佐世保の城を行く~広田城~ 

こんにちは、雨が続きますね、6/20(月)夕方の雨は猛烈な雨でした。数年に1度の雨とのことで長崎駅は冠水していたらしいです。
会社の玄関では帰るに帰れずタクシー待ちの人だかり。しばらくすると小雨に変わり一安心。僕も無事に帰宅できました。


さて、佐世保のお城シリーズの第二回は「広田城」。


広田城は戦国時代後期に平戸松浦氏の南の要として、東の龍造寺氏、南の大村氏をけん制するために築城されました。
実際に1586年(天正14年)大村純忠を中心とする、有馬氏、波多氏、有馬氏などの連合軍によって、井手平城は攻め落とされ広田城も落城の危機にありましたが、松浦鎮信の援軍により助けられたと伝えられています。


広田城は北側の小森川、南側の金田川に挟まれ、西側には早岐瀬戸を望み、さらに陸続きの東側は堀切で遮断した非常に要害堅固な丘陵地に築かれています。
よろしければご鑑賞ください。
①D70_5794 

①広田城の西側の住宅地にある石碑


hirota_nawabari_2.jpg 

縄張り図。朱書きの番号と写真説明の番号は大体合わせていますのでご参考まで。間違いがあればご連絡頂ければ幸いです。本縄張り図は長崎県教育委員会発行「長崎県中近世城館跡分布調査報告書Ⅱ(詳説編)」から転載させて頂いております。


②D70_5673
②城の南東から登城します。


③D70_5674
③この階段から失礼します。すぐ近くに畑があって農作業をされていた方がいたのでご了解を頂いて登城開始。

④D70_5685
④ちょっと判別しにくいですが堀切です。


⑤D70_5692
⑤主郭まで尾根沿いに登っていきます。


⑥D70_5701
⑥虎口らしい場所に到着。大手は西側のようですので、こちらは搦手のようです。


⑦D70_5708
⑦犬走とあります。どちらかというと帯郭に近いように思います。


⑧D70_5720
⑧北東の土塁。なかなか立派です。


⑨D70_5724
⑨櫓台跡に建つ祠。


⑩D70_5729
⑩北側の土塁


⑪D70_5734
⑪この辺りの土塁は多くの石が散乱しているので石垣が巡っていたのかもしれません。


⑫D70_5735
⑫おなじく土塁。明瞭に残っています。


⑬D70_5744
⑬主郭と北側郭を分ける土塁


⑭D70_5753
⑭主郭北側に残る石積み。広田城では唯一明瞭な石積みが残されている場所。往時のものか不明。


⑮D70_5760
⑮主郭南側の帯郭の様子。


⑯D70_5770
⑯同じく主郭南側帯郭の様子。


⑰D70_5778
⑰主郭北西部には空堀が残っています。この写真は空堀南端の様子。ここから空堀が始まっています。


⑱D70_5782
⑱西端の空堀の様子。


⑲D70_5790
⑲広田城西側にひろがる住宅地。すぐそこまで住宅地が迫っていて、多くの遺構が消失したようです。これ以上遺構が無くならないように祈るばかりです。
最後まで見て頂きありがとうございました。次回は直谷城をご紹介します。


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佐世保の城を行く~佐志方城~ 

こんにちは、暑くなってきましたね。埼玉県鳩山町と群馬県館林市では猛暑日だそうです。熱中症には気を付けてくださいね。
昨日、梅雨の晴れ間を狙って、長崎県島原半島の島原市と南島原市のお城に行ってきました。おってご紹介したいと思います。
登城したのは島原城、日野江城、原城他2城。島原の乱など、いづれもキリスト教ゆかりのお城で、日野江城、原城については、現在「長崎の教会群とキリスト教関連遺産」で世界遺産登録を目指しています。ただ、イコモスから一部見直しを求められていて、日野江城については登録から外されるようです。

さて、佐世保のお城シリーズの第二回は「佐志方城」。佐志方城は平安時代末期以来の在地領主であった佐志方氏によって築かれたとされ、平戸領の南端を広田城などと共に守る重要な城のひとつだったようです。また、早岐瀬戸に面していることから、水道を監視する上でも重要な城だったと思われます。
現在では佐志方城の北側は埋め立てられていますが、往時は岬のように突き出た半島から早岐瀬戸を行き交う船に睨みをきかせていたのではないかと思います。
また、佐志方城のある城山と近辺には、龍岩、船神社、金抗口(金が取れていたそうです)、館城(佐志方氏の館跡)など色々と見どころがありそうなので、興味のある方は行かれてみてはいかがでしょうか(僕は毎度の事前調査不足ですべてパスしました^_^;)。場所は長崎国際大学の川向かいにあります。

sashikata_nawabari1.jpg
縄張り図。朱書きの番号と写真説明の番号は大体合わせていますのでご参考まで。間違いがあればご連絡頂ければ幸いです。本縄張り図は長崎県教育委員会発行「長崎県中近世城館跡分布調査報告書Ⅱ(詳説編)」から転載させて頂いております。


①D70_5610
①ここから登城しました。多くの山城と同様に案内板があるわけでもなく、明確な登城道があるわけではありません。この道は堀切跡のようです。お墓の裏あたりから入ります。

