八女 

年度末の忙しい中、先週の三連休中日に八女に行ってきました。
僕は城が好きなのですが、城下町や門前町など昔の姿を残す古い町並みも好きなのです。
八女は以前から重要伝統的建造物群保存地区に保存されている福島と黒木の二つの町があることは知っていたのですが、なかなか行けずじまいで、やっと今回訪問。
まずは、黒木の町をご紹介。


①D70_6854
①かつて黒木には羽犬塚駅とを結ぶ矢部線がありましたが昭和60年に廃線となったようです。

②D70_6849
②かつて矢部線を走っていた蒸気機関車。C11というらしいです。昔図鑑で「C」は動輪の数を表していて、「B」は2つ、「C」は3つだって書いてありました。C11は3つですね。


③D70_6867
③黒木の町の中心部にある、松木家住宅を利用した、まちなみ交流館。


④D70_6865
④入って左に簡単な町の紹介、右にパンフレット類、奥に畳の間があってイベントの時に使用されるとのこと。年配の男性の方から家の説明をして頂きました。

⑤D70_6880
⑤松木家住宅の奥には障子戸の中央にうぐいすと梅の花をあしらったガラスが埋め込まれています。

⑥D70_6894
⑥黒木の町の南部には矢部川が流れています。この場所には木で架けられていた南仙橋があったのですが、2012年の九州北部の豪雨でが流されたと聞きました。残念です。


⑦1D70_6904
⑦-1 黒木堰。田畑の用水のため矢部川から水を引き込む取水口です。今は写真のような機械で水利の調整などをやっているようですが、昔はどのような構造になっていたのか興味津々です。


⑦2D70_6901
⑦-2 裏側はこんな感じ。


⑦3D70_6902
⑦-3 矢部川。奥の小高い山には猫尾城が築かれていました。


⑧D70_6940
⑧黒木の町には古い建物が残されています。


⑨D70_6943
⑨ここにも


⑩D70_6970
⑩旧隈本家住宅。現在は学びの館と呼ばれていて、古文書や遺物の収蔵・展示や黒木町ゆかりの人物の紹介がされています。女優の黒木瞳さんも黒木町の出身です。


⑪D70_6976
⑪立派な石碑


⑫D70_6984
⑫旧隈本家住宅の表玄関。通常は左側から出入りしていたようですが、大事なお客様をお迎えする際には写真中央の玄関から出入りしたとのこと。


⑬D70_7009
⑬神様専用の部屋。こんな部屋は初めてです。


⑭D70_7035
⑭この扉は昼間は右側に仕舞われていているのですが、夜はこのように閉め鍵をかけ、向こう側と話をする際は小窓を開けていたとのことです。隈本家は地主さんなので、農民から襲われることもあったのでしょうか。物騒です。


⑮1D70_7042
⑮-1 二階です。襖を開けるとかくし階段。写真左には色々と展示物があるのですが、それよりも、かくし階段に興味深々。


⑮2D70_7038
⑮-2  狭い階段をおりていくと、


⑮3D70_7043
⑮-3  一階の物置に通じていました。忍者屋敷?みたいです。案内して頂いた方によると二階から逃げる場所があるのでは、とのことですが、詳しくはわからないとのことでした。


⑯1D70_7058
⑯-1  沓脱石。身分の高い人用。


⑯2D70_7059
⑯-2  沓脱石。次に身分の高い人用。その次は無いとのことでした。


⑰D70_7068
⑰大きな鬼瓦ですが、相当大きな家であることが想像されます。


⑱P3191251
⑱甘いもの好きなので土地土地の名物はできる限り買ってくるのですが、今回は丸宗菓子庵さんで購入。
町の中心部の交差点角のいい場所にお店を構えておられました。八女はお茶で有名なので、お茶の羊羹や葛湯、葛餅が名物のようですが、ちょっと違うもの選択。


⑲P3201259
⑲まずは、「しおがま」。落雁のようなお菓子です。長崎では「こうさこう」っていいます。落雁よりしっとりした感じで、甘さ控えめです。中にしろあんが入っています。


⑳P3251264
⑳次に「水車」。二輪の水車をイメージしているのでしょうか。外はカリカリ、中はあずきが入ったゼリーで「きんつば」のようなものです。


最後まで見て頂きましてありがとうございます!


