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采女城 ②(三重県)~思い出の名古屋勤務シリーズ~ 

こんにちは
3連休の方もいらっしゃると思いますが、幸い九州地方北部の3連休の天気はまずまずのようです。

さて、思い出の名古屋勤務シリーズは三重県の采女城(うねめじょう)の二回目。
二の郭と三の郭の間にある櫓跡から、三の郭、四の郭、六の郭、八の郭をご紹介します。


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①二の郭と三の郭の間にある櫓跡。二の郭と三の郭を分かつ土塁西側はやや広くなっていて櫓を建てることができるようです。

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②三の郭へ降りていきます。

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③三の郭の様子

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④三の郭の土塁

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⑤二の郭と三の郭の間の空堀。今は土砂で埋まっていますが、往時はかなり深かったと思われます。機会があれば発掘調査をして頂いて、往時の空堀を再現してほしいです。

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⑥続いて四の郭。四の郭から西側に郭が続いているようですが、整備されていないようなので諦めました。

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⑦四の郭の土塁

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⑧四の郭からの眺め。あまり眺望は良くないですね。

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⑨四の郭の虎口付近です。堀切に見えなくもないですが、堀切ではないようです。攻め手はこの四の郭の虎口付近をウロウロしていると、この写真撮影地点から狙われますね。

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⑩四の郭を後にして五の郭を通り、六の郭へ。この写真は五の郭と六の郭を分かつ空堀。六の郭は残念ながら整備されておらず散策コースから外れています。ご覧の通りこの空堀は場所によっては深くてV字になっています。ぜひ皆さんに見てほしいので整備をお願いしたいです。

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⑪六の郭南側の土塁。見えにくいですが写真右側はかなり落ち込んでいて土塁の高さがなんとなくわかると思います。

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⑫六の郭西側の土塁。西側の攻め手に睨みをきかす射撃陣地のようです。

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⑬六の郭を後にして、最後の郭八の郭へ。一の郭と八の郭の間の堀切。きれいなV字。

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⑭では、八の郭へ登ってみましょう。

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⑮八の郭の様子。

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⑯登城口へ戻ってきました。お城の南側は内部川が広がっており天然の要害になっています。

縄張り図
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場 所

最後まで見て頂きましてありがとうございました。


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采女城 ①(三重県)~思い出の名古屋勤務シリーズ~ 

こんにちは!
9月も中旬、朝晩は過ごしやすくなり、秋の気配を感じますね。

さて、思い出の名古屋勤務シリーズは三重県の采女城。「うねめじょう」と読みます。何度読んでもすぐ忘れてしまいます(^^;

名古屋勤務期間中はマイカーが無かったので、レンタカーか公共交通機関を併用しておりましたが、采女城へは四日市あすなろう鉄道を利用。終点の内部駅で降り、歩いて15分程度で登城口に着きます。四日市あすなろう鉄道は珍しい線路幅の狭いナローゲージの鉄道でお城以外でも道中を楽しむ事ができます。

現地の案内板によると、「藤原氏を祖先とする後藤家の後藤兵衛実基は保元・平治の乱(1159)に武功を顕し、後藤左衛門尉基清が検非違使として京都守護に活躍、元久元年(1204)平賀朝雅の討伐に奮闘した。 
後藤伊勢守基秀は、文応元年(1260)先陣武功があって、三重郡采女郷の地頭職となり一族郎党を引き連れて采女の地に移住、采女山(北山)に城郭を築いた。 
以来、300有余年、連綿と治政して続いたが、後藤采女正藤勝の時、織田信長の侵略に遭った。 
関家・蒲生家に一味して戦ったが、永禄11年(1568)遂に落城した。 
言い伝えに因れば、城主・藤勝は討ち死し千奈美姫も主郭の深井戸に身を投げて父の後を追った、哀れなり。」とあります。

采女城は、内部川と足見川の合流点の北側にある丘陵上に築かれており、南北に延びる尾根上と、西、南西に延びる尾根に曲輪郭を配した縄張りになっています。曲輪には多くの土塁が残され、曲輪と曲輪を断ち切る空堀が見事に残されています。
また、案内板はもとより、散策しやすよう要所に階段や木橋が設置されています。遺構の保存や森林保全の観点から、遺構の改変や木々の伐採も最小限に留め、良好に保存されているように感じました。
一部、整備されていない曲輪もありますが、五郭と六郭間の空堀や六郭の土塁は素晴らしいと感じましたので、できれば整備をお願いしたいです。


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①城の南端から登城します。道路傍に石碑、説明があり登城口は迷うことなく見つけることができました。

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②では、早速登城!

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③しばらく登ります。登城しやすいように所々に手すりの付いた木橋が渡してあり、助かります!

