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観音寺城(滋賀県)② ~思い出の名古屋勤務シリーズ~ 

こんにちは、今日6/30は雨が降ったりやんだりですっきりしない天気です。また、台風7号が7/2から7/3にかけて九州の西側を通るようなので注意が必要です。


さて、観音寺城の第二回は、伝平井丸を後にして、繖山南西へ延びる尾根筋造られた伝池田丸、大石垣、伝木村丸、観音正寺を通って、佐々木城へ向かいます。



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01 伝平井丸を後にして、伝池田丸へ向かいます。途中右側に小規模な曲輪があり、写真の虎口はその一つ。



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02 曲輪の様子


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03 伝池田丸へ向かいます。


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04 伝池田丸。曲輪は一段高くなっています。伝池田丸には、伝平井丸とは異なり曲輪と通路とを仕切る高い石積が見当たりませんね。

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05 伝平井丸から下ってきた方向を眺めてみました。


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06 伝池田丸の様子。写真奥の曲輪西側には石塁が見えます。


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07 伝池田丸西側の虎口。家臣団の虎口は桝形などの技巧的な作りにはなっていないようです。


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08 写真07の虎口から外に出て、伝池田丸西側の石積の様子を観察。高さはあまりありませんね。

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09 伝池田丸西側の曲輪内の石積の様子。

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10 伝池田丸の石碑。

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11 伝池田丸を後にして、大石垣へ向かいます。

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12 大石垣に麓の町を入れてパチリ。

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13 角度を変えて大石垣を鑑賞。

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14 大石垣から眺めた近江八幡の街並み。

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15 大石垣を後にして、更に下り、伝木村丸へ。石塁はかなり崩れていますね。虎口が見たりませんが、中央の木の辺りにあったのでしょうか。

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16 伝木村丸には埋門があるとのことでしたが、それらしい遺構を発見。ただ、かなり埋まっているうえ、入口が少々小さく、くぐり門のような感じです。

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17 伝木村丸の様子。伝木村丸は斜面にある少ない平地を利用して造られており、曲輪はあまり広くありません。


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18 伝池田丸後にして、伝木村丸、伝平井丸に戻り、観音正寺へ向かいます。


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19 観音正寺直下の石垣。中央の小道を進んで観音正寺に辿り着きます。

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20 観音正寺の本堂。西国三十三所観音霊場の第32番札所となっています。平成5年に旧本堂とともに本尊も焼失しましたが、平成16年に新本堂の落慶、総白檀の千手千眼観世音菩薩坐像が開眼しました。
在りし日の観音寺城には、上之御用屋敷があったとされています。


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21 観音正寺からの眺め。


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22 観音寺城の案内板


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23 観音正寺からから東側の駐車場方面へ歩くと、左側に「佐々木城跡」の案内板。ここから大土塁や大小沢山の曲輪を鑑賞できるですが、夕方近くなってきたので、佐々木城までで退散することとしました。


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24 途中所々に小規模な曲輪と石塁が見られます。じっくり鑑賞したいのですが、時間の都合でガマンです。

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25 佐々木城跡へ到着。立派な石碑があります。写真の石碑の裏側には「佐々木城址」が見られます。(残念ですが後で知りました)

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26 最後に佐々木城跡付近から撮影した眺め。

<場所>

最後まで見て頂きましてありがとうございました。
次回は静岡県・諏訪原城の予定です。
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観音寺城(滋賀県)① ~思い出の名古屋勤務シリーズ~ 

こんにちは、今日長崎は雨です。
6月に入って、日中は真夏のように暑かったと思えば、逆に朝晩寒かったりと、気温の変化が著しいようなので、皆さん健康管理には十分ご注意ください。

さて、僕は昨年から今年初めにかけて名古屋で勤務しておりました。もちろん、休みの日は城めぐりに勤しみ、東海地方を中心に近畿、北陸まで足を延ばしておりましたが、なかなかお城のご紹介ができなかったので、今回より思い出の名古屋勤務シリーズと題して、ぼちぼちとご紹介させて頂きます。

まず、第一回は近江守護佐々木六角氏の居城である観音寺城から。
山全体を城砦とした日本屈指の山城として有名で、以前よりぜひ登城したかった城の一つです。この日、佐和山城と観音寺城と併せて登城。先に佐和山城へ行き、続いて観音寺城に向かいましたが、広大な城域のため限られた時間では回り切れず、徒歩で登城したため危うく城内でビバークしそうになった、思い出の城です。
石垣を多用した数えきれないほどの曲輪にあきれるほどすごいの一言。今回登城したのはわずかな主要部のみであるため、必ず再訪したいです。

観音寺城が歴史に登場するのは南北朝時代で、「太平記」によると南北朝時代、佐々木氏頼が観音寺に籠ったことがに記されており、既にあった観音正寺を砦として使用したものではないかと考えられえています。