真崎城(長崎県諫早市) 

こんにちは、3月に入って今年度も終わりです。僕の仕事は年度末が非常に忙しくて、ブログ更新も滞り気味です^_^;


さて、昨年末に登城した長崎県諫早市にある真崎城をご紹介します。
築城時期はわかっていないようですが、高城を本城とする西郷氏が領内に築城した支城の一つで、文明年間(1469~1487)ごろの諫早領主西郷尚善の時代には、家臣の志々岐四郎左右衛門が居城したとされています。
麓には「シキドンサン」と呼ばれる、志々岐四郎左右衛門を祀った神社があります。



①D70_4305

①南側からの眺め。城の東南に流れる川沿いには車が止められるスペースがあります。写真左端の道から登っていきます。


②D70_4308
②しばらく登ると「シキドンサン」の案内板。道の左側にあります。


③D70_4312
③志々岐四郎左右衛門を祀った神社「シキドンサン」


④D70_4333
④元の道に戻りさらに登っていくと、左上に出丸が見えてきます。


⑤D70_4336
⑤出丸


⑥D70_4337
⑥出丸から登城道を見下ろしたところですが、出丸は高い場所にあるので狙い撃ちされそうでイヤですね。


⑦D70_4359
⑦更に登ると本丸に到着

⑧D70_4360
⑧標柱


⑨D70_4363
⑨社

⑩D70_4371
⑩北側の土塁と空堀。北から西側にかけて土塁、空堀、帯郭が明瞭に残っていて、このお城の見どころとなっています。

⑪D70_4375
⑪同じく北側の土塁と空堀。

⑫D70_4387
⑫西側の帯郭


⑬D70_4392
⑬中央は土塁。写真左側(西側)は切り立っていて、西側から攻めるのは難しいです。

⑭D70_4414
⑭北側の様子。写真左は主郭、右は帯郭。

⑮D70_4446
⑮主郭南側からの眺め。あまり眺望はよくないです。

⑯D70_4485
⑯西側からの遠景。西側は川幅のある川が流れていて天然の要害となっています。


縄張り図

※「長崎県中近世城館跡分布調査報告書Ⅱ(詳説編)」から転載させて頂いております。
masaki1.jpg

所在地



参考文献

長崎県中近世城館跡分布調査報告書Ⅱ(詳説編) / 長崎県教育委員会



おまけ

テレビで出島に橋が架かったというニュースを聞いて、十数年ぶりに出島にでかけてきました。
ただ、時間の都合で散策できたのは30分程度。1/3程度しかみれませんでした。

D70_6650.jpg 
出島のメインストリート

D70_6648.jpg
橋が架かったとはいえ、歩けるのはまだまだ先のようです。

D70_6642.jpg
往時出入りしていた橋や門を通っていくと気分も違うと思います。

最後まで見て頂きありがとうございます!



金尾城(長崎県諫早市) 

こんにちは、今日朝起きてみると雪。気温も下がっているようで、昨日から道路の凍結による車の事故が発生していて、特に橋の上は凍り、滑りやすいので運転には十分注意してくださいね。


さて、昨年末に長崎県諫早市の金尾城に行ってきましたのでご紹介します。


金尾城は室町末期に築城された喜々津氏の居城です。喜々津氏は当初大村純前に仕えこの地を治めていましたが、諫早を治める西郷氏の圧力により、金尾城を出て、大村氏の領内に移ったとされています。


