島原半島ぐるり城めぐり ~杉峰城・高田城・大河城~ 

こんにちは、珍しく二日連続の投稿になります。
長崎県・島原半島のお城紹介の第二回は、杉峰城、高田城、大河城です。
よろしければご鑑賞ください。


1.杉峰城


杉峰城の出自はよくわかっていないようですが、南北朝時代にはすでに築城されていたようで、南朝方についていた城主の西郷氏は、北朝方の九州探題一色範氏が派遣した小俣氏連により1352年(観応3年)に攻められ落城したと伝えられているようです。
杉峰城は、②杉峰城図の通り、城の東側を流れている西郷川と西に流れている布木川に挟まれた、舌状台地の先端部に築城され、出丸や本丸は堀切などで要所要所を分断し、守りを固めています。


①D70_8494
①杉峰城遠景。


②杉峰城map
②杉峰城図。写真撮影場所を赤い丸囲み番号で示しています。場所はおおよそ正しいとは思いますが不正確な場所もありますので参考程度にご覧下さい。間違いがあればご連絡頂けると幸いです。

尚、この縄張り図は、長崎県教育委員会発行の「長崎県中近世城館跡分布調査報告書Ⅱ(詳説編)」から転載させて頂いております。



③D70_8427
③杉峰城標柱。南から北へ有明海方面に伸びる道が右に折れ曲がる場所に立っていました。
この先が本丸にあたるので、この辺りから登城したかったのですが、住宅地の中にあるうえ、車を駐車できる場所がなく、城の北部の出丸から登城することにしました。


④D70_8430
④杉峰城の北側突端部に案内板が設置されており、この場所から登城できます。写真左の道から登ります。


⑤D70_8437
⑤少し上ると視界が少々開けてきます。西郷川が見えてきました。


⑥D70_8438
⑥平たん部に登りあがった先にお堂が建てられていました。


⑦D70_8444
⑦出丸全景


⑧D70_8448
⑧本丸と出丸を行き来する土橋。向こう側が本丸、手前が出丸です。土橋の左右は堀切で分断されています。本丸側にも足を踏み入れてみたかったのですが、藪が凄くて断念。仕方ないので、写真右下の堀切へ降りてみることにしました。


⑨D70_8451
⑨土橋の横は石積みで補強されていました。


⑩D70_8458
⑩堀切の基部も石積みが見られます。


⑪D70_8462
⑪堀切の下は狭いながらも郭になっていました。


⑫D70_8479
⑫来た道を下っていくと脇道があることに気づきました。ちょっと脇道に入ってみることに。


⑬D70_8485
⑬石積みがありましたが、直線的で高さも無いので、畑の石積みだと思われます。


2.高田城


続いて高田城。案内板によると、高田城は、鎌倉時代に大河幸明の三男、道行が築いたものと思われ、伊福城ともいわれています。天正の頃は、島原・沖田畷の戦いで龍造寺隆信を打ち取った有馬氏の家臣・草野浄仙が城主になったと伝えられているようです。


⑭D70_8383
⑭案内板と標柱。遺構の少ない、地味な史跡にも、案内板が設置されていてありがたいです。


⑮D70_8385
⑮付近は畑地になっています。遺構として石垣や空堀もあるようですが、見つけることができませんでした。



3.大河城


次に大河城。案内板によると、1158年頃からの土豪であった大河氏の居城で、大河氏は肥前綾部出身で、大河、伊福、伊古も領有しており、築城はその子孫の地頭でもあった孫三郎幸継の代で1300年頃であるが、1328年頃には壊され、1338年に幸継は討ち死にしたと伝えられています。


⑯D70_8400
⑯写真後方の山中に大河城があったとされており、案内板によると石垣の一部も残されているとのことです。


⑰D70_8414
⑰大河城遠景

場所は下図の通りです。Aは杉峰城、Bは高田城、Cは大河城です。


<おまけ>
⑱P7260646
先日の広島での結婚式の道中、福岡のIKEAに寄ってきました。甘いものが大好物の僕にとって、レジを出た先にある食品コーナーが楽しみの一つなのですが、まずはチョコやお菓子のコーナーを確認。ヨーロッパのチョコはクリーミーで甘すぎるくらい甘くて僕好みなので、まとめ買い(^_^;

ただ、パッケージが変わり、お値段も少々上がってて、ちょっと残念!