②D70_5608
②①のすぐ左に御堂が建てられていました。

③D70_5615
③お墓の裏には階段があってここから尾根伝いに上っていきます。

④D70_5618
④尾根伝いに進みます。尾根幅は狭いです。

⑤D70_5621
⑤しばらく進むと堀切が見えてきます。堀切の延長線上に伸びた竪堀が掘られているように見えます。

⑥D70_5624
⑥⑤の堀切を尾根上から見たところです。攻め手の進軍を止めるには心もとないです。多くは埋まってしまったのかもしれません。

⑦D70_5632
⑦主郭に到着。主郭には櫓台になりそうな高みがあります。

⑧D70_5634
⑧所々に石積みをみることができます。

⑨D70_5640
⑨主郭北側の様子。

⑩D70_5647
⑩主郭北端にはまとまった石積みがみられます。この場所は主郭北端にあたり早岐瀬戸を眺めるには最良の場所です。

⑪D70_5653
⑪石積みの様子。

D70_0356.jpg
(おまけ1)昨日島原城に行ってきたので武家屋敷も散策してきました。暑くなってきたので、せめてこの写真で涼んで頂ければ幸いです。
島原市は、古くから「水の都」と呼ばれていて、雲仙山系から湧き出る水が豊富にあり、「島原湧水群」として昭和60年1月、環境庁の全国名水百選に選ばれています。写真のように町筋の中央に生活用水として利用できる水路が作られています。

D70_0383.jpg
(おまけ2)手水鉢。

D70_0391.jpg
(おまけ3)水路の様子。水路の窪んだところに座り水を汲んでいたのでしょう。

最後まで見て頂きありがとうございました。次回は広田城をご紹介します。

佐世保の城を行く~針尾城~ 

こんにちは、九州地方から関東甲信越地方まで梅雨入りしたようですね。
天気のいい日もいいですが、しっとりと雨が降っていて、ゆっくり時間が流れている日も嫌いではないです、でも、アウトドアには向きませんが、、、
さて、今回から長崎県佐世保市のお城を4回シリーズで紹介したいと思います。
佐世保は古くから松浦氏が治めていた土地で、松浦氏は古くから武士団を作り、松浦党として鎌倉時代に名を馳せていたといいます。その武士団の中から平戸松浦氏が頭角を現し、戦国時代を生き抜き、江戸時代を迎えました。
戦国時代には隣国との攻防戦の中、多くの戦があり、築かれた城の中から、針尾城、佐志方城、広田城、直谷城をご紹介します。
まずは、針尾城から。
①D70_5541
①針尾城近景。

hariojyo.jpg 
縄張り図。朱書きの番号と写真説明の番号は大体合わせていますのでご参考まで。間違いがあればご連絡頂ければと思います。
毎回登城口を探すのに苦労するのですが(あまり事前調査をしないもので^_^;)、針尾城は①付近に車を止めて、城の南側の崖下を通り、②→③→④を通って登城しました。3/4周した感じで損した気分です。もっと近いルートがあれば教えて頂くとありがたいです。
また、北側にある二重の堀(青色で示しています)で堅固に守られています。
尚、この縄張り図は、長崎県教育委員会発行の「長崎県中近世城館跡分布調査報告書Ⅱ(詳説編)」から転載させて頂いております。
この調査報告書は二分冊約370ページからなり、長崎県の城館をほぼ網羅し、2010年発行の新しい資料ということもあり、僕の必読資料となっています。
②D70_5529 
②縄張り図の①付近の駐車場から時計周りにミカン畑の中を歩きます。

③D70_5528
③ココから右折します。

④D70_5426
④右手にお墓を見ながら(写ってません)真っ直ぐ進むと針尾城にぶつかります。早速写真中央に外側の堀が見えています。

⑤D70_5431
⑤次に内側の堀。高さは2m近くありそうです。現在は土砂で埋まっていると思われるので、往時は3m近くあったのかもしれません。3mだと登るのはちょっとしんどいですね。

⑥D70_5460
⑥主郭内部の様子。城の北側を写しています。写真奥の土塁の様子がわかります。

⑦D70_5465
⑦石塁は城の西側に多くあります。

⑧D70_5483
⑧主郭西側から東側を写したところです。左側には土塁が見えます。

⑨D70_5600
⑨針尾城の紹介はここまでですが、針尾城の近くには、針尾送信所があります。
この送信所は太平洋戦争の開戦の暗号「ニイタカヤマノボレ一二〇八」を送信したとされています。

⑩D70_5560
⑩三本のうち一本を見上げてみました。自立式電波塔としては高さ・古さともに日本一だそうです。

⑪D70_5567
⑪ここから内部を見学できます。ボランティアの方がいらっしゃって詳しい説明を聞くことができます。ほとんど訪れる人もいないんだろうなぁと思っていたら、後から後から見学者が来られます、1時間程度の滞在で10人位の方が見学されていました。

⑫D70_5556
⑫無線塔内部の様子。既に90年以上経っていますが、あまり古さを感じません。

⑬D70_5569
⑬電信室。すでに役目を終えていて、危険なため内部は立入禁止だそうです。

⑭D70_5564
⑭無線塔から日本三大急潮のひとつといわれる針尾瀬戸を眺めてみました。左端には新西海橋。

最後まで見て頂きありがとうございましたm(_ _)m
次回は佐志方城をご紹介します。

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しんこう

Author:しんこう
しんこうといいます。長崎市在住の50歳目前のオヤジです。かみさんと子供2人の4人家族です。よろしくお願いいたします。趣味の山登り、城や地元長崎の様子などについて発信させて頂きます。この屋根瓦は倉敷を訪れた際に、色の組み合わせが綺麗だなぁと思って撮影したものです。

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