加納城(岐阜県岐阜市) <名古屋勤務シリーズ> 

こんにちは、まだまだ暑いですねぇ、先週からまた暑さが戻ってきた感じですが、めげずに名古屋出張シリーズの第二回は加納城。

名古屋出張といいながら目が岐阜方面に向いてしまい、先週は岐阜城、加納城、大垣城、そして一昨日から映画が公開された「関ケ原」へ。

加納城は、文安2年(1445年)に土岐氏の家臣・斎藤利永によって沓井城として築城され、天文7年(1538年)には廃城されたと伝えられています。
関ヶ原合戦の後、破却された岐阜城に変わり、慶長7年(1602年)に天下普請として築城し、徳川家康の義理の息子である奥平氏が入城しています。その後、大久保忠職、戸田光重など城主は変わり、宝暦5年(1755年)に永井信陳が加納藩主となり、明治維新まで代々永井氏の居城となっています。


0_D70_0135.jpg
加納城本丸

①D70_0109
①現在加納城は公園となっていて市民の憩いの場所になっているようです。けっこう緑が多いので、夏休み中の子供達は両親と昆虫観察をしている姿がチラホラ。


②D70_0111
②昔の加納城の様子。①の図と比較して頂くと、現在の遺構は本丸のみですが、往時は二ノ丸、三の丸を持ち、二重の水堀を持つ大きな城であったことがわかります。


③D70_0112
③まず北側の入口から入りますが、往時はここに入口はありません。


④D70_0113
④本丸の様子。往時は御殿や櫓があったと思われますが、明治の廃城令で破却されたようです。


⑤D70_0124
⑤本丸を取り囲む土塁は高さもあり見事です。一部ロープが張っていて立入禁止になっていました、残念!


⑥D70_0126
⑥この写真も正面と左側に立派な土塁が写っています。


⑦D70_0131
⑦本丸中央部


⑧D70_0151
⑧南東側の石垣の様子。往時中央の広場は堀で、水が湛えられていたと思いますが、埋められてしまったようです。


⑨D70_0158
⑨同じく南東付近の石垣の様子。堀が埋められているので、往時石垣の高さはもっと高かったはずです。


⑩D70_0185
⑩南西隅の石垣。積み方は粗く、野面積で積んでいるようです。


⑪D70_0181
⑪南側の門に出てきました。この門は臆病門と呼ばれ、往時は水堀の上に木橋が架けられていたようです。



所在地

最後まで見て頂きありがとうございました。
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しんこう

Author:しんこう
しんこうといいます。長崎市在住の50歳目前のオヤジです。かみさんと子供2人の4人家族です。よろしくお願いいたします。趣味の山登り、城や地元長崎の様子などについて発信させて頂きます。この屋根瓦は倉敷を訪れた際に、色の組み合わせが綺麗だなぁと思って撮影したものです。

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