井手平城(長崎県佐世保市)後編 

こんにちは、今日長崎は雲一つ無いいい天気です。お出かけ日和なんですが、かみさんが車で外出しているうえ、家の雑用もあって今週末は家にこもりきりです(T_T)



さて、ゴルーデンウイークに登城した井手平城の後編です。今回は東出丸の南側と本丸をご紹介します。




0_D70_7930.jpg
井手平城遠景。南側からの撮影。二つ並んだ山の右側が本丸、左側が西出丸です。


①D70_7791
①前編では、東出丸の南側虎口までご紹介しましたが、虎口から更に南側を降りていきます。

更に南側に降りていくと、ここにも石仏があります。


②D70_7813
②しばらく降りていくと登城口が見えてきました。


③D70_7817
③写真②を降りて左側に進むとすぐに千人塚があります。千人塚は、1586年(天正14年)の大村・有馬・西有田・波多の連合軍より井手平城が攻められ、落城した際の戦死者の墓と伝えられています。


④D70_7815
④千人塚の説明板


⑤D70_7824
⑤井手平城の登城口は各所にあるようですが、本丸と東出丸に挟まれた南側の登城口です。


⑥D70_7830
⑥写真⑤から北側に進みます。左側が本丸。右側が東出丸です。両曲輪ともに切り立っていて、攻めるには難しいです。


⑦D70_7847
⑦谷道を登り上がると、水堀、土橋が現れます。写真右上へは本丸虎口へ至ります。


⑧D70_7846
⑧南側から北側へ撮影した水堀です。写真奥に東出丸へ渡る土橋があります。


⑨D70_7863
⑨写真⑦の土橋には水を通す排水口があり、埋もれないようにきちんと石積しています。


⑩D70_7914
⑩いよいよ本丸へ進みます。本丸の登城口ですが、虎口が大きく屈曲しています。往時と同じものか定かではありませんが、攻めにくいように工夫しているのだと思いますが、ただ、左上に続く本丸への登城道は真っ直ぐです。


⑪D70_7871
⑪写真⑩から登城道を真っ直ぐに登り上がると右手に石碑があります。その上には土塁が巡らされています。


⑫D70_7879
⑫本丸に入り左側の様子です。明瞭に土塁が残されています。土塁に沿って石仏もあります。


⑬D70_7880
⑬案内板


⑭D70_7882
⑭本丸中央部の様子。あまり広くないです。井手平城は本丸、東出丸、西出丸の三つの曲輪で成り立っていますが、各曲輪は水堀や切り立った空堀で分断されており、戦いの際には連携するのが難しく、守るには難しい城のように感じました。ここ本丸は多くの兵を配置することはできないので、南側を監視する出丸もしくは見張り台として機能していたのではないかと感じました。


⑮D70_7909
⑮本丸東側の空堀と土塁。


⑯D70_7896
⑯本丸南側の空堀と土塁。空堀はほとんど埋まっています。


⑰D70_7898
⑰本丸西側の空堀と土塁。


⑱D70_7885
⑱本丸虎口を内から外へ眺めたところです。


⑲D70_7916
⑲上宮神社へ戻ります。右は西出丸です。




縄張り図

idehira1_1.jpg 

※「長崎県中近世城館跡分布調査報告書Ⅱ(詳説編)」から転載させて頂いております。




所在地
これまでご紹介した写真の撮影場所をマークしてみました。写真説明の丸囲み番号と一致させています。



最後まで見て頂きましてありがとうございました。
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井手平城(長崎県佐世保市)前編 

こんにちは、5月も半ばを越えだんだん暑くなってきましたね。先週末は佐世保方面の山城に行ってきましたが、蚊が凄かった上に、ヘビがにょろにょろしてました。これからの季節、山城に入られる場合はお気を付けください。


さて、ゴルーデンウイークに登城した井手平城をご紹介します。予想以上に見どころが多くて、前後編2回でご紹介します。


井手平城は、佐世保市東部の陶器の町三河内に近い新替町にあります。戦国時代の終わりごろ井手平城は平戸松浦氏が守っていましたが、井手平城の南と東を流れる小森川の対岸は大村氏の領土であったため、国境を守る最前線の城とされていました。また、1586年(天正14年)に大村、有馬、波多の連合軍に攻められ落城したと伝えられています。


①D70_7943
①井手平城遠景。東側からの撮影。(井手平城は写真中央手前の丘陵地です)


