さようなら名古屋 

こんにちは、昨年7月あたりから名古屋で勤務しておりましたが、今年1月で名古屋での仕事が終わり2月から長崎に戻ってきました。名古屋で勤務した約7か月間は公私共にいい思い出ばかりでした。
名古屋の皆さんありがとうございました!

休みの日は積極的に史跡巡りに勤しんでいましたが、