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④案内板によると虎口とのこと。大手口でしょうか。城兵を二・三十人待機できそうな平場があります。平場奥から虎口に向けて撮影してみました。

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⑤さらに登ると、五郭の虎口が見えてくます。真直ぐには入れてくれないようで、食い違いの虎口になっているようです。

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⑥虎口を五郭側から見下ろしてみました。 

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⑦五郭に到着

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⑧五郭と左上の一郭を分かつ空堀と切岸

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⑨木橋(往時は土橋か)を渡って一郭へ進みます。

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⑩一郭へ到着。城内で最も広い曲輪です。

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⑪永禄11年(1568)に織田信長の家臣・滝川一益が采女城を攻めた際、千奈美姫や奥方はこの井戸に身を投げて亡くなったと伝えられています。

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⑫一郭を取り巻く土塁

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⑬一郭を後にして、二郭へ。一郭と二郭に立ちはだかる空堀。

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⑭この空堀、幅が思いのほか広く、今は相当埋まっていると思いますが深さも往時はかなり深かったのではないでしょうか。

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⑮二郭へ

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⑯二郭の様子

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⑰二郭の土塁

縄張り図
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おまけ
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四日市あすなろう鉄道・四日市駅と電車。電車の幅が狭いですよね。

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車内の様子。座席は左右に1列ずつの2列。奥に写真を撮られている方がいらっしゃいます。

場所

最後まで見て頂きましてありがとうございました。


高取城 ②(奈良県)~思い出の名古屋勤務シリーズ~ 

こんにちは
西日本豪雨の記憶も残る中で、台風21号、北海道地震が続きもう言葉になりません。
本当に被災地の一刻も早い復旧を願わずにはいられません。

さて、思い出の名古屋勤務シリーズは高取城の第二回(最終回)です。
最終回は本丸の石垣を鑑賞したを後、大手門を通り、二の門跡方面へ下っていきます。


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① 本丸北東の石垣。北東側は虎口があるので、複雑に積まれている石垣を鑑賞できます。

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② ①の写真を少々アングルを変え虎口正面を撮影してみました。

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③ 本丸北東隅の石垣。手前の石垣は継いでいるんですかね。各所で継いだ石垣が見られます。

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④ 本丸南側の石垣。この石垣はややカーブしています。

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⑤ 十五間多門跡。

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⑥ 奥に十三間多門跡、手前は大手門跡です。お互い真っ直ぐではなく筋違いになっていますね。守り固いです。

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⑦ 大手門跡です。二の門跡方面へ向かう前に壺坂口門跡を鑑賞するため写真右側へ移動します。

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⑧ 写真⑦の中央左にこの写真が立てられています。往時はこの山の中に天守に櫓、櫓門などが林立していたんですね。スゴイです。

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⑨ 壺坂口門跡です。写真右は壺坂口郭です。大手門跡へ戻ります。

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⑩ 大手門跡に戻り二の門方面へしばらく歩くと千早門跡

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⑪ 続いて宇陀門跡

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⑫ 最後に松ノ門跡。この門はかなり崩れていますね。車を二の丸下に止めているので、このあたりで引き返します。

縄張り図と解説
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※高取城の案内板を掲載させて頂いております。

場 所


おまけ
たくさんある奈良の史跡の中で前回は石舞台古墳を紹介しましたが、今回は高松塚古墳と酒船石遺跡を紹介します。

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高松塚古墳。7世紀末から8世紀初めにかけて造られたとされています。この古墳を有名にしたのが石室内に描かれた色鮮やかな男女の姿です。たしか教科書にも載っていたのでは。

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残念ながら石室内に描かれた壁画は現在修復中のためこの場所にはありません、ただ、レプリカがこの高松塚壁画館に飾られていますので来られた方はご鑑賞ください。


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続いて、酒船石遺跡。この遺跡は日本書紀に記載が見られると考えられており、盛土された人工の丘陵地に加えて、酒船石や亀形石造物を含めた遺跡とされています。


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酒船石は、現状長さ5.5m、幅2.3m、厚さ約1m、花崗岩で出来ている。一部欠損がみられる。酒をしぼるための槽、油や薬を造るための道具、または庭園の施設など目的は明らかになっていない。この写真はなにかを図案化しているようにも思うのですが、興味深いですね。

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城の石垣を割るための矢穴の跡が見えますね。高取城の築城時に石垣の石材として用いられたともいわれています。

最後まで見て頂きありがとうございました。
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プロフィール

しんこう

Author:しんこう
しんこうといいます。長崎市在住の50歳過ぎのオヤジです。かみさんと子供2人の4人家族です。よろしくお願いいたします。趣味の山登り、城や地元長崎の様子などについて発信させて頂きます。この屋根瓦は倉敷を訪れた際に、色の組み合わせが綺麗だなぁと思って撮影したものです。

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