前回投稿したIKEAのチョコねた


最後まで見て頂きありがとうございます。
次回は、鶴亀城と古城をご紹介します。

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島原半島ぐるり城めぐり ~山田城・守山城~ 

こんにちは、今回から長崎県島原半島のお城をぐるりめぐって紹介します。第一回は島原半島北部にある、山田城、守山城から。


1.山田城

案内板によると、

山田城は、南北朝時代の応安5年(1372年)に山田荘の総地頭であった豊後の田原氏能によって築城され、島原半島経略の武家方(北朝軍)の拠点であった。そのために九州探題今川了俊等がたびたび滞在したことがあったが、後に、在地土豪の山田一族の居城となった。山田氏は、代々主家有馬氏の重臣として活躍したが、特に有馬晴信夫人が山田氏から出るなど信任があつかった。慶長19年(1614年)有馬氏の転封に伴い、山田氏も主家とともに延岡に移ったために廃城となった。本丸、二の丸、出丸、空堀跡等が残っている。


現在は公園として整備されていることから、登城は容易で、遺構も較的良好に残っており、島原半島のお城ではおすすめです。


①D70_8309 
①山田城遠望。右側に展望台が見えます。


yamada_map.jpg ②案内板。写真撮影場所を赤い丸囲み番号で示しています。場所はおおよそ正しいとは思いますが不正確な場所もありますので参考程度にご覧下さい。(クリックすると拡大します)


③DSC_0400
③車で登城する場合は城内に駐車場がありお城の西側から入ります。入口は写真の看板を目印にして登城ください。


④D70_8214
④写真は展望台。右側は駐車場が写っていて、十台以上は停められそうです。休日ですが車は僕の車一台のみでした。


⑤D70_8222
⑤展望台からの景色。


⑥D70_8236
⑥物見台跡の様子。


⑦D70_8242
⑦物見台西側下の石垣の様子ですが、公園化に伴って積みなおしたものでしょうか。


⑧D70_8262
⑧山田城の中央部の高まりに祠があります。奥には本丸が写っていて、堀切で遮断されています。


⑨D70_8259
⑨⑧で写っていた堀切です。


⑩D70_8271
⑩本丸の様子。


⑪D70_8283
⑪本丸の要所要所には石積みが残されています。この隅石は往時のものでしょうか。


⑫D70_8294
⑫写真右側は本丸郭、左側は本丸西側の郭です。


2.守山城

続いて、守山城。案内板によると、

守山城は、室町時代初期頃(1400年ごろ)在地の土豪守山氏によって築城され、代々その居城であった。
守山氏は、早くから肥前の雄、有馬氏の外城を守る重臣として活躍し戦功をたてているが、諫早の西郷氏や神代氏と行動を共にすることも多く、有馬氏に叛旗を翻すこともあった。
特に、佐賀の竜造寺が勢力を拡大し、島原半島に侵攻するや神代氏等と共に竜造寺の軍門に降った。
沖田畷(島原)に於いて、龍造寺が島津・有馬の連合軍に敗れてから、暫くの間、守山城は島津軍に接収され、その前進基地として島津の猛将達が加番した。
天正15年(1587年)、豊臣秀吉の島津征伐によって再び守山氏の居城となったが、天正17年頃、神代氏とともに有馬軍の謀略により夜襲を受け、この城で一族郎党共に全滅し、廃城となった。


現在、公園化されており、また、道路や畑地・宅地化で、大きく改変されているようです。


⑬D70_8323
⑬この案内板を目印に登城ください。木々でこんもりしている場所が守山城です。


⑭D70_8327
⑭稲荷神社が祀られています。写真左端に駐車場(写ってません)があり、数台停められます。


⑮D70_8336
⑮本丸の様子。


⑯D70_8338
⑯本丸からの眺め。浄土真宗本願寺派 大福寺。


⑰D70_8345
⑰守山一族終焉之碑。有馬軍により、この城で一族郎党共に全滅した守山一族の悲劇を悼み、霊を弔うために建立されています。


⑱D70_8358
⑱本丸の高台下に石積がみられます。


⑲D70_8374
⑲東から守山城を眺めたところです。一見、断崖絶壁の高台に築かれた堅固なお城のようですが、道路が貫通するなどかなり改変されているようです。


場所は下図の通りです。Aは山田城、Bは守山城です。

 


最後まで見て頂きありがとうございます。
次回は、杉峰城、高田城、大河城をご紹介します。




広島で結婚式 ~その2~ 

こんにちは、広島での結婚式の帰りに山口を観光してきたので、ご紹介します。

前回は、萩の世界遺産 「萩反射炉」と「恵美須ヶ鼻造船所跡」をご紹介しましたが、続いて、「萩城」、「萩城下町」、「松下村塾」と、日本海に沿って西側に移動し、「角島大橋」、「元乃隅稲成神社」をご紹介します。


