外海・大瀬戸の史跡を行く ~中浦ジュリアン記念公園と中浦城~ 

1/24-25は久しぶりの大雪でしたね。おかげで1/25は会社には来なくてよし!となり、自宅でゴロゴロ。
町中では思い思いの雪だるまを作ってましたが、ネットにでてたベンチに腰かけた雪だるまはなかなかユニークでした。

さて、外海・大瀬戸の史跡シリーズ第5回は中浦ジュリアン記念公園と中浦城をご紹介します。

中浦ジュリアンは、天正遣欧少年使節の副使として、伊東マンショ、千々石ミゲル、原マルティノと共にローマに派遣されたことで有名です。
中浦ジュリアン記念公園は、中浦ジュリアンの出生地と伝えられており、館屋敷ともよばれています。往時の遺構は無いようですが、中浦ジュリアンに関する展示がなされています。

①D70_7688
①中浦ジュリアン記念公園。写真左端にはパネル。右端の西洋の城を模した建物には中浦ジュリアンに関わる展示物があります。

②D70_7697
②建物の一階には、中浦ジュリアンの足跡についての展示があります。入場料は無く自由に入って観覧できます。

③D70_7699
③建物の屋上には、中浦ジュリアンの像と近辺の観光名所や天正遣欧少年使節に関するパネルが設置してあります。

④D70_7681
④記念公園近くに、ジュリアン顕彰碑があります。

⑤D70_7682
⑤中央の半円球をよく見てみると、天正遣欧少年使節の航路が記されています。

⑥D70_7701
⑥このパネルは中浦ジュリアン記念公園の建物屋上に設置してあるパネルの一つです。中浦城は記念公園から歩いて数分の場所にあります。

中浦城イメージ図
中浦城のイメージ図を手書きで描いてみました。3作目ですが、なかなかうまくかけません、難しい.....
わからないところは適当に描いていますので、全体を捉えるぐらいにしといてください。間違っていたらご指摘頂けるとありがたいです。(クリックすると拡大します)朱書きの番号と写真説明の番号は大体合わせていますのでご参考まで。

⑦D70_7709
⑦中浦城の登城口。きちんとした案内板があるので、楽勝と思いきや、草ぼうぼうでした。登城される方は藪漕ぎの装備で登城下さい。

⑧8D70_7712
⑧眺めは良いですね♪写真下の道路は国道202号ですが、この国道を通すため、中浦城の一部が削られているそうです。

⑨D70_7716
⑨本丸と二の丸を仕切る石垣。ただ、高さも無く、田畑の石垣に見えなくもないですが、、、

⑩D70_7719
⑩本丸へ上がると、石を積み上げられたものが現れます。

⑪D70_7721
⑪本丸。写真左には土塁のようなものが見えます。田畑で土塁は必要ないと思うので、お城に間違いは無いようです。

⑫D70_7726
⑫写真⑪の土塁線の直下(城の東側)に降りてみました。空堀のような痕跡があります。

⑬D70_7727
⑬土塁線の状態。石で補強されているようです。

⑭D70_7741
⑭本丸の南側には虎口のようなものが見られます。ただ、直線的で折れ曲がりがなく、後世になって整備されたものかもしれません。

⑮D70_7749
⑮写真⑫同様、土塁線の直下(城の東側)に降りてみました。大岩が並んでいて、鉄砲や弓を射るためには恰好の場所ではないかと。

⑯D70_7754
⑯城の北側へ降りてみました。降りるにつれて、小さな郭が階段状に作られているように見えます。

⑰D70_7758
⑰次の郭はこんな感じ。

⑱D70_7763
⑱ここにも大岩発見!

⑲D70_7765
⑲ここにも。

⑳D70_7766
⑳最後は大岩の間からゴール!

