石垣の美 秋月城(福岡県)その2 

今週末も残念ですが長崎は雨まじりです。山城を訪れるには、薮蚊の心配が少ない今の季節が最適なのですが、なかなか思うようにいきませんね-_-;

さて、秋月城の二回目です。

①D70_0932_150110_1014
①搦手口を南側から狙ってみました。搦手口は風情があっていいです。

②D70_0906_150110_988
②長屋門を城内から撮影。門の左右は門番の住居になっていたそうです。

③D70_0877_150110_959
③長屋門を城内 御殿から見下ろしたところです。

④D70_0881_150110_963
④御殿は奥御殿、表御殿に分かれていたようですが、この石垣は奥御殿西側のもの。

⑤ D70_0889_150110_971
⑤奥御殿を囲む土塁のようです。

⑥D70_0900_150110_982
⑥垂裕(すいよう)神社の黒門。最初は古処山城の搦手門として造られましたが、江戸時代初頭に秋月城の大手門として移築され、更に、明治時代に現在の場所に移築されたと伝えられています。

⑦D70_0921_150110_1003
⑦ため池のようにも見えますが、おそらく城の西側に南北に伸びている堀の南端ではないかと。

⑧D70_0829_150110_911
⑧結局、大河ドラマ「軍師官兵衛」は一度も見れず、録画した総集編で楽しんでいるところです^_^;

⑨D70_0950_150110_1032
⑨兜堀跡。野鳥川と秋月城下南端の浅ヶ谷を堀でつないで二の丸とする計画があり、二の丸造成のために、まずこの兜堀が掘られたが中止となり、この堀だけが残ったとのことです。

⑩D70_0948_150110_1030
⑩二の丸に入るためには入口が必要です。普通通路を折れ曲げる枡形虎口を作ります。この写真では真っ直ぐ進むと突き当たり、右に曲がっているようですが、ここが枡形でしょうかね。

⑪D70_1114_150110_1196
⑪秋月城には24の支城があったと伝えられており、そのひとつが秋月城西側に位置する福獄城。ただ、城というよりも砦といいたほうがよいかも。尚、福獄城は写真中央左の赤い旗がたっている辺りです。

⑫D70_1096_150110_1178
⑫説明板

⑬D70_1093_150110_1175
⑬現在は宮地嶽神社となっています。

⑭D70_1090_150110_1172
⑭ところどころに石垣が散見されます。

⑮D70_1105_150110_1187
⑮福獄城から東側の秋月城下町を眺めたところです。最も高い山が古処山、写真中央上付近が秋月城です。

<おまけ>
長崎では、中国の旧正月を祝う行事「春節祭」を起源とする、長崎ランタンフェスティバルが2/19から3/5まで開催されています。
ここ最近はご無沙汰でしたが、2/27(金)は会場近辺で宴会のため、お祭りの様子をスマホでパチリ。

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最後まで見て頂きありがとうございます!
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石垣の美 秋月城(福岡県)その1 

先月1月に筑前の小京都「秋月」を訪れました。
秋月は、1203年(建仁3年)に古処山に城が築かれてから秋月氏16代、その後、現在秋月城のある麓に城を移して黒田氏12代により治められました。町割り、道路や水路がほぼ当時のまま残り、武家屋敷や寺社、町屋などと共に重要伝統的建造物群保存地区として、歴史的景観を今に伝えている美しい町です。

秋月城は、古処山ほか三方を山に囲まれた盆地にあり、攻めにくく、守りやすい場所にあるためか、天守や高石垣、枡形虎口などの強固に城を守るための特徴がほとんど見られず、城というよりも陣屋と呼ぶほうが的を得ています。ただ、搦手口の長屋門と脇を固める櫓台石垣、そして搦手口へ続く石段は美しく趣きがあります。

本当は古処山城とあわせて訪れるほうが、秋月の歴史を深く感じることができるのでしょうが、古処山城は少々山深いので、次回、山登りとあわせての楽しみに取っておこうと思います。

①D70_0788_150110_870
①まずは秋月の町の入口にある眼鏡橋。1810年(文化7年)に長崎の石工を呼びよせて作られたそうです。

②D70_0795_150110_877
②秋月城への登城道。「杉の馬場」と呼ばれています。杉の木がたくさんあり春は観光客で賑わうのでしょう。

③D70_0812_150110_894
③秋月美術館の土塀。

④D70_0802_150110_884
④こういった水路が縦横にめぐらされています。背後は山ですので、水に事欠くことは無かったと思われます。

⑤D70_0841_150110_923
⑤秋月城北西角付近にある石橋。いい雰囲気を醸し出していましたので一枚パチリ。

⑥D70_0846_150110_928
⑥秋月城西側の石垣と水堀。右端は大手口の土橋です。

⑦D70_0848_150110_930
⑦北西隅の櫓台石垣。冬枯れた木々や遠くの山々と相まって滅びの美しさを感じます。

⑧D70_0853_150110_935
⑧⑥の写真にも写っていた土橋上部です。瓦を縦に埋めて土が流れ落ちないようにしています。ここは大手口ですが、橋を渡ってもその奥は石垣で通れなくなっています。でも、写真上部の石垣をよーく眺めてみると、入口は石垣で埋められていますね。

⑨D70_0854_150110_936
⑨大手道の土橋を南側から眺めたところ。

⑩D70_0862_150110_944
⑩秋月を紹介する写真としてほぼ登場する搦手口。たしかに長屋門と脇を固める櫓台石垣、そして搦手口へ続く石段は美しいと思います。
また、桜の花やモミジが色付く季節はいっそう美しいのでしょう。また、季節に応じて再訪したいと思います。