観音寺城は、標高 432mの繖山(きぬがさやま)のほぼ全域を城域とする巨大山城で、石垣を多用した無数の曲輪からなり、中世五大山城の一つに数えられます。
永禄 11 年 (1568) に織田信長が足利義昭を擁して上洛の大軍を興すと、それを阻むべく、六角承禎・義治親子は要害の観音寺城に籠り、箕作城や和田山城などの支城連ねて抗戦しますが、圧倒的な織田軍を前に甲賀山中に逃亡、開城したとされいます。


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①観音寺城へはJR安土駅から徒歩で桑実寺を経由するルートを選択。写真は麓の登り口。

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②桑実寺参道。桝形になっています。桑実寺まではすーっと美しい石積の道が続きます。
また、十三代将軍足利義晴が戦乱を避けるため、佐々木六角氏を頼り、享禄4年(1531年)から約3年間、桑実寺管内の写真付近に室町仮幕府が設置されたとされています。


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③桑実寺の様子。登城日は11/4。紅葉が美しいです。

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④続いて桑実寺本堂。室町時代初期に再建されたもので国の重要文化財となっています。屋根は檜皮で葺かれています。

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⑤桑実寺を後にして観音寺城へ。伝本丸までは10丁あり、ここはまだ5丁。

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⑥やっと伝本丸虎口に到着。観音寺の紹介でよく登場するアングルです。食い違いになってますね。ただこの虎口は裏虎口とのこと。

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⑦伝本丸内の石積みの様子。

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⑧崩れかけた伝本丸内の土塁、石積。

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⑨伝本丸の石積。

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⑩伝本丸の様子。この曲輪は江戸時代の古絵図に「本城」と記されていることから、城の中核部分と考えられています。

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⑪伝本丸を後にして、伝平井丸へ。

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⑫途中の階段と石積。

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⑬伝平井丸へ向かいます。

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⑭しばらく歩くと右手に立派な石積が見えてきます。

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⑮かなりの数の巨石が使われています。

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⑯この写真も観音寺の紹介でよく登場します。山城にある一家臣の屋敷の門とは思えないほど立派です。

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⑰伝平井丸南西隅の石積み。

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⑱伝平井丸の石碑。

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⑲伝平井丸の曲輪は大きく二つに分けられており、石積で仕切られ、写真の通路で行き来できるようになっているようです。

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⑳伝平井丸の様子。

<場所>

最後まで見て頂きありがとうございました。

舞岳城(長崎市琴海町) 

こんにちは

梅雨の季節に入りましたが、休みの日はあんまり雨が降らないので、ちょくちょくお出かけさせて頂いております。

さて、先週日曜日の6月3日は長崎県西彼半島の東側、長崎市琴海町にある舞岳城を攻めてきました。長崎市にはもう一つ手熊町にも舞岳城があるのですが、今回訪城したのは琴海町の舞岳城になります。
舞岳城は在地領主の相川氏の居城で、かつて相川知仙が立てこもり喜々津主殿と戦ったと伝えられていますが、詳しいことはわかってないようです。


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①登城口です。入口は舗装されていますが、だんだん悪路になりますので、この付近に駐車して徒歩で登城されたほうが無難です。場所は本ブログ巻末の地図を参照下さい。

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②途中、形上湾が見えてきます。

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③しばらく登ると左側に舗装された道が見えてくるので、通り過ぎないようにしてください。

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④更に登ると石段が現れます。ちゃんと手すりも付いています。お年寄りの方が多いのでしょうかね。

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⑤登りきると、虎口のような場所に到着。石積があちらこちらにあります。

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⑥北西側の石積

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⑦南西側の郭。手前にも石積が見えます。

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⑧しばらく北東方面に進むと主郭へ到着。

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⑨最も高い場所には毘沙門天が祀られています。

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⑩立派な石碑

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⑪説明板

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⑫毘沙門天の裏の石積み。おそらく毘沙門天を祀るために積みなおした石積と思われます。

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⑬南東側には石積が残っています。

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⑭この石積も南東側の石積み。よく残っていますね。

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⑮北西の谷側の石積。

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⑯郭は北東側に細長く伸びていますが、中央に大きな自然石があり、かなり邪魔です。

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⑰北西の谷に積まれている石積。西彼半島は山がちで平地が少なく、耕作のため段々畑をよく見かけます。一方、同じ西彼半島の東側にある小佐々城や鳥越城などは扇陣と呼ばれる写真の様な半円形の石積が見られます。この手の遺構を見ると段々畑の石積か城の遺構が判断が難しいのですが、この石積は比較的高い場所にある上、段々の耕作面積が狭いことから、城の遺構ではないかと思われます。

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⑱最後は、北西方向にある堀切。かなり埋まっています。

<場 所>

最後まで見て頂きましてありがとうございました。

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プロフィール

しんこう

Author:しんこう
しんこうといいます。長崎市在住の50歳過ぎのオヤジです。かみさんと子供2人の4人家族です。よろしくお願いいたします。趣味の山登り、城や地元長崎の様子などについて発信させて頂きます。この屋根瓦は倉敷を訪れた際に、色の組み合わせが綺麗だなぁと思って撮影したものです。

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