①DSC_0881
まずは、萩城。関ヶ原の戦いで敗れた後、周防国・長門国の二国に減封された毛利輝元によって慶長9年(1604年)によって築かれました。
背後の指月山にある山城と麓の平城とあわせた平山城となっており、本丸、二の丸、三の丸、詰丸で構成されていました。残念ですが、明治7年(1874)に天守閣、櫓などの建物は全て解体され、現在は石垣と堀等が残されています。


②D70_1673
往時は古写真のように優美な天守閣や櫓が建っていました。


③DSC_0901
天守台横の石垣上から撮影。


④D70_1548
毛利輝元公


⑤D70_1946
次は、松下村塾。吉田松陰が幕末に講義を行った私塾。ここでは身分に関係なく学ぶことができ、伊藤博文や高杉晋作などの幕末の志士を数多く輩出しました。


⑥D70_1952
当時、この八畳の部屋で多くの志士が学んでいたと思うと感慨深いものがあります。


⑦D70_1979
続いて、萩城下町。


⑧D70_1983 
西郷隆盛、大久保利通と並ぶ「維新の三傑」と呼ばれる木戸孝允、別名“桂小五郎”の生家。近くに高杉晋作の生家もあります。


⑨D70_2050
萩を後にして、日本海沿いに西に向かい、長門市にある「元乃隅稲成神社」(もとのすみいなりじんじゃ)を訪れました。たくさんの赤い鳥居が連なる風景が見どころとなっています。

ネットの観光情報では超有名な観光地になっていて、普通車はもちろん大型観光バスも狭い道を通ってくるので、休みの日は渋滞を覚悟しないといけません。僕らは7/24(月)に訪れましたが、第一・二駐車場は満車で5分程度待って入ることができました。


⑩D70_2091 

赤い鳥居よりも、個人的には、この奇岩に目を奪われました。なかなか飽きない風景です。僕の写真の腕ででは十分にお伝えすることができないので、是非ともこの目で確かめてください。


⑪D70_2172

「元乃隅稲成神社」から更に西に行くと、「角島大橋」があります。すっかりコマーシャルで有名になって、こちらも多くの人が訪れます。「元乃隅稲成神社」と比べるとインパクトは少な目です。


⑫D70_2200

角島側から眺めるとこんな景色です。


最後まで見て頂きありがとうございました。<(_ _)>

広島で結婚式 ~その1~ 

こんにちは、梅雨もようやく明けて、子供達も夏休みに入り、夏の甲子園のニュースが聞こえてくると、いよいよ夏が来たなぁと感じるこの頃です。


先日、日曜日に親戚の結婚式が広島であり、行ってきました。ただ、せっかくの広島なので、そのまま帰ってくるのはもったいないということで、帰り道々、遊んで帰ってきました。
広島は数年前に仕事で通算約4年住んでいたので、広島とその近郊はだいたい行き尽したので、近県を巡ってみました。
最初は「広島→しまなみ海道→愛媛-(フェリー)→大分→長崎」にしたかったのですが、かみさんから距離が長いということで、結局「広島→萩・長門→下関・門司→買い物→長崎」となりました。


①20160722_170426
ちょうど、結婚式の前日の7/22は広島-阪神戦のホームゲームが開催される予定だったので、さっそく、コンビニで予約。広島も4年住むと、ほぼ広島ファンになります(^_^;


②20160722_181012 
できれば黒田の200勝を見たかったのですが、残念ながら黒田の200勝は翌日23日でした。しかも、長崎・清峰高校出身の今村が200勝に花を添えて、見たかったなぁ~と、残念(T_T)。


③DSC07747
しかも、ビジター席。一か月半ぐらい前に予約したものの、広島側の席は連続した2席(息子と二人分)が確保できず、泣く泣くビジター席を予約。2F内野自由席もまったく取れませんでした。
おかげで、思いっきり応援ができませんでした。(T_T)


④DSC07741
適当につまみを購入。
⑤20160723_101415
戦利品は今村選手のユニフォーム。


⑥D70_1873
次に山口県・萩へ移動。萩はご存知の通り幕末の志士が活躍した地。そして日本の近代化を後押しした地でもあります。写真は昨年「明治日本の産業革命遺産」で世界遺産となった「萩反射炉」です。