D70_7930.jpg
(おまけ)
先日、長崎の奥座敷「茂木」で法事の会食がありました。茂木は二年ぶりかな。何か用事がないとなかなか行かないですね。
茂木には一口香(いっこっこう)で有名な「茂木一まる香本家」があるので、時間があったので、立ち寄ってみました。

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お菓子の木型が店内に展示されていました。木型は落雁を思い出しますが、長崎なので口砂香かな。

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たくさんの種類のお菓子があって目移りします。結局いろいろと買ってしまいましたが、右端は一口香の失敗作。少々安くなります。

最後まで見て頂きありがとうございました。
次回は小佐々城を紹介します。
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外海・大瀬戸の史跡を行く ~田平ノ館跡~ 

正月も終わり、成人式が終わったあたりから急に寒くなってきましたね。
インフルエンザの話は幸いまだ聞きませんが、皆さまお気を付けください。

さて、外海・大瀬戸の史跡シリーズ第4回は田平ノ館跡をご紹介します。

D70_4339.jpg
小佐々氏墓所近くの案内板です。前回の小峰ノ館同様、田平ノ館も小佐々氏一族の館のようです。「田平」は「たのひら」と呼ぶようです。
地元の方がそのように呼んでいました。

D70_7357.jpg
田平ノ館遠景。赤枠が田平ノ館です。

田平ノ館
前々回の「雪浦の古城(鳥越城)」に続き、手書きで館の全景を描いてみました。下手くそな上に、わからないところは適当に描いて
いますので、全体を捉えるぐらいにしといてください。間違っていたらご指摘頂けるとありがたいです。(クリックすると拡大します)
朱書きの番号と写真説明の番号は合わせていますのでご参考まで。
この館は門(桝形虎口)から真っ直ぐ川に向かって通路が伸びている理由がわからなかったのですが、後で地元の方にお話しを聞いたところ
昔はこの辺りまで船が来ていたとのことで、水軍を擁していた小佐々一族は、岸に船着き場を作り、主に船で移動していたのではないかと考えています。

①D70_7171
①木立ちの中を進みます。このルートを通る場合は、建設会社の敷地を通りますので、必ず了解を得て下さい。今回は快く承諾頂きました。ありがとうございました。

②D70_7180
②木立ちの中を進むと右側に石垣が見え隠れしてきます。進むたびに下っていくので、段々の郭になっていて、郭の隅はこのように石積がみられます。

③D70_7200
③この石積も同様。

④D70_7185
④郭との境はこのような石積となっています。

⑤D70_7184
⑤こちらも同様。

⑥D70_7213
⑥門から真っ直ぐに伸びる大手道?、奥に桝形虎口が見えます。

⑦DSC_0309
⑦小ぶりながら立派な桝形虎口。

⑧8D70_7225
⑧桝形虎口の左側。

⑨D70_7231
⑨桝形虎口から真っ直ぐに伸びる大手道を眺めたところ。

⑩DSC_0306
⑩桝形虎口から主郭に入ってきました。

⑪D70_7252
⑪桝形虎口全景

⑫D70_7295
⑫鉄砲を撃つための桝形虎口裏側にある狭間?

⑬D70_7256
⑬主郭北側の様子。

⑭D70_7265
⑭主郭北西隅

⑮D70_7268
⑮主郭北東隅。

⑯D70_7273
⑯主郭東側の様子。

⑰D70_7285
⑰主郭から東側に一段上がった場所にある石積。田平ノ館は西から東に向かって高くなっていきます。

⑱D70_7287
⑱炭焼き窯

⑲D70_7292
⑲空堀?、なんでこんなところに?