⑪D70_0868_150110_950
⑪搦手口向かって右の櫓台石垣。立派です。

⑫D70_0871_150110_953
⑫同じく⑪の櫓台石垣を別の角度から。

⑬D70_0907_150110_989
⑬更に⑪の櫓台石垣を内側から撮影したところです。僕の城めぐりの主なテーマは美しい石垣を鑑賞することなので、しつこく石垣を紹介します^_^;

⑭D70_0912_150110_994
⑭そして、⑪の櫓台石垣脇から堀を見下ろしたところです。

⑮D70_0878_150110_960
⑮現在秋月城は秋月中学校となっています。

<おまけ>
うちの会社のお隣の部に女性の部長がいて、けっこう仲良くして頂いているのですが、その部長に「やっぱり、おいしいお土産は、名古屋の「ゆかり」と伊勢の「赤福」ですよね。」などと、たまにくだらない話をしていると、このように名古屋出張の際に覚えていて頂いていて、買ってきてくれます。いつもありがとうございます! 

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最後まで見て頂きありがとうございます。
秋月城 第二回に続きます。

石垣の美 須古城(佐賀県)その2 

1月に人間ドックで検査を受けて、2月に入り封筒に入れられた診断結果が送られてきました。
封筒を触ってみると、なんだか厚ぼったい、いやーな感じ。案の定、医師の紹介状が入っていて、精密検査となりました-_-;
何事もなければいいのですが...

さて、肥前の熊 龍造寺隆信の隠居城 須古城の第二回です。いよいよ主郭に突入です!
あまり多くの遺構は残ってないのですが、主郭は石垣で造られているとのことですので、これからが見所です。

①DSC_0347_141230_285
①主郭虎口手前の石積み。

②DSC_0350_141230_288
②石積み その2

③DSC_0353_141230_291
③主郭虎口。しっかりと横矢がかかります。

④DSC_0357_141230_295
④立派な切石。

⑤DSC_0362_141230_300
⑤主郭北側には「弾よけ岩」と呼ばれている岩場が残されています。

⑥DSC_0365_141230_303
⑥北側から南側へ撮影した主郭部

⑦DSC_0377_141230_315
⑦主郭西側の石積みの様子。

⑧DSC_0381_141230_319
⑧この辺りは大きく崩れています。

⑨DSC_0382_141230_320
⑨こちらも原型を留めていません。

⑩DSC_0390_141230_328
⑩写真上部の六角形の支柱?が気になりますが、詳細不明。

⑪DSC_0411_141230_349
⑪高城の麓にある高城懐古の碑

⑫DSC_0412_141230_350
⑫高城の周囲には水堀が巡らせてあり、写真は当時の水堀の名残のようです。

最後まで見て頂きありがとうございます。

石垣の美 須古城(佐賀県)その1 

先日、大分で、毎年恒例の別府・大分毎日マラソンが行われました。うちの会社の人が出場するというので応援に行ってきました。テレビとは違い、間近で応援すると迫力があります。
コースは折り返し地点が何箇所かあるので、少なくともひとつのポイントで往復2回は応援できる応援しやすいコースなのではないかと。最終的に4箇所で応援することができました。
最近走る事を趣味にしている方が多くて、通勤時やお昼時に走っている方をよく見かけますね。

さて、今回は須古城の紹介です。

須古城は佐賀県南西部の杵島郡白石町にあり、肥前の熊 龍造寺隆信の隠居城として知られています。
現在は須古小学校となっていますが、須古小学校と西側にある小高い山一帯に築かれており、小高い山は詰城で高城と呼ばれ、平時は麓に居館があったと思われます。

多くの遺構はありませんでしたが、主郭部周りには破城の跡と思われる石がゴロゴロしており、特に主郭部はしっかりした石垣が取り巻いていたと思われます。

①DSC_0319_141230_257
①肥前犬山城(模擬天守です)からの展望。赤枠の中が須古城です。

②DSC_0306_141230_244
②嬉野から国道498号線-県道268号線を通ると、肥前犬山城の案内板が見えてきます。県道268号線を外れ数分で肥前犬山城に着きます。展望台の模擬天守ですが、眺めはサイコーです。

③DSC_0327_141230_265
③須古城の案内板と縄張り図。

④DSC_0328_141230_266
④案内板。クリックすると拡大します。

⑤DSC_0336_141230_274
⑤高城と呼ばれている詰城へ至る階段です。

⑥DSC_0343_141230_281
⑥しばらく登ると平坦地にたどり着きます。

⑦DSC_0342_141230_280
⑦右側には見張り台と思われる郭が見えます。

⑧DSC_0344_141230_282
⑧左側に目を移すと山腹の帯郭。

⑨DSC_0346_141230_284
⑨見上げてみると主郭と主郭へ至る道。この道を攻めると主郭から矢玉が飛んでくるんでしょう。イヤですね。

⑩DSC_0403_141230_341
⑩中腹からの眺め。中央は須古小学校です。

最後まで見て頂きありがとうございます。
その2に続きます。
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プロフィール

しんこう

Author:しんこう
しんこうといいます。長崎市在住の50歳目前のオヤジです。かみさんと子供2人の4人家族です。よろしくお願いいたします。趣味の山登り、城や地元長崎の様子などについて発信させて頂きます。この屋根瓦は倉敷を訪れた際に、色の組み合わせが綺麗だなぁと思って撮影したものです。

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