の様子。

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⑩三左衛門殿曲輪 北側の石垣の様子。

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⑪⑨⑩の石垣を北側から眺めたところ。岸岳城では珍しく石垣に折れがあります。

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⑫三左衛門殿曲輪 北側の石垣の全体。折れの様子がわかります。二の堀切に次ぐ立派な石垣です。

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⑬少しアングルを変えて撮影。

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⑭三左衛門殿曲輪 南隅石垣の様子。南側と違い北側は石垣が綺麗に整備されています。北側付近に登山道があるので、石垣もきれいにしているようです。

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⑮三左衛門殿曲輪 南隅石垣全体の様子。中央は崩れていますね。

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⑯三左衛門殿曲輪を後にして、姫落し岩へ向かいます。

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⑰途中このような巨石がありました。

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⑱そして姫落し岩へ到着。すぐ近くに抜け穴と記念碑も建てられています。

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⑲姫落し岩の前に、抜け穴を確認。

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⑳岸岳城の抜け穴や軍用金を埋蔵した場所とも伝えられているようです。

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21.鬼子嶽末孫之碑。岸岳は別名「鬼子嶽」とも言うようです。「鬼子嶽(岸岳)末孫」については、「石垣の美 岸岳城(佐賀県) その2」23番を参照下さい。

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22.そして、これが「姫落し岩」です。この大岩に上ります。

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23.姫落し岩からの景色①

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24.姫落し岩からの景色②

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25.登城時は1台だった駐車場が戻ってきてみると7台になっていてビックリ。城好きにとっては外せない城ですが、まさかこんなに人気の城とは。

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26.麓から岸岳へ登る車道沿いにある「岸岳古窯跡」。唐津焼発祥の地で、現存するものとして日本最古の割竹式登窯とのことです。

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27.「岸岳古窯跡」の説明板。詳しくないので、案内板をお読みください。

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28.波多城跡です。岸岳城へ行く途中に偶然発見しました。「日本城郭大系(長崎・佐賀)」に記載が無いのですが、見取り図の通りかなり大掛かりで、また池が堀の代わりなっているようで堅固な山城のようです。

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29.八幡神社の裏山が波多城です。あまり時間が無いのと、登城口がわからず、今回は断念しました。

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30.はちまんさまが祀られていますが、通常、神社の階段は真っ直ぐなのですが、登り口が曲がっています。城跡の名残なのでしょうか。興味深いので、ぜひとも登城したいお城です。

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31.八幡神社の裏山はこのように続いています。稜線沿いに遺構が残っているのでしょう。次回の登城が楽しみです。

最後まで見て頂きありがとうございます。

石垣の美 岸岳城(佐賀県) その2 

今日の長崎は台風の影響で雨です。昨日も午前中晴れ間が覗いていましたが、午後からすごい雨でした。
今日は自宅でおとなしくしときます-_-;

また、先週末は鹿児島に用事があり、ついでにあちらこちらのお城に寄ってきました。今回は志布志城、鹿児島城、栗野城。特に志布志城はいいお城で、鹿児島県特有のシラス台地の侵食谷を利用したもので一見の価値ありです。
ただ、家族で行ってきたので、お城に興味のないかみさんや子供達に、「すぐもどるけんね」といいつつ1時間は戻りません^_^;

さて、岸岳城の二回目です。今回は「二の堀切」からスタート。

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写真の撮影場所を番号で示していますので、よろしければ併せて参照ください。ただ、地図が大雑把な上、不確定な場所もありますので、参考程度に止めておいてください。

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①二の堀切の二の丸側の石垣です。積み方が粗いですが、立派な石垣です。

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②二の丸北側に続く石垣。破城されたのでしょうか。

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③二の丸の西側を進みます。このあたりは比較的歩きやすいです。

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④高台にある二の丸の東半分へ登ります。写真中央上に石垣が見えてきます。

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⑤どうやらここが二の丸の西端にあたるようです。③は別の郭のようです。

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⑥⑤の石垣をひいて写してみました。

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⑦きれいに成型された石垣でしたのでパチリ。矢穴もはっきりと確認できます。

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⑧石が散乱しています。きれいに積まれていればと悔やみます。

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⑨二の丸です。

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⑩伝埋め門跡。「埋門(うずみもん)」だと意味が違ってくるのですが、単に埋めてしまった門ということでしょうか。表面に石材が少々露出しているので、やはり埋めてしまったのでしょう。

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⑪伝埋め門跡を西側から見上げたところです。おそらく赤枠が往時の門の石垣。青枠は門を埋めるための石材のように思えます。二の丸から下る階段があったと思われます。

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⑫伝埋め門横にある巨石。矢穴が開けられていて、石材の切り出しをしようとしていたのでしょう。山頂部にはこのような巨石があちらこちらにあり、石材の調達はそれほど困難ではなかったように思います。

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⑬二の丸は上下段になっているようで、更に上段の二の丸に向かいます。

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⑭上段の二の丸には井戸跡があります。

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⑮急峻な山の山頂付近に井戸があるとは驚きです。

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⑯大手門跡です。だいたい十メートル四方の場所が陥没していて、最初は何かわかりませんでした。

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⑰大手門跡を下から見上げたところです。往時は門の石垣が綺麗に組まれていたと思われますが、徹底的に破壊されたようです。この広さだと立派な門があったと思われるだけに残念です。

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⑱本丸方面へ向かいます。本丸に近づくにつれて石垣が目に付きます。

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⑲これも本丸下の石垣。

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⑳本丸。かなりの広さがあります。

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21.屋根瓦と思われます。こういった痕跡を見つけると、想像たくましくなります。

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22.ここにもあります。

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23.慰霊碑。この城の城主、波多三河守親は、朝鮮出兵からの帰国途中に、豊臣秀吉より改易され、常陸国筑波に流されました。主君を失った家臣たちの多くが、後を追って切腹。また、残った者たちも波多氏の後に入った寺沢氏による残党狩りで命を落したとのことです。
地元では彼らを「岸岳末孫(きしだけばっそん)」と呼んで、今でも岸岳城ではその怨念が渦巻いているとの伝承があります。

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24.本丸東側には破壊された石垣を多数鑑賞することができます。この写真は本丸南側の隅石です。

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25.本丸東側は石垣で囲われた郭が階段状になっています。

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26.階段状の郭の隅石。更に右側に石垣が続いています。

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27.この写真で階段状の郭がわかると思います。

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28.本丸南側の石垣列。

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29.きれいに成型された石垣。

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30.本丸南東の隅石。

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31.本丸北東の隅石。

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32.本丸東端の石垣。ここから更に下ると。三左衛門殿曲輪に至ります。ここにも見事な石垣がのこされています。

次回に続きます。最後まで見て頂きありがとうございます。
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プロフィール

しんこう

Author:しんこう
しんこうといいます。長崎市在住の50歳目前のオヤジです。かみさんと子供2人の4人家族です。よろしくお願いいたします。趣味の山登り、城や地元長崎の様子などについて発信させて頂きます。この屋根瓦は倉敷を訪れた際に、色の組み合わせが綺麗だなぁと思って撮影したものです。

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