⑳D70_7341
⑳広範囲に石積が見られます。

D70_7458.jpg
おまけ
姉の旦那さんが東京に単身赴任しているので、しょっちゅう東京に行っているようです。

D70_7465.jpg
我が家の下の娘は小学生なので、喜びます。

D70_7462.jpg
普通の「えびせん」なんですけどね。

最後まで見て頂きありがとうございました。
次回は、中浦ジュリアン記念公園と中浦城をご紹介します。

外海・大瀬戸の史跡を行く ~小佐々氏墓所と小峰ノ館跡~ 

年末年始のお休みもあっという間に終わましたが、この3連休もなかなか正月気分が抜けません^_^;

さて、外海・大瀬戸の史跡シリーズ第三回は小佐々氏墓所と小峰ノ館跡をご紹介します。

①D70_4338_150606_4448
①西海市役所・警察署を過ぎ、国道202号線を更に北上すると、右側に小佐々氏墓所の表示板が見えてきます。
写真以外にも表示板はありますが、いづれも目立たないので注意しておかないと見落としてしまいます。

②D70_4339_150606_4449
②表示板に沿って進むと。小佐々氏や付近の史跡についての案内板があります。今回は赤枠の史跡を紹介します。
青枠は次回紹介の予定です。

③D70_4344_150606_4454
③小佐々氏墓所です。先ほどの案内板から階段で登ってすぐの場所にあります。
長崎県のホームページによると、小佐々氏は,永禄12年(1569)大村純忠と後藤貴明・松浦鎮信(しげのぶ)らとの戦いに,純忠に従い参加した。
小佐々純俊らが戦死し,今日の佐世保市内に葬られ,その後,この墓所に祀られた。
小佐々氏墓所には,切石の平塚,切石積みの墓など,形状・様式及び配置は珍しく,貴重なものである。
大村藩が編纂した「郷村記」に多以良村の「古廟之事」として詳しく述べられてあり,ほとんど記述どおり現存している。
とあります。

④D70_4348_150606_4458
④横からの写真はコレです。天正遣欧使節として派遣された中浦ジュリアンは、小佐々氏一族とのことで、
キリシタンともゆかりがあるようですが、和風な灯篭があり、詳しくはわかりません。

⑤D70_4346_150606_4456
⑤近江源氏 小佐々氏顕彰之碑

⑥D70_7132
⑥小峰ノ館跡。小佐々氏墓所からほど近い場所にあり、多以良川に沿って城ノ辻の東側に回ると、集落が見えてきます。
見どころは見事な石垣。この地区特有の平べったい石を積み上げたものです。

⑦D70_7134
⑦もう少し進むと、石垣に狭間が見えます。

⑧8D70_7136
⑧内側から鉄砲を撃つための穴です。

⑨D70_7126
⑨東端は切れていて、おそらく虎口ではないかと思います。

⑩DSC_0293
⑩北側はこのような立派な石垣が巡らしていますが、その他の方角には石垣がありません。お住まいの方に少しお話しを聞かせて頂きましたが、この石垣がいつ頃作られたか、改変されたかなどわからないとのことでした。

⑪D70_7128
⑪集落の北側には田んぼが広がっています。

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おまけ1
月1回のお勤め、神戸出張のおみやげ。最近は飛行機でなく、JRで移動するようになったので、新神戸駅で、ビールとおつまみと併せて購入^_^; コアラのマーチ関西版

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次は、じゃがビー関西版、こんなお菓子が子供は喜びます。

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最後は自分用とかみさん用に「おたべ」。久しぶりに購入。

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おまけ2
今年の初詣も昨年に続き山王神社。1月3日に行きましたがけっこう人が多かったです。

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息子が買ったおみくじは「吉」。今年も健康で平穏な一年でありますように。

最後まで見て頂きありがとうございました。
次回は、田平ノ館を紹介します。

外海・大瀬戸の史跡を行く ~雪浦の古城(鳥越城)~ 

年末年始のお休みも残すところあと1日になりました。最終日は家の中でゴロゴロ。

さて、外海・大瀬戸の史跡の第二回は、雪浦の古城。城の越または鳥越城ともよばれているようです。
案内板によると、元弘元年(1331年)に豊前の国田川郡から雪浦に移ってきて、当時この地を支配した、田川左近将監が築いたものと伝えられているとのことです。
雪浦川、小田川に挟まれた要害に地に築城されています。

