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観音寺城(滋賀県)① ~思い出の名古屋勤務シリーズ~ 

こんにちは、今日長崎は雨です。
6月に入って、日中は真夏のように暑かったと思えば、逆に朝晩寒かったりと、気温の変化が著しいようなので、皆さん健康管理には十分ご注意ください。

さて、僕は昨年から今年初めにかけて名古屋で勤務しておりました。もちろん、休みの日は城めぐりに勤しみ、東海地方を中心に近畿、北陸まで足を延ばしておりましたが、なかなかお城のご紹介ができなかったので、今回より思い出の名古屋勤務シリーズと題して、ぼちぼちとご紹介させて頂きます。

まず、第一回は近江守護佐々木六角氏の居城である観音寺城から。
山全体を城砦とした日本屈指の山城として有名で、以前よりぜひ登城したかった城の一つです。この日、佐和山城と観音寺城と併せて登城。先に佐和山城へ行き、続いて観音寺城に向かいましたが、広大な城域のため限られた時間では回り切れず、徒歩で登城したため危うく城内でビバークしそうになった、思い出の城です。
石垣を多用した数えきれないほどの曲輪にあきれるほどすごいの一言。今回登城したのはわずかな主要部のみであるため、必ず再訪したいです。

観音寺城が歴史に登場するのは南北朝時代で、「太平記」によると南北朝時代、佐々木氏頼が観音寺に籠ったことがに記されており、既にあった観音正寺を砦として使用したものではないかと考えられえています。

観音寺城は、標高 432mの繖山(きぬがさやま)のほぼ全域を城域とする巨大山城で、石垣を多用した無数の曲輪からなり、中世五大山城の一つに数えられます。
永禄 11 年 (1568) に織田信長が足利義昭を擁して上洛の大軍を興すと、それを阻むべく、六角承禎・義治親子は要害の観音寺城に籠り、箕作城や和田山城などの支城連ねて抗戦しますが、圧倒的な織田軍を前に甲賀山中に逃亡、開城したとされいます。


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①観音寺城へはJR安土駅から徒歩で桑実寺を経由するルートを選択。写真は麓の登り口。

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②桑実寺参道。桝形になっています。桑実寺まではすーっと美しい石積の道が続きます。
また、十三代将軍足利義晴が戦乱を避けるため、佐々木六角氏を頼り、享禄4年(1531年)から約3年間、桑実寺管内の写真付近に室町仮幕府が設置されたとされています。


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③桑実寺の様子。登城日は11/4。紅葉が美しいです。

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④続いて桑実寺本堂。室町時代初期に再建されたもので国の重要文化財となっています。屋根は檜皮で葺かれています。

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⑤桑実寺を後にして観音寺城へ。伝本丸までは10丁あり、ここはまだ5丁。

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⑥やっと伝本丸虎口に到着。観音寺の紹介でよく登場するアングルです。食い違いになってますね。ただこの虎口は裏虎口とのこと。

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⑦伝本丸内の石積みの様子。

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⑧崩れかけた伝本丸内の土塁、石積。

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⑨伝本丸の石積。

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⑩伝本丸の様子。この曲輪は江戸時代の古絵図に「本城」と記されていることから、城の中核部分と考えられています。

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⑪伝本丸を後にして、伝平井丸へ。

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⑫途中の階段と石積。

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⑬伝平井丸へ向かいます。

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⑭しばらく歩くと右手に立派な石積が見えてきます。

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⑮かなりの数の巨石が使われています。

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⑯この写真も観音寺の紹介でよく登場します。山城にある一家臣の屋敷の門とは思えないほど立派です。

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⑰伝平井丸南西隅の石積み。

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⑱伝平井丸の石碑。

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⑲伝平井丸の曲輪は大きく二つに分けられており、石積で仕切られ、写真の通路で行き来できるようになっているようです。

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⑳伝平井丸の様子。

<場所>

最後まで見て頂きありがとうございました。

舞岳城(長崎市琴海町) 

こんにちは

梅雨の季節に入りましたが、休みの日はあんまり雨が降らないので、ちょくちょくお出かけさせて頂いております。

さて、先週日曜日の6月3日は長崎県西彼半島の東側、長崎市琴海町にある舞岳城を攻めてきました。長崎市にはもう一つ手熊町にも舞岳城があるのですが、今回訪城したのは琴海町の舞岳城になります。
舞岳城は在地領主の相川氏の居城で、かつて相川知仙が立てこもり喜々津主殿と戦ったと伝えられていますが、詳しいことはわかってないようです。


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①登城口です。入口は舗装されていますが、だんだん悪路になりますので、この付近に駐車して徒歩で登城されたほうが無難です。場所は本ブログ巻末の地図を参照下さい。

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②途中、形上湾が見えてきます。

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③しばらく登ると左側に舗装された道が見えてくるので、通り過ぎないようにしてください。

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④更に登ると石段が現れます。ちゃんと手すりも付いています。お年寄りの方が多いのでしょうかね。

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⑤登りきると、虎口のような場所に到着。石積があちらこちらにあります。