②D70_7918
②上宮神社。背後の森は本丸。車は上宮神社の駐車場に停めさせて頂きました。ありがとうございました。


③D70_7629
③上宮神社に向かって左側の道沿いに案内板が設置されています。


④D70_7632
④案内板を過ぎ、道沿いに山側へ進むと分かれ道が見えてきますので、真っ直ぐ進んで下さい。


⑤D70_7643
⑤さらに進むとこの辺りから、左側は西出丸へ、右に行くと本丸へ、真っ直ぐ進むと東出丸へ行けます。


⑥D70_7915
⑥まずは西出丸から登城。西出丸を見上げたところです。赤色の線に沿って進むと西出丸曲輪へ、黄色の線へは武者走?へ。


⑦D70_7651
⑦西出丸の南端からの眺め。中央手前の森は大村氏が井手平城攻めの為に築いた塩浸城という陣跡です。


⑧D70_7669
⑧西出丸中央部。左側が一段高くなっています。


⑨D70_7681
⑨東出丸との間の谷に降りてきました。


⑩D70_7686
⑩谷を南側に進むと水堀が見えてきます。左側は東出丸。山城で水堀があるのは珍しいです。


⑪D70_7691
⑪土橋を渡って東出丸へ進みます。


⑫D70_7704
⑫東出丸登城道。左下は水堀。


⑬D70_7713
⑬石積もあるようですが、往時のものか不明。


⑭D70_7725
⑭堀切が二つ並んでいます。尾根からの攻め手を防ぐ大事な堀切です。


⑮D70_7732
⑮井手平城の3つの曲輪のあちらこちらに石仏があります。このお城で戦死された方の供養のためとも考えられています。


⑯D70_7740
⑯案内板


⑰D70_7753
⑰東出丸には鉄塔があります。


⑱D70_7756
⑱東出丸南側には虎口らしきものがあります。(写真中央左)


⑲D70_7757
⑲虎口から外を見ると真っ直ぐではなく、攻めにくいように食い違いになっています。


⑳D70_7766
⑳虎口を外から見ると、ここにも石仏があります。



縄張り図
idehira1_1.jpg
※「長崎県中近世城館跡分布調査報告書Ⅱ(詳説編)」から転載させて頂いております。



所在地
これまでご紹介した写真の撮影場所をマークしてみました。写真説明の丸囲み番号と一致させています。


最後まで見て頂きありがとうございました。

次回は井手平城・後編です。

小峰城(長崎県東彼杵郡川棚町) 

こんにちは、ゴールデンウィークも後半戦、楽しいお休みはあっという間に終わります(+_+)。そろそろ頭の中を仕事モードに切り替えなければ。


昨日5/4は、せっかくのゴールデンウィークなので少々遠出をしてみようかと佐賀県名護屋城の陣跡めぐりか、大分県中津市にあるの長岩城と一ツ戸城あたりへ登城しようかとも思いましたが、長崎県東彼杵郡近辺の城館は未登城だったので、長崎県佐世保市南東部と東彼杵郡波佐見町と川棚町の城館へ登城してきました。この近辺は大村氏、平戸松浦氏、後藤氏がせめぎあう国境の城が多く、多くの戦が行われたと伝えられているようです。


まずは小峰城からご紹介します。小峰城という名前のお城は、近辺に佐世保市長畑町、東彼杵郡東彼杵町瀬戸郷の合わせて3か所あり紛らわしいのです。ご紹介する小峰城は東彼杵郡川棚町にあります。
小峰城は1566年(永禄9年)に後藤貴明が大村領内の侵攻のための陣城として標高164mの小峰山に築城されたと伝えられています。


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1 小峰城西側から撮影


02_D70_8096.jpg
2 案内板。小峰城西側麓にあります。場所は本ブログの「所在地」を参照下さい。


03_D70_8097.jpg
3 案内版右脇のコンクリートの通路から登城します。


04_D70_8101.jpg
4 しばらく登りコンクリートの通路が終わるあたりに石碑があります。


05_D70_8109.jpg
5 更に登ると動物よけの柵が見えてきます。「開けたら閉めてください」との表示がありますが、この扉はしっかりと固定されていて開けるのが難しいので、飛び越えたほうが早いです。


06_D70_8117.jpg
6 動物よけの柵を過ぎ道なりに進むと左手に石積が見えてきます。麓近くにあり段々畑のように見えます。

07_D70_8139.jpg
7 ジグザグの道を登ります。山頂に行くほど石ころが多くなり歩きにくくなります。靴はしっかりした登山靴をお勧めします。

08_D70_8148.jpg
8 山頂近くになると石積が見えてきます。こんな高いところまで畑を作るとも思えないのでこの石積は城郭遺構と思われます。ただ、6番の写真と積み方が酷似していて、6番の石積も城郭遺構なのかもしれません。

09_D70_8336.jpg
9この付近は多数の小石が散乱していて、往時は相当の石積が山頂直下を取り巻いていたのかもしれません。

10_D70_8163.jpg
10 更に登ると主郭から一段下がった西側曲輪の西端を守る石積。自然石を活用しながら要所に玄武岩を平積みしています。

11_D70_8168.jpg
11 写真10番の石積の北西側。樹木で石積が崩落しています。


12_D70_8171.jpg
12 写真10番の石積の北西隅。横矢がかかっています。


13_D70_8183.jpg
13 写真12番の石積を北側から撮影。


14_D70_8202.jpg
14 写真10番の石積の南西隅。右側を進むと西側曲輪へ入れます。


15_D70_8207.jpg
15 西側曲輪の虎口のようです。


16_D70_8212.jpg
16 西側曲輪から主曲輪を見上げたところです。斜面に石が散乱しています。往時は階段が設えていたのでしょうか。


17_D70_8314.jpg
17 主曲輪へ至る斜面を途中まで登ってみました。中央は虎口と思われますが、左右はしっかりと石が積まれています。


18_D70_8307.jpg
18 写真17の虎口右側の石積を拡大してみました。中央の石積は崩落しています。


19_D70_8231.jpg
19 主曲輪。小峰山山頂は東西に長いため、主曲輪も東西に長細くなっています。また、往時はこんなに平坦にはなっていなかったでしょうから、きれいに削平しているようです。西から東へ撮影していますが、東端はよく見えません。