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雪浦の古城遠景。写真中央右端に小さく写っている車付近に案内板があります。

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手書きで城の全景を描いてみました(クリックすると拡大します)。くまなく回っているわけではない上に忘れているところもあるのでわからない箇所はテキトーに描いていますので、全体的なイメージを捉えるぐらいにしておいてください。次回再訪する機会があればもう少し詳しく調べるつもりです。朱書きの番号と写真説明の番号は合わせていますのでご参考まで。
車で来られる場合は①か(A)あたりに止めることができます。①に止める場合は農作業などの邪魔にならないように注意してください。
(A)はスペースがあって止めやすいですが、城に向かう道は無いので⑦方面に石垣を鑑賞しながら藪漕ぎしながら勘で進んでください。
日本城郭大系17によると、⑫あたりから⑱までが城域のように描かれていて、それ以外は田畑の石垣のようです。ただし、特に⑨⑩の石垣は立派なので、併せて鑑賞されるとよいと思います。

①D70_4240_150606_4350
①案内版。案内版右の山道からお城へ行けます。

②D70_4242_150606_4352
②木立の中を進みます。左側には石がゴロゴロしています。

③D70_4266_150606_4376
③さっそく立派な石垣。でも、田畑の石垣でしょう。

④D70_4260_150606_4370
④③からそう遠くない場所にある石垣ですが、田畑の石垣にしては小さいと思いませんか。櫓台の石垣といってもいいように思います。

⑤D70_4275_150606_4385
⑤これは典型的な田畑の石垣でしょう。このあたりは作物を栽培するにはよい南向きになっています。

⑥D70_4300_150606_4410
⑥南西方面の雪浦川にほど近い場所ですが、郭を囲むように土が盛ってあり、内側は石塁で補強されているように思います。田畑の痕跡ではないように思います。

⑦D70_6895
⑦城の南東側の谷部に降りてみました。このあたりも城域外のようですが、立派な横矢掛りに見えます。

⑧8D70_6904
⑧小さい石積み。何に使用していたかわかりません。

⑨D70_6930
⑨高く数段ある田畑の石垣。

⑩D70_6941
⑩こちらにも

⑪D70_6946
⑪更に上に登ると、こんな石垣発見。石の形状や積み方も⑨、⑩の石垣とは違います。

⑫D70_6969
⑫主郭部近くにきました。中央は土塁のようです。そしてその右に横矢を掛けられる石垣が出ています。

⑬D70_6981
⑬中央に石垣のラインがあり、写真奥に横矢掛り。

⑭D70_6991
⑭主郭大手とされています。左に石積。右側にも見えていませんが、石積の痕跡があります。おそらく門があったものと思われます。

⑮D70_7014
⑮主郭北側へ向かいます。主郭のラインに沿って土塁があり、内側は石垣で補強されています。

⑯D70_7016
⑯主郭北側から尾根に沿うように石塁が積まれています。

⑰D70_7023
⑰石塁を主郭へ見上げたところです。

⑱D70_7042
⑱物見台とされています。

⑲D70_7081
⑲炭焼き窯かな。

⑳D70_7102
⑳主郭西側の石積。横矢っぽい石積も見られます。

雪浦の古城は、往時石垣のある立派な城郭であった可能性もありますが、田畑の石垣のため流用され、痕跡が数少なくなっているのではないのでしょうか?近々再訪してもう少し時間をかけて調べてみたいと思います。

最後まで見て頂きありがとうございました。
次回は小峰ノ館跡を紹介します。
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プロフィール

しんこう

Author:しんこう
しんこうといいます。長崎市在住の50歳目前のオヤジです。かみさんと子供2人の4人家族です。よろしくお願いいたします。趣味の山登り、城や地元長崎の様子などについて発信させて頂きます。この屋根瓦は倉敷を訪れた際に、色の組み合わせが綺麗だなぁと思って撮影したものです。

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