島原半島ぐるり城めぐり ~島原城・丸尾城~ 

こんにちは、まだまだ暑いですね。ただ、心持ち朝晩は少々暑さが和らいでいるようにに感じていて、これから日を追うごとに涼しくなるのではないでしょうか。


さて、長崎県・島原半島のお城紹介の第4回は、島原半島東部にある島原城と丸尾城をご紹介します。


島原城は長崎県島原市にある日本百名城の一つで、別名森岳城とも呼ばれています。
1624年(寛永元年)に松倉重政によって築城、5層の天守を中心にして、3重櫓3基、2重櫓10基など併せて60基を超える櫓や門がそびえ立つ大城郭だったようです。
築城時は既に武家諸法度により新規の築城が禁止されていた時期で、例外的な築城であったため、独立・層塔型の天守に本丸・二の丸・三の丸を並べて配置するなど当時の最新技術や考え方を取り入れた城となっています。
ただ、4万石規模の島原藩では過分な城であり、九州で力を持っている熊本の加藤氏、鹿児島の島津氏をけん制する効果も期待したのではないかとも思われます。
また、島原城は1637年(寛永14年)の島原の乱でも落城を逃れ、1792年(寛政4年)の雲仙岳の噴火・地震にも耐えましたが、明治に入り廃城令により残念ながら解体されてしまいました。


丸尾城は島原城近くの小高い丘に築城されており、築城時期は詳しくわかっていないものの、戦国時代に島原氏によって築城されたようです。
沖田畷の戦いでは、島津方の武将である猿亘信光がこの城を守り、攻めてきた龍造寺方の鍋島直茂軍と激戦を繰り広げたと言われています。
その後、丸尾城跡には島原藩深溝松平家の菩提寺である本光寺が建てられたため、遺構はほとんど残っていないようです。

1.島原城


①DSC_0561
①南東隅から撮影。石垣が屏風のように折れている様子を鑑賞できるポイントです。各種パンフレットなどにも載せられているアングルです。


②D70_0562x
②往時の本丸・二の丸の絵図。写真撮影場所を赤い丸囲み番号で示しています。場所はおおよそ正しいとは思いますが不正確な場所もありますので参考程度にご覧下さい。間違いがあればご連絡頂けると幸いです。
現在、写真左上が主要な出入り口になっていますが、絵図の通り、往時は出入口はなく近世に入って作られてものです。


③D70_0487
③現在の出入り口付近の様子です。この出入り口は往時はありませんでした。


④D70_0470
④天守。明治の廃城令で一度解体されているため、復元天守です。中は資料館になっています。島原城は古写真がなく、絵図を参考に再建されたと思いますが、独立・層塔型で破風(屋根の三角形の部分およびその飾り)が無いのは一致しているようですが、総白漆喰ではないようです。


⑤D70_0526
⑤屏風折の石垣がよくわかります。石垣を登ってくる敵に対して攻撃できるように、死角をできる限り少なくするように工夫されています。


⑥D70_0538
⑥城の東側にある水飲み場。島原は湧水でも有名な町なので、あちらこちらに趣向を凝らした水飲み場や井戸があり、日本名水百選にも選ばれています。


⑦D70_0542
⑦本丸と二の丸との間の堀。左が本丸側、右が二の丸側です。往時は本丸と二の丸の間に瓦屋根の廊下橋が渡されていたようです。
現在は城の南西側に出入り口が設けられていますが、廊下橋を再建して頂いて、往時のように二の丸から本丸へ登城してみたいものです。


⑧DSC_0584
⑧個人的には本丸虎口付近が島原城の一番の見どころではないかと思います。本丸虎口はどの城でも防備が厳重にされているところで、また、格式も大事な場所になります。②の絵図を見ても、桝形になっている上、天守に至るまでは迷路のようです。写真でも石垣が三段になっています。


⑨D70_0558
⑨本丸虎口桝形南東隅の切石。大きな切石ですね。


⑩D70_0561
⑩本丸に入ってすぐ左側の切石。登城者はもれなく目にしますので、権威の象徴として置かれたものと思われます。


⑪DSC_0570
⑪しつこいですが、この切石も大きいです。⑩写真の左奥の切石のアップです。この辺りの本丸虎口まわりは、門や塀などを整備して頂いて往時のように登城できるとわくわく感が違うと思うのですが、、、


2.丸尾城


⑫D70_0252
⑫島原藩深溝松平家の菩提寺である本光寺山門。島原市で最も古い建造物だそうです。


⑬D70_0260
⑬本光寺境内。右奥の建物は資料館ですが、まだ朝早く開いていませんでした。


⑭D70_0289
⑭松平家代々の墓所。丸尾城跡に建てられています。松平家二代藩主忠雄公をはじめ23基と灯篭14基があります。


⑮D70_0310
⑮十六羅漢石像。案内板によると、1738年(元文3年)当時の住職 実山和尚の発願により藩主忠刻公の指示にもとづき領内から17人の石工を選んで一人一体づつを刻ませたものだそうです。


⑯D70_0330
⑯墓所はこのように立派な石垣が設えられえています。


⑰D70_0335
⑰おそらく丸尾城の遺構ではなく、墓所を造営した際に築かれたものと思われます。

場所は下図の通りです。

A : 島原城

B : 丸尾城(本光寺)



最後まで見て頂きありがとうございます。
次回は、日野江城と深江城をご紹介します。


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Author:しんこう
しんこうといいます。長崎市在住の50歳目前のオヤジです。かみさんと子供2人の4人家族です。よろしくお願いいたします。趣味の山登り、城や地元長崎の様子などについて発信させて頂きます。この屋根瓦は倉敷を訪れた際に、色の組み合わせが綺麗だなぁと思って撮影したものです。

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