城の尾城(長崎県大村市) 

こんにちは、台風などもあり、しばらく天気が思わしくありませんでしたが、今週末はいい天気♪

どこかにおでかけしようかと思案していたところ、かみさんから、土日は車を使う用事があるからということで土日は残念ながら自宅でまったりとすることになりました。
さて、今年3月に登城した長崎県大村市にある城の尾城(じょうのおじょう)をご紹介します。
城の尾城は大村市の東にある鶏首(けくび)地区にあり、大村郷村記に記載があるものの場所がわかっていなかったお城で、2002年に発見されました。
壺や茶器、皿などが出土されていて、それらの出土品などから1400年代の築城とされていますが、城主や築城の目的などは不明のようです。


①D70_9208
①城の尾城遠景 
※写真①から④の撮影場所は本ブログ下部のGoogle MAPをご覧ください。


shirono_map2.jpg

縄張り図。長崎県教育委員会発行の「長崎県中近世城館跡分布調査報告書Ⅱ(詳説編)」から転載させて頂いています。
写真撮影場所を赤い丸囲み番号で示しています(クリックすると拡大します)。場所はおおよそ正しいとは思いますが不正確な場所もありますので参考程度にご覧下さい。間違いがあればご連絡頂けると幸いです。青字は登城道です。(A)付近がわかりにくく、道路から小川に一旦降り、登城道にとりつく必要があります。


②D70_9062
②ここを左に入ります。


③D70_9063
③もう少しで城の尾城に着きますが、少々道が狭いです。普通車で行けなくはないですが、左右から木々の枝が伸びてきて、車のボディを痛めそうです。新車の方は注意が必要です。


④D70_9064
④城の尾城東端に着きました。この辺りは少々広くなっていて、車の転回もなんとかできました。中央の表示板から直登することもできますが、登城口は写真左へ下ります。


⑤D70_9071
⑤横堀。


⑥D70_9090
⑥続いて竪堀。明瞭に残されています。


⑦DSC_0422
⑦主郭部。帯郭が2重になっています。


⑧DSC_0426
⑧主郭西端の虎口。この付近は石積みが多く残っています。


⑨D70_9116
⑨隅部の石積のアップ。長崎県の山城に多い平べったい石を積み重ねる工法。


⑩D70_9119
⑩虎口は階段状になっていますが、桝形にはなっておらず、直線的な虎口。


⑪D70_9142
⑪城の尾城はひょうたん型をしていますが、この写真はひょうたんのくびれた箇所です。
このくびれを更に掘り起こして、堀切にしてもよさそうですが、その形跡はありません。


⑫D70_9157
⑫ひょうたんの西側副郭中央にある堀切。郭の中央部を堀切にする意図が不明。面白いです。


⑬D70_9160
⑬堀切にかかる土橋。往時堀切はもっと深かったと思われます。


⑭D70_9146
⑭⑪の場所に戻ってきました。南側に登城道が伸びています。


⑮D70_9189
⑮登城道を下ります。


⑯D70_9191
⑯登城道から城の尾城を見上げたところです。岩がむき出しです。


⑰DSC_0421
⑰降りてきました。田畑がありますが、今は作られていないようです。



A(オレンジ) : 城の尾城
青の線は登城口までの行先です。


最後まで見て頂きありがとうございました。


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小江城(長崎県諫早市) 

こんにちは、日を追うごとに涼しくなってきて、食卓に梨やぶどうなどがでてくると秋は近いなぁ~と感じる今日この頃です。
会社勤めの方は今日から3連休の方も多いと思いますが、あいにく雨+台風接近中です。天気予報では今日の午前中だけは晴れるとのことでしたので諫早市高来町にある小江城に登城してきました。
高来町とそのお隣の小長井町には、小江城のほか、古田城、権現岳城など見どころあるお城があります。