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⑥北西側の石積

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⑦南西側の郭。手前にも石積が見えます。

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⑧しばらく北東方面に進むと主郭へ到着。

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⑨最も高い場所には毘沙門天が祀られています。

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⑩立派な石碑

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⑪説明板

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⑫毘沙門天の裏の石積み。おそらく毘沙門天を祀るために積みなおした石積と思われます。

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⑬南東側には石積が残っています。

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⑭この石積も南東側の石積み。よく残っていますね。

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⑮北西の谷側の石積。

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⑯郭は北東側に細長く伸びていますが、中央に大きな自然石があり、かなり邪魔です。

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⑰北西の谷に積まれている石積。西彼半島は山がちで平地が少なく、耕作のため段々畑をよく見かけます。一方、同じ西彼半島の東側にある小佐々城や鳥越城などは扇陣と呼ばれる写真の様な半円形の石積が見られます。この手の遺構を見ると段々畑の石積か城の遺構が判断が難しいのですが、この石積は比較的高い場所にある上、段々の耕作面積が狭いことから、城の遺構ではないかと思われます。

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⑱最後は、北西方向にある堀切。かなり埋まっています。

<場 所>

最後まで見て頂きましてありがとうございました。

名護屋城・陣跡 ~前田利家陣跡~ 

こんにちは、5月も残り少なくなり、今週から6月。梅雨のシーズンに入ります。雨は時間がゆっくり流れていく感じが好きなのですが、さすがに長く続くと滅入りますね。
今週末長崎は土曜日午前中は雨でしたが、その後今日日曜日まで幸いにして晴れてくれました。
昨日土曜日は雨の上がった午後から、長崎県美術館で開催中の特別展「大江戸展(後期)」を鑑賞してきました。

さて、2月に訪城しました名護屋城・陣跡めぐりの最終回は前田利家陣跡です。
前田利家陣跡へは道の駅「桃山天下市」から数分の場所にあり、また、桝形虎口の石垣が修復されており、おすすめの陣跡の一つです。

①D70_7651
①道の駅「桃山天下市」から南に進むと、山が見えてきます。麓には居館、山上にも遺構が残されているとのことですが、今回は麓の居館のみ鑑賞しました。

②D70_7647
②更に進むと立派な桝形虎口。そこそこの城郭の大手虎口となんら遜色はありません。

③D70_7643
③桝形虎口を正面から。左折れです。

④D70_7642
④虎口の手前に設置してある説明板。

⑤D70_7619
⑤桝形虎口を上から眺めてみました。

⑥D70_7626
⑥居館跡。

⑦D70_7629
⑦石碑。

⑧D70_7611
⑧虎口から入って右奥の場所にある蔵跡。

⑨D70_7605
⑨旗立石とされています。

⑩D70_7603
⑩説明板1

⑪D70_7604
⑪説明板2

⑫D70_7600
⑫虎口から入って左奥には庭園が設えてあり、池があったとされています。陣跡に庭園とは優雅ですね。

⑬D70_7595
⑬陣跡を北東方面から抜けることもできます。

⑭D70_7590
⑭すると道の駅東にある駐車場にでてきます。

⑮20180527_175953 
⑮最後はハイソフト「日本の名城」シリーズ。やっと姫路城をゲット!

場 所


最後まで見て頂きましてありがとうございました。

大洲・内子・宇和島など 

こんにちは

皆さんGWはいかがお過ごしでしょうか。
僕はGW中盤に愛媛県の西側を旅してきました。旅といっても主な目的は城なんですがね。
大洲城、木蝋で有名な内子の古い町並み、宇和島城と北宇和郡にある河後森城に行ってきました。
本当は四国からの帰りに佐伯城と臼杵城も登城予定だったのですが、雨のため、あきらめました(T_T)


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01 肘川を挟んだ対岸から眺めた大洲城。僕にとって城としての天守はそれほど重要なものではありませんが、この写真を見ると、町として天守はあるのとないのではぜんぜん違うように思います。故郷の重要なランドマークなのではと。


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02 大洲城の石垣。しっかりと横矢があります。再建天守や現存4櫓以外でも、石垣も見どころが多いです。


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03 天守だけでなく、櫓と一緒だと迫力があります。


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04 この石垣は大洲城のものではありません。大洲城から歩いて十数分の場所にある臥龍山荘の石垣です。入ってすぐ積み方が異なる3種類の石垣に目を奪われました。


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05 大洲を後にして内子へ。内子は木蝋の生産で栄えた歴史を持つ、白壁の古い町並みで知られる町です。木蝋を海外に輸出し財を成した贅沢な家屋を鑑賞できます。


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06 上芳我邸(木蝋資料館)


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07 佐野薬局(商いと暮らし博物館)の電話ボックス? 電話番号は13番。


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08 桝形。城下町にはよく見られますが、商いの町にはあんまり記憶がありません。

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09 次に宇和島へ移動。宇和島城は搦手側から登城。上り立ち門。


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10 上り立ち門をくぐり登城。登城道は何回も折れがあり、簡単には入れてくれませんね。立派な石垣です。