金尾城は約40mの丘陵地に築かれ、南西に一段高くなっている主郭と思われる曲輪があり、更に主郭の南側に空堀が二本あります。主郭の北東には広い曲輪が広がっています。

①D70_4206
①金尾城の北西側から登城します。町の皆さんは愛着があるのか案内板が複数あり、案内板に沿って行けば、あまり迷うことはなさそうです。

②D70_4211
②家と畑地の間の小道を通ります。


③D70_4219
③畑地の中を道なりに登ります。


④D70_4226
④ここにも案内板。この先が主郭の北東にある曲輪(二の郭)です。


⑤D70_4228
⑤二の郭の様子


⑥D70_4231
⑥金比羅社が祀られています。鳥居をくぐり登ったところが主郭です。


⑦D70_4235
⑦主郭には石碑があります。


⑧D70_4233
⑧主郭からの眺め。宅地がすぐ近くまで迫ってきていて、写真手前の主郭西側は宅地造成のためかなり削られているようです。


⑨D70_4239
⑨二の郭東側の様子。石積みがみられますが、往時のものか不明。登ってくる途中に石積のある畑があったように、畑地なのかもしれません。


⑩D70_4242
⑩同じく二の郭東側の様子。帯曲輪のようです。


⑪D70_4244
⑪隅石


⑫D70_4250
⑫ここにも石積。


⑬D70_4264
⑬かなり埋まっていますが竪堀のようです。


⑭D70_4279 
⑭この竪堀は判別が容易な程度な深さがあります。


⑮D70_4290
⑮城の北側からの眺め



縄張り図
※「長崎県中近世城館跡分布調査報告書Ⅱ(詳説編)」から転載させて頂いております。
kaneo1.jpg


所在地



参考文献

長崎県中近世城館跡分布調査報告書Ⅱ(詳説編) / 長崎県教育委員会
・日本城郭大系17 長崎・佐賀  / ㈱新人物往来社


最後まで見て頂きましてありがとうございました。



城の山古城(長崎県西海市) 

こんにちは、朝から長崎は雨。せっかくの日曜ですが全国的に雨模様のようです。晴れもいいんですが、ゆったりとした時間が流れる雨の日もいいです♪


さて、今回は長崎県西海市西海町にある「城の山古城」をご紹介します。
城の山古城は、長崎バイオパークにほど近い小高い山の山頂に築かれており、大村藩が編纂した郷村記によると、「東西三十五間、南北十一間、小松山にて四方深谷あり、所々石垣又乾堀の形あり」
「頂にあった墓から鎧の片らしきものが掘り出された」とあり、(「長崎県中近世城館跡分布調査報告書Ⅱ(詳説編)」より)実際に東西に長く、曲輪も広くないため(概ね東西64m×南北11m)、城に居住したとは考えにくく、通常は麓の居館に居住し、緊急時に利用されたものではないかと思われます。


築城時期は、室町時代ではないかとのことで、古いお城のためか、遺構が少なく、また遺構が明瞭ではないため、積極的にお勧めするお城ではありません。

①DSC_1377
①城の南西からの眺め


②D70_4018
②登り口付近から撮影した県道120号線。
国道206号線を北上し、旧オランダ村手前の「バイオパーク入口」信号から右折、県道120号線に入り、長崎バイオパークを過ぎると①の山が見えてきますので、道なりに進むと写真の道路に着きます。


③D70_3939
③城の西側から登ります。登り口には赤い消防ホースが格納されている箱が設置されているので目印にしてください。登り始めてすぐに石垣が見えますが、民家の石垣です。


④DSC_1373
④山の谷に沿って登っていくと、段々畑があります。長崎県は平地が少ないので、山や丘陵地の斜面に畑を作り耕作をしていた跡をよく目にします。


⑤DSC_1347
⑤更に登っていくと、最初の曲輪が見えてきます。


⑥DSC_1369
⑥この山は所々に大きな自然石が露出していています。


⑦DSC_1367
⑦ここにも、、、石垣用の石材には困らないようです。


⑧DSC_1363
⑧主曲輪の北側切岸の様子。


⑨D70_3999
⑨写真⑧の左端には一部石積がみられます。


⑩D70_3972
⑩主曲輪には石碑があります。


⑪D70_3989
⑪主
曲輪中央部の様子


⑫DSC_1355
⑫東側の帯
曲輪の様子。所々に石積がみられます。


⑬DSC_1359
⑬東側の曲輪の様子ですが広くありません。また、写真左下に向かって堀切が走っているようにも見えますが明瞭ではありません。


⑭D70_3986
⑭ここも堀切のようにもみえますが、、、


P1291234.jpg
⑮最後に、先週1/29長崎港の様子。写真右の客船は、Quantum of the Seas(クァンタム・オブ・ザ・シーズ)   バハマ船籍  347.1m  168,666t 



