石垣の美 今富城(長崎県) 

九州南部は梅雨明けのニュースを聞き及んでいますが、九州北部はまだなんでしたっけ、今日夜も長崎では雨が降っています。
先週火曜日から入院して、今日退院してきました。直接命に関わる病気ではないのですが、ここ数ヶ月ほとんど休みもない状況だったので、無理がたたったようです。
入院中はあまり動くことはないので、退院後の移動や自宅で整理などしていたら、疲れてきますね。無理は禁物です。養生しときます。

さて、好武城に続き、長崎県大村市にある今富城の紹介です。
今富城は、戦国初期に大村純伊(すみこれ)が、手狭になった好武城から、ここ今富城に居を移したと伝えられていて、好武城同様、平地の丘陵地に築かれ、南側は郡川、北側は深田があって、守りやすい地であったと思われます。
ただ、残念なことに、鉄道敷設のための用土として用いられたり、戦時中、高射砲や探照燈が設置される際に改変されていたりと
往時の状況を残していないようです。

①D70_2060_150215_2160
①今富城の標柱、お城の南側に設置されています。

②D70_1958_150215_2058
②今富城へは、南北に貫く竪堀に続く入口からの登城となります。この入口は南側。

③D70_1960_150215_2060
③竪堀。日本城郭大系によると、左側の曲輪は本丸とのことですが、右側の曲輪については明確な記載がありません。現在、右側の曲輪は畑となっています。

④D70_1984_150215_2084
④本丸の様子。石がゴロゴロしています。

⑤D70_1986_150215_2086
⑤本丸中心部の様子。写真左側には土塁らしきものも見られます。

⑥D70_1994_150215_2094
⑥本丸から1段下がった二の丸へ下る虎口。二の丸から簡単に本丸へ入れるような虎口は記憶に無く、おそらく近世に入って
改変されたものと思われます。

⑦D70_2000_150215_2100
⑦⑥を二の丸から本丸へ見上げたところ。

⑧D70_2006_150215_2106
⑧二の丸全景。本丸は石がゴロゴロしていたのに対して、二の丸は平坦になっています。往時二の丸はさらに奥に広かったようで、鉄道敷設の際に掘削されたため、現在、狭くなっているとのことです。

⑨D70_2009_150215_2109
⑨二の丸から本丸を望みます。

⑩D70_2039_150215_2139
⑩二の丸から本丸へ戻ると、枡形虎口のような場所を発見。

⑪D70_2028_150215_2128
⑪⑩の枡形虎口を外から中へ眺めたところ。石がゴロゴロしていて、石積みが見られたと思われます。

⑫D70_2046_150215_2146
⑫太平洋戦争時に設置された高射砲の砲座跡。

⑬D70_2057_150215_2157
⑬一旦、竪堀に戻り、竪堀北側へ進みます。左側に石積みが見られますが、往時のものか不明。

⑭D70_1954_150215_2054
⑭今富城北側の石積み。これも往時のものか不明。

最後まで見て頂きありがとうございます。
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Author:しんこう
しんこうといいます。長崎市在住の50歳目前のオヤジです。かみさんと子供2人の4人家族です。よろしくお願いいたします。趣味の山登り、城や地元長崎の様子などについて発信させて頂きます。この屋根瓦は倉敷を訪れた際に、色の組み合わせが綺麗だなぁと思って撮影したものです。

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