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11 登城道の途中、代右衛門丸の高い石垣が視界に入ります。写真右下は式部丸。現在、代右衛門丸は立入禁止です。残念。


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12 しばらく登城道を登ると長門丸へ。写真は長門丸の石垣。立派な石垣が組まれています。僕の宇和島城のイメージは古風な天守が強調されていましたが、各曲輪や石垣も天守以上に見応えがあります。


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13 僕の好きな場所の一つ。雷門付近と雷門へ至る階段。趣があると思います。


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14 雷門付近。階段を上ると、右へ折れ、更に左へと入る構造になっています。


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15 二の門あたりからの眺めです。本丸にはぽつんと天守があるだけで写真を撮っても絵になりません。石垣と併せて撮ってみました。


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16 続いて河後森城。本郭からの眺めです。河後森城へは宇和島駅から50分程電車に乗り、松丸駅で降りると、歩いて20分程で河後森城に取り付くことができます。
河後森城は国指定史跡で案内板や登城道などが整備されており、山城にしては最寄りの駅からのアクセスが良く、非常にお勧めの城です。


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17 東第四郭と古第二郭を分かつ堀切。おそらく発掘前は相当埋まっていたと思いますが、発掘整備のおかげで明瞭な遺構を鑑賞できます。また、この堀切には虎口があったようです。


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18 本郭。それほど広くはないですが、郭の中央に幅いっぱいに建物が建てられていたようです。また、手前のグレーの四角い場所にも建物が建っていたようです


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19 子供たち手作りの説明板。なかなか良く書かれています。


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20 本郭西側の石積みの様子です。見どころの一つです。築城当初は堀切だったようですが、後世に改変されたようです。


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21 西第十郭。西第十郭は南東に延びる稜線の突端にあります。東側と南側に土塁が再現されており、中央に掘立柱建物が再建され、中に馬の模型があります。


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22 河後森城の最寄り駅の松丸駅から宇和島駅へ戻ります。変わったカラーリングの電車が到着しました。


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23 車内には、海洋堂監修?の河童をテーマに応募されたジオラマが飾られていました。左端の河童の人形がたまに話し出します。


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24 夕食はちゃんぽん。ちゃんぽんは大好きで、各地にでかけると地元のちゃんぽんを食します。八幡浜が積極的に地元のちゃんぽんをPRしていましたが、このちゃんぽんは宇和島で食べたものです。長崎のものよりあっさしてして食べやすいです。宇和島は港町なのでエビ、イカなどの海産物を少々期待していましたが、海産物は入っていませんでした。なぜかな。


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25 最後におみやげはタルト。まだ開封していないので、味はわかりません。

最後まで見て頂きましてありがとうございましたm(_ _)m

名護屋城・陣跡 ~徳川家康陣跡~ 

こんにちは、天気いいですねぇ、今日は概ね日本全国で晴れの天気のようです。
長崎県美術館では先週から大江戸展と題して、葛飾北斎・富嶽三十六景や鈴木其一・風神雷神図襖などを展示した特別展が開催され、江戸時代に開花した美意識を堪能してきました。

さて、名護屋城陣跡の四回目は徳川家康陣跡です。徳川家康が昔この地にいたというだけで、少々興奮してしまいます。
徳川家康陣は名護屋城の東に二か所あり、ここと、名護屋浦を挟んだ対岸に別陣があります。


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①徳川家康陣跡近景。小高い丘の上に築かれていたようです。

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②陣の南側に設置されている徳川家康陣跡の碑と説明版。左側の林が主郭、右側が南郭と呼ばれています。南郭は現在保育園になっています。

③D70_7555 (1)
③説明版

④D70_7556 (1)
④説明版は主郭と南郭との境目に設定されています。

⑤D70_7589
⑤主郭は石垣で囲われていたようですが、植物に覆われていて中央付近にわずかに顔を出しています。

⑥D70_7560 (1)
⑥保育士さんにお断りをいれて、主郭南側の石垣の様子を鑑賞。保育士さんとお話させて頂きましたが、あまりご存知でない様子でした。思いのほか立派な切り石を発見。

⑦D70_7563 (1)
⑦主郭に登ってみましたが、このとおり。もしかして、保育園の運動会に使われているのかもしれません。

⑧D70_7566
⑧石碑がありました。

⑨D70_7574
⑨主郭北側に説明版がありました。

⑩D70_7575
⑩説明版を拡大してみました。昔の絵図があれば少しはイメージが膨らみます。

⑪D70_7581
⑪主郭北西の入り口。ミラーの奥に石積みが残されていますが、往時のものか不明。

場所

最後まで見て頂きありがとうございました。

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プロフィール

しんこう

Author:しんこう
しんこうといいます。長崎市在住の50歳過ぎのオヤジです。かみさんと子供2人の4人家族です。よろしくお願いいたします。趣味の山登り、城や地元長崎の様子などについて発信させて頂きます。この屋根瓦は倉敷を訪れた際に、色の組み合わせが綺麗だなぁと思って撮影したものです。

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