20_D70_8258.jpg
20 主曲輪東端に、なぜか二宮金次郎の像と歌(像の隣の説明版)


21_D70_8246.jpg
21 主曲輪東端からの眺め。奥の山並みの中央左の尖がった山は長崎のマッターホルンと呼ばれている虚空蔵山と思われます。若かりし頃に登りました(^_^;


22_D70_8268.jpg
22 主曲輪東側の石積みの状況を確認するため、曲輪直下に降りてみました。大きな自然石でできています。

23_D70_8278.jpg
23 中央下は手積みしているように見えます。


24_D70_8286.jpg
24 主曲輪直下は大きな石が取り巻いています。


縄張り図
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※「長崎県中近世城館跡分布調査報告書Ⅱ(詳説編)」から転載させて頂いております。



所在地

※青のアイコンは小峰城。赤のアイコンは案内板と登城口。

最後まで見て頂きましてありがとうございました!



平松城(長崎県諫早市) 

こんにちは、ゴールデンウィークも真っ只中。僕はあんまり予定は無いんですが、博多に1泊して野球観戦と、あと1日は県外に城めぐりをしようかなぁと考えているところです。天気も概ねよさそうなので皆さんもお出かけてはいかがでしょうか。


さて今回は、諫早市の平松城をご紹介します。

平松城は、多良岳南側山麓の二股に分かれた丘陵地上にあり、西郷氏が大村氏の抑えのために、室町時代後期につくられた支城と考えられています。



①D70_4700

①平松城遠景。中央の家を境に左右の丘陵地に築かれています。左は西側、右は東側にあることから、それぞれ西曲輪、東曲輪と呼ぶこととします。
今回西曲輪は登城口がわからず断念、東曲輪のみの紹介になります。


②D70_4743

②「城郭放浪記」、「余湖くんのホームページ」を参考にさせて頂くと、北側に尾根道があることがわかり、車を邪魔にならないように停め、登城することとしました。


③D70_4714

③尾根道は近隣の方が整備して頂いているようで、容易に進むことができます。ただ、途中西曲輪へ至る道があるはずのところわからず断念。


④D70_4731

④東曲輪中央部。中央部は少々高くなっており物見にしてもよさそうです。しかし、幅はこの程度なので居住には向きません。


⑤D70_4718

⑤東曲輪からの眺め。


⑥D70_4747
⑥東曲輪の南端には平松神社が祀られています。一旦麓に降り、平松神社から東曲輪南端部を探索します。

⑦D70_4755
⑦平松神社社殿。


⑧D70_4751
⑧案内板。左1/4程に平松城の由来も書かれています。


⑨D70_4761 
⑨右の木は「ムクロジ」というらしいです。


⑩D70_4766
⑩平松神社向かって右脇から裏山に入っていくと、まずは堀切。かなり埋まっていて判別が難しいです。

⑪D70_4770
⑪更に登っていくと、こちらは明瞭な空堀。また左側はそれほどの高さはありませんが切岸もみられます。

⑫D70_4773
⑫⑪は東側に向けて撮影していますが、こちらは西側の空堀を撮影。往時はもっと深かったのだと思います。

⑬D70_4782
⑬東曲輪の南端には複数の帯曲輪が造られていますが、写真はその一つ。


⑭D70_4789
⑭石積も見られますが往時のものか不明。


⑮D70_4796
⑮東曲輪から見た西曲輪。


⑯D70_4807

⑯平松神社に降りてきました。
長崎県の小規模城郭は宅地や階段状の畑地に改変されていることが多いのですが、平松城はあまり手が加えられていないようで、比較的旧状を残しているように感じました。




縄張り図
hiramatsu1.jpg

※「長崎県中近世城館跡分布調査報告書Ⅱ(詳説編)」から転載させて頂いております。



所在地

青のアイコン・・・西曲輪

緑のアイコン・・・東曲輪

赤のアイコン・・・北側の尾根道入口




最後まで見て頂きありがとうございました!

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プロフィール

しんこう

Author:しんこう
しんこうといいます。長崎市在住の50歳目前のオヤジです。かみさんと子供2人の4人家族です。よろしくお願いいたします。趣味の山登り、城や地元長崎の様子などについて発信させて頂きます。この屋根瓦は倉敷を訪れた際に、色の組み合わせが綺麗だなぁと思って撮影したものです。

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