小江城は山の尾根先を利用した標高50m~80mの丘陵地に築かれています。出自など不明ですが中世時代の城とされています。



①D70_2905
①小江城の東側高台から撮影。


koe_jyo_map1x.jpg
縄張り図。長崎県教育委員会発行の「長崎県中近世城館跡分布調査報告書Ⅱ(詳説編)」から転載させて頂いています。
写真撮影場所を赤い丸囲み番号で示しています(クリックすると拡大します)。場所はおおよそ正しいとは思いますが不正確な場所もありますので参考程度にご覧下さい。間違いがあればご連絡頂けると幸いです。青字は主な通路です。


②D70_2766
②小江城西側から登城できます。近くで草刈りされていた女性の方とお話しさせて頂き、「お城はあるけど、何もないよ」とのことで、一言お断りして登城させていただくことになりました。


③D70_2898
③②から道沿いに進むと左側の草むらに堀切がありますので、お見逃しなく。


④D70_2809
④堀切。明瞭に残っています。かなり土砂で埋まっているものと思いますので、往時はもっと高さがあったものと推測されます。
小江城は「日本城郭大系」にも記載が無い城で、あまり期待していなかっただけに、少々興奮。


⑤D70_2813
⑤主郭側の石積。へこみがありますが、堀切にかかる木橋を渡していたのでしょうか。


⑥D70_2831
⑥⑤のすぐ隣に土を盛り上げた場所があります。櫓台や見張り台なのかもしれません。


⑦D70_2859
⑦主郭東側には石積がみられます。


⑧D70_2870
⑧一部石積が破損している場所もありますが、この辺りはきれいに残っています。


⑨D70_2772
⑨堀切を後にして、主郭部へ向かいます。城の西側は斜面が緩やかで帯郭らしきものも見られます。


⑩D70_2789
⑩北側主郭部。写真奥はみかん畑になっています。

⑪D70_2784
⑪南側主郭部。北から南にかけて緩やかに段差のある削平された郭が作られています。


⑫D70_2910x 
⑫小江城から車で十数分の場所にある古田城の案内板。相変わらずの準備不足で登城口がわからず今回は退散。
城の規模も大きく近くに城以外の遺構もあり十分な下準備が必要です。またこよっと。


 ⑬D70_2917
⑬最後に古田城と棚田。古田城は左上の山にあります。この季節黄金色に輝くお米と真っ赤な彼岸花が見られます。


場所は下図の通りです。

A : 小江城

B: 古田城



最後まで見て頂きありがとうございました。


祝 広島カープ優勝 

25年ぶり7回目のリーグ優勝おめでとうございます!

おやじよりも息子のほうが熱狂的カープファン。

優勝を決めた今日の試合は今シーズンの広島を象徴する逆転試合。ジャクソンが8回に危ない場面もありましたが、先発黒田に、勝利の方程式、今村-ジャクソンとつなぎ、最後は危なげなく中﨑が抑えて、6-4で勝利!黒田が泣いてましたね。

今日明日の広島市内は大変な盛り上がりなのでしょう!

広島カープおめでとう!

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先日買った今村のユニフォームとだいぶ前に買った前田のユニフォーム

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6年くらい前?のグッズ

島原半島ぐるり城めぐり ~原城・釜蓋城~ 

こんにちは、9月に入ってすっかり涼しくなってきました。
東北地方では先日の台風10号で大きな被害を受けられ、多くの方が亡くなられており、お悔やみ申し上げます。
現在、九州地方にも台風が接近していて長崎県地方は直撃の見込みです。坂の町長崎は傾斜地や谷あいにお住まいの方も多いので、被害の無いことを祈るばかりです。
台風12号
気象庁ホームページより転載させていただいております。


さて、長崎県・島原半島のお城紹介の最終回は、原城と釜蓋城をご紹介します。


原城は、明応5年(1492年)に有馬貴純により、日野江城の支城として築城されました。その後、有馬氏は日向へ転封となりましたが、新たに入封した松倉氏が島原城に居を移し、また一国一城令により原城は廃城となりました。
また、寛永14年(1637年)には、島原・天草の一揆軍が立てこもった島原の乱の舞台として、歴史に名を残すお城となっています。

原城は日野江の支城ということで、規模や技術的にもあまり期待はしていなかったのですが、実際には、周囲3km、41万㎡の広さを持ち、本丸の高石垣や大手口から本丸に至る桝形など、十分に見ごたえのあるお城です。