縄張り図(「長崎県中近世城館跡分布調査報告書Ⅱ(詳説編)より転載させて頂いております。
shironoyamakojyo1.jpg


「城の山古城」の場所


最後まで見て頂きありがとうございました。

志岐城(熊本県苓北町) 

こんにちは、週末から少々暖かくなったように感じますが、寒さはまだまだこれからでしょう。


長崎では中国の旧正月を祝うランタンフェスティバルが今日から15日間に渡り開催されます。
今日は所用で中央公園付近を通りましたが、極彩色のランタンが飾られていて、お祭り一色といった感じでした。


さて、今回は昨年末に天草へ訪れた際に登城した志岐城をご紹介します。
志岐城は天草五人衆の中心人物であった志岐氏により14世紀から15世紀にかけて築城されたとされています。
北部九州の城では外来の陶磁器が出土することが多く、ここ志岐城でも中国や東南アジアの磁器が出土され、盛んに外国との貿易が行われたことがわかります。
天正17年の天草合戦で、小西行長、加藤清正の連合軍に攻められ、薩摩の島津氏を頼り、出水に退いたとされています。


①D70_3590
①本丸南側の帯曲輪から本丸を眺めたものです。


②D70_3407
②富岡城内に展示されていた志岐城の模型。本丸は左側。


③D70_3661
③志岐城は消防署の左側から登城します。本丸直下まで車で登れます。写真では見えにくいですが「志岐城跡公園」の表示板を探してください。


④D70_3643
④本丸下の二の丸の様子。駐車場もあり数台停められます。


⑤D70_3641
⑤本丸。左下に案内板あり。


⑥D70_3578
⑥本丸には志岐麟泉社が祀られています。志岐麟泉とは、志岐氏第16代当主で、志岐城主。天草五人衆の一人で志岐 鎮経(しき しげつね)と呼ばれます。キリシタン大名で、領地での布教を許しているが、のちに棄教。天草合戦で敗れ、出水へ逃れています。


⑦D70_3579
⑦標柱


⑧D70_3583
⑧本丸奥には一段高い場所があり、志岐麟泉の御神体を祀る石祠が鎮座しています。物見にはよい場所です。


⑨D70_3582
⑨土塁も残されているようです。


⑩D70_3581
⑩説明版


⑪D70_3585
⑪本丸北東側。犬走のようです。


⑫D70_3589
⑫本丸南側の様子。少々広い曲輪があります。見どころはこの曲輪の南側(写真右側)を降りた場所にあって、石積、堀切、土塁が残されています。このお城一番の見どころなのでお見逃しなく。


⑬D70_3597
⑬⑫の写真の南側に降りたところです。写真右に石積が見られます。


⑭D70_3610
⑭⑫の写真の曲輪南側直下の石積みの様子。往時は写真左側の斜面に石がびっしりと積まれていたのでしょう。


⑮D70_3617
⑮ここにも石がゴロゴロしています。


⑯D70_3620
⑯更に南側に進むと堀切。きれいなV字。往時はもっと深かったのだと思います。


⑰D70_3635
⑰中央に土塁。左右に堀切。


⑱D70_3651
⑱本丸を後にして出丸に移動。出丸に説明版がありました。


⑲D70_3652
⑲出丸からの眺め。写真奥の半島の中央窪んだところに富岡城があります。


志岐城の場所


最後まで見て頂きありがとうございました。

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プロフィール

しんこう

Author:しんこう
しんこうといいます。長崎市在住の50歳目前のオヤジです。かみさんと子供2人の4人家族です。よろしくお願いいたします。趣味の山登り、城や地元長崎の様子などについて発信させて頂きます。この屋根瓦は倉敷を訪れた際に、色の組み合わせが綺麗だなぁと思って撮影したものです。

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