⑦D70_1880
反射炉とは、炉内で石炭を燃焼させ、アーチ型の炉内で熱を反射、高温の状態を保ち、金属を精製する設備です。現在、煙突だけ現存し、往時は煙突の手前に燃焼炉があったのですが、失われています。


⑧D70_1888
煙突の裏側はこんな感じです。


⑨D70_1895
案内板。


⑩D70_1930
次は、恵美須ヶ鼻造船所跡。この施設も世界遺産「明治日本の産業革命遺産」の構成施設のひとつです。


⑪D70_1917

造船所というと、ドックを中心にクレーンや工場などの設備を連想しますが、恵美須ヶ鼻造船所跡は特に設備が残っておらず、見るものがありませんでした。写真にロープが写っていますが、ロープに沿って船を設計したり建造したりする建物が当時建っていたようです。
昨年、世界遺産に認定されたばかりで、施設の整備はこれからだと思いますので、楽しみに待っておこうと思います。


また、佐賀にも「三重津海軍所跡」という、同じ世界遺産に認定された施設があって、先日行ってきました。こちらも何もありませんでしたが、何もない代わりに「VRスコープ」という、音声ガイダンスを聞きながら、往時の様子を360度のパノラマ映像で楽しめる機材を無料で貸してくれます。
この恵美須ヶ鼻造船所も、三重津海軍所跡同様に見学者が多く、見学者がより理解を深めることができる工夫をして頂ければと思いました。


最後まで見て頂きありがとうございます。
次回は萩城下町、松下村塾、萩城をご紹介します。島原半島のお城は「広島で結婚式」終了後にご紹介します。

島原半島ぐるり城めぐり  

こんにちは、なかなか梅雨が明けないですね(;_;)。今日から3連休の方もいらっしゃると思いますが、九州地方はすっきりしない天気のようです。今日の長崎も外出に悩む天気です。
さて、次回から島原半島のお城を紹介したいと思います。ご紹介するお城は以下のマップの13城で、既に遺構がほとんど残っていないお城から近世城郭まで様々です。

島原半島では、中世より在地領主、島原の島原氏、国見の神代氏、瑞穂の綾部氏などが、また、中央から下向してきた御家人、深江の安富氏、有間の有馬氏(在地領主とも言われている)などが群雄割拠する中で、戦国初期に有馬氏が島原半島を統一したといわれています。

島原半島といえば、日本初の国立公園に指定された雲仙岳があり、その恩恵を受け雲仙温泉や小浜温泉が賑わいを見せ、また、島原市の城下町では雲仙岳の伏流水が豊富な湧き水を生み出しています。一方、平成3年の雲仙普賢岳の噴火災害や寛政4年に起こった「島原大変肥後迷惑」と呼ばれている地震と眉山の崩落により約1万5千人の方が無くなられたと聞きます。名物には、島原の乱の際、一揆軍の籠城食として、餅に加えて山や海からいろいろな材料を集めて雑煮を炊いたと伝えられている「具雑煮」や、白玉粉で作った小さな団子を島原の湧水で冷やし、蜂蜜、砂糖等で作った蜜をかけた「寒ざらし」。個人的は白石さんの「からあげ」もおすすめです。
それと、サッカーで有名な国見高校も島原半島北部にあります。



       興奮度                                 説    明
A.山田城  ★★☆  山田城址公園として整備され、各曲輪や堀切、石塁など遺構あり。
B.守山城  ★  公園となっており、遺構はほとんど確認できず。
C.高田城  ☆☆☆  国道による分断、宅地・畑地により改変著しく、遺構確認できず。
D.大河城  ☆☆  藪化しており遺構確認できず。
E.杉峰城  ★★☆  宅地・畑地化で遺構は少ないが、空堀と石塁の残る土橋が見どころ。
F.古城    ☆☆  畑地により遺構は確認できず。
G.鶴亀城  ★☆  本丸高土塁が見どころ。近くの神代小路と鍋島邸は必見。
H.丸尾城  ★☆  遺構は確認できなかったが、松平家の菩提寺・本光寺は必見。
I.島原城   ★★★☆  五重五階の天守と49基もの隅櫓を持つ石高に不相応な規模の城
J.深江城  ☆☆   宅地・畑地により改変著しく、遺構少ない。
K.日野江城 ★★★☆  キリシタン大名・有馬氏の居城。
L.原城   ★★★★☆  島原の乱の舞台。本丸桝形虎口や本丸近くの空堀が見どころ。
M.釜蓋城   ☆   遺構は少ない。天正遣欧少年使節の1人・千々石ミゲルの出生の地。

