風南城(長崎県東彼杵郡川棚町) 

こんにちは、6月後半に入って雨が多くなってきました。今週末は残念ですが雨のため登城は難しそうです。


さて、ゴールデンウイークに登城した風南城をご紹介します。風南城は東彼杵郡川棚町の風南山の山頂に築かれた山城です。
後藤氏が大村領内への侵攻するための陣城である小峰城に対して、大村氏により築かれ、緊急時には山道、立岩、上組、下組などに住む13人の武士が頭になり、百姓たちもかけつけてこの城を守ったと伝えられています。

①D70_8489
①風南城南側からの撮影


②D70_8508
②風南城西側県道4号線沿いのバス停。バス停も風南城跡。写真右側に説明板も写っています。場所はGoogle Mapを参照下さい。

③D70_8501
③説明板


④D70_8422
④風南城南東付近まで車で上ってきました。山頂付近までは南側の麓から林道が通じています。登城口はGoogle Mapを参照下さい。
写真奥の林が城域です。地肌が見え、何かの造成が進んでいるようで、遺構の破壊が心配です。


⑤D70_8488
⑤写真④の左端から城内に入ります。


⑥D70_8428
⑥入って右側に進むと、風南山の北西側を分断する堀切が現れます。


⑦D70_8474
⑦主郭です。


⑧D70_8438
⑧風南城北から東側にかけて石積が見られます。


⑨D70_8445
⑨ここにも


⑩D70_8446
⑩写真⑨のアップです。


⑪D70_8455
⑪上段に主郭が見えます。一段下がった場所に石塁が見られます。


⑫D70_8460
⑫土塁も残されています。


⑬D70_8462
⑬土塁の内側にも外側にもしっかり石塁で補強しているようです。


⑭D70_8468
⑭城内の随所に石塁が見られます。


⑮D70_8432
⑮東側の眺めです。


P6171435.jpg
(おまけ1)
先週、長崎県西海市の親戚のおじさんから、夏みかん、ビワがなっとるけん、とりにこんねぇ(長崎弁)とのことで、おじゃましてきました。
親戚のおばさんの家は西海市の西側、外海とよばれている場所にあって、のどかなところです。

P6171446.jpg
夏みかんはだいたい酸っぱくて、普通ははちみつなどに漬けて食べますが、この夏みかんは酸っぱさが少なくまずまずでした。

P6171441.jpg
桃もありました。まだ少々固いですが、味はまずまず。


P6171453.jpg
今の季節、長崎のあちらこちらに手入れされていないビワが沢山なっています。西海市も他の地域と同様に高齢化が進んでいて、手入れが難しく、放置されているビワが多いです。


P6171439.jpg
柿はちょっと早いですね。

P6171425.jpg
(おまけ2)
名古屋に出張してきました。7月からしばらく名古屋で仕事することになりそうです。
僕はお菓子には目がないのですが、名古屋といえば、坂角のゆかりですよね。昔、若い頃名古屋に出張にいっていた女性の上司がよく買ってきてくれました。少々安い簡易パッケージのものを購入。えびせんべいは各地にあるようですが、坂角のゆかりは別格ではないかと思います。もし、もっとおいしいえびせんべいがあればぜひ教えてください。


P6171419.jpg
最後にコンビニで購入した味噌煮込みうどん。水は分量通りにしましたが、僕は濃い味が好きなので、水は少な目にしたほうが良かったです。



縄張り図
funan_jyo1.jpg

※「長崎県中近世城館跡分布調査報告書Ⅱ(詳説編)」から転載させて頂いております。



所在地

赤のマーカーは風南城、青のマーカーは風南城跡バス停、緑のマーカーは林道の入口です。


最後まで見て頂きありがとうございました。
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松山城(長崎県東彼杵郡波佐見町) 

こんにちは、6月に入り梅雨の季節です。先週末、今週末共に天気はいいのですが、湿度が高くて、梅雨の到来を感じさせます。



さて、井手平城に引き続きゴルーデンウイークに登城した松山城をご紹介します。松山城は東彼杵郡波佐見町にあり、戦国時代、大村氏と後藤氏がせめぎあう国境の城です。この松山城を巡って幾度の戦が行われています。



戦国末期には大村方の福田丹波守がこの城を守っており、丹波守の留守中に後藤勢から攻められましたが、丹波守の娘が城兵を指揮し、自らも投石、敵を退散させ、「石打ちの御子」と呼ばれたと伝えられています。
しかし、その後、後藤氏に屈すると、大村氏の家臣で丹波守の弟薩摩守忠兼により丹波守は追放され、兄に代わり松山城主となります。



松山城は130m程の丘陵地を利用、中央に主郭を配し、尾根沿いに小規模な郭を持つ小規模な山城です。主郭は南北に長く東西は狭いため、城内に居住したとは考えにくく、平時は麓の居館に住み、緊急時に城内に立てこもったものと思われます。



①D70_8086
①松山城西側からの撮影



②D70_8073
②麓の道路脇に設置されている説明板



③D70_7953
③南側から登城します。個人の敷地内を通りますので、一言お断りを入れて登城させて頂きました。ありがとうございました。
縄張り図によると南側からは登城道があるように記載されていますが、実際には道は不明瞭でした。



④D70_7972
④主郭。南北は長いですが、東西は十m程度しかなく、大きな建物を造るには適しません。



⑤D70_7973
⑤北側に進むと土を積み上げた高まりがあります。物見台でしょうか。



⑥D70_7993
⑥主郭北端から北東の尾根沿って進むと、堀切を発見。しかし、堀底はかなり埋まり、不明瞭です。



⑦D70_8010
⑦更に北東へ進むと、先端部は段々の小規模な曲輪があります。(写真ではわかりにくいです)



⑧D70_8017
⑧主郭北端直下の様子。北西の郭と連絡する武者走りのように見えます。



⑨D70_8019
⑨主郭北端直下の切岸。



⑩D70_8023
⑩石積らしきものを見つけましたが、自然石でしょうか。



⑪D70_8027
⑪最後は北西郭の堀切。この堀切も深さがありません。




縄張り図
hasami_matsuyama1.jpg 
※「長崎県中近世城館跡分布調査報告書Ⅱ(詳説編)」から転載させて頂いております。




所在地
これまでご紹介した写真の撮影場所をマークしてみました。写真説明の丸囲み番号と一致させています。
間違いがあればご連絡頂けると幸いです。



最後まで見て頂きましてありがとうございました!


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プロフィール

しんこう

Author:しんこう
しんこうといいます。長崎市在住の50歳目前のオヤジです。かみさんと子供2人の4人家族です。よろしくお願いいたします。趣味の山登り、城や地元長崎の様子などについて発信させて頂きます。この屋根瓦は倉敷を訪れた際に、色の組み合わせが綺麗だなぁと思って撮影したものです。

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