釜蓋城は、永禄12年(1569年)に、島原半島を治めていた有馬氏の出城として千々石淡路守直員により築城されました。千々石淡路守直員は、天正遣欧少年使節の一人千々石ミゲルの父にあたります。


1.原城


①D70_0829
①本丸遠景。左下は蓮池跡。


hara_jyo_map1.jpg

原城のほぼ全景です。ご紹介するのは本丸近辺になります。

この縄張り図は、長崎県教育委員会発行の「長崎県中近世城館跡分布調査報告書Ⅱ(詳説編)」から転載させて頂いております。


harajyo_map2.jpg

原城本丸の拡大図です。写真撮影場所を赤い丸囲み番号で示しています。(一部の写真は矢印で撮影方向も示しています)場所はおおよそ正しいとは思いますが不正確な場所もありますので参考程度にご覧下さい。間違いがあればご連絡頂けると幸いです。青の線は大手門から本丸への導線です。

この縄張り図は、長崎県教育委員会発行の「長崎県中近世城館跡分布調査報告書Ⅱ(詳説編)」から転載させて頂いております。



②D70_0757
②二ノ丸出丸先付近。案内板がお出迎えです。


③D70_0764
③田町門付近から撮影。中央付近に櫓台が見えます。


④DSC_0642
④空堀跡。この付近は二の丸と本丸を分ける場所にあり、島原の乱の際に、本丸を孤立化するために築かれたとされています。
寛永14年(1637年)2月21日に食料・武器等の奪取の為、夜襲軍4千余人はここに集結し、黒田軍・鍋島軍を襲撃したが失敗に終わったと伝えられています。


⑤DSC_0676
⑤蓮池跡。本丸と二の丸を分ける堀の役割があります。


⑥D70_0861
⑥本丸大手口。


⑦DSC_0649
⑦立派な桝形虎口です。原城一番の見どころと思います。黄色の線が導線になりますが、簡単には本丸には到達できません。


⑧DSC_0654
⑧⑦の写真の右奥付近。大手口から二回目の折れ。ここを真っ直ぐ進んでも、まだ本丸には入れないようです。


⑨D70_0878
⑨最後の桝形です。真っ直ぐ進んで右に折れると本丸に入れます。


⑩DSC_0660
⑩本丸櫓台付近からの西側の眺め。左の海は島原湾。
天草丸には、天草の各村の約2000人が守っていたと伝えられています。


⑪D70_0904
⑪本丸跡に立てられている島原の乱の総大将 天草四郎像。


⑫D70_0915
⑫本丸跡の十字架。


⑬D70_0914
⑬本丸東側の池尻口門付近から眺めた大手口方面。写真右は蓮池跡。左は本丸石垣が見えます。往時は高い石垣が続いていたと思われますが、島原の乱の後、徹底的に破却されたのでしょう。


⑭DSC_0668
⑭池尻口門


⑮D70_0935
⑮池尻口門から眺めた本丸東側を守る石垣。


⑯DSC_0675
⑯大手口近くからの本丸の眺め。


2.釜蓋城
⑰DSC_0008_141221_619
⑰釜蓋城は千々石町橘神社の背後の小高い山に築かれていました。現在は写真の天守風の展望台が建てられており、一帯は整備がなされています。


⑱DSC_0021_141221_632
⑱「天正遣欧少年使節 千々石清左衛門の碑」


⑲DSC_0029_141221_640
⑲展望台からの眺め。正面の海は橘湾。


場所は下図の通りです。
A: 原城
B: 釜蓋城


最後まで見て頂きありがとうございました。m(_ _)m


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プロフィール

しんこう

Author:しんこう
しんこうといいます。長崎市在住の50歳目前のオヤジです。かみさんと子供2人の4人家族です。よろしくお願いいたします。趣味の山登り、城や地元長崎の様子などについて発信させて頂きます。この屋根瓦は倉敷を訪れた際に、色の組み合わせが綺麗だなぁと思って撮影したものです。

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