最後まで見て頂きありがとうございます。
次回は、山田城、守山城を紹介します。

佐世保の城を行く~直谷城~ 

こんにちは、まだまだ雨が続きますね。ニュースで雨の被害が伝えられますが、長崎でも先日高台の住宅地で土砂崩れのため住宅の基礎部分が失われ、民家が崩落する事故がありました。僕の実家もそうなんですが長崎は斜面に民家が建てられているため、危険個所が多くあると聞きます。
今回は避難指示がでていて、幸い人的被害はなく安堵しているところです。

さて、佐世保のお城シリーズの最終回は「直谷城」。直谷城は長崎県の指定史跡になっていることもあり、案内板もしっかりしていて、駐車場もあり、迷うこともなく、登城することができます。

築城時期はよくわかっていないようですが、松浦党を代表する在地領主・志佐氏の居城であるとされています。志佐氏は、西九州の領主と同様に東シナ海を舞台に、朝鮮国や琉球王国と交易を行っており、実際に城内からも中国製の陶磁器などが出土されているようです。
伝説では「壇ノ浦の戦い」で入水自殺したと伝えられている安徳天皇が実は生きていて直谷城に滞在されていたという言い伝えがあり、そのため、城のある山を「内裏山(ないりやま)」と呼ぶようになったと伝えられています。

内裏山山頂にある主要部(一ノ郭、二ノ郭)の周囲は概ね切り立った崖によって囲まれていますが、大手側は緩やかな登りになっており、4重の土塁と3重の空堀で厳重に守られています。この大手付近が直谷城の見どころになっています。

よろしければご鑑賞ください。

D70_5803.jpg
県指定史跡ということもあり立派な城郭図が設置されていました。朱書きの番号と写真説明の番号は大体合わせていますのでご参考まで。間違いがあればご連絡頂ければ幸いです。(clickすると少々大きくなります)

①D70_5798
①この標識が目印です。標識の右下に駐車場が見えています。

②D70_5799
②駐車場。5,6台止められます。

③D70_5802
③駐車場から山側に進むとすぐに案内板と城郭図が見えてきます。写真右端の階段から登城します。

④D70_5820
④しばらく進むと最初の関門、4重の土塁と3重の空堀のある場所に到着。この先が見どころになっているので、見逃さずに土塁と空堀を堪能してください。

⑤D70_5826
⑤一の土塁あたりから、登ってきた大手道を見下ろしたところです。

⑥D70_5830
⑥一の土塁を過ぎると左手に井戸跡が見えてきます。

⑦D70_5842
⑦二の木戸付近。二の木戸付近は石積みがみられ、虎口も狭くなっており厳重に警備されていることがわかります。

⑧D70_5844
⑧二の木戸の石積み

⑨D70_5854
⑨搦手口と主郭への分岐点。

⑩D70_5869
⑩一ノ郭。左端には石碑と案内板。

⑪D70_5873
⑪立派な石碑と案内板。その奥には天守閣があったと言われている小高い丘があります。

⑫D70_5894
⑫一ノ郭からの眺め。右下は吉井北小。

⑬D70_5905
⑬東物見台

⑭D70_5913
⑭天守閣跡とされています。

⑮D70_5941
⑮搦手道

⑯D70_5948
⑯搦手口木戸

⑰D70_5957
⑰自然石の門

D70_6006.jpg
(おまけ1)直谷城からほど近い場所にある黄金色に輝く田んぼ。去年の10月ごろです^_^;

D70_0986.jpg
(おまけ2)
本日の長崎港の様子。クァンタム・オブ・ザ・シーズ Quantum of the Seas(総トン数 168,666t 全長 347.1m) が入港中。大きい船だなぁ。

最後まで見て頂きありがとうございました。

次回は「島原半島ぐるり城めぐり」と題して、長崎県島原市、雲仙市、南島原市のお城をご紹介します。島原の乱の舞台の原城、同じく島原の乱の引き金となった石高不相応の大城郭・島原城、キリシタン大名・有馬氏の居城・日野江城などをご紹介します。

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プロフィール

しんこう

Author:しんこう
しんこうといいます。長崎市在住の50歳目前のオヤジです。かみさんと子供2人の4人家族です。よろしくお願いいたします。趣味の山登り、城や地元長崎の様子などについて発信させて頂きます。この屋根瓦は倉敷を訪れた際に、色の組み合わせが綺麗だなぁと思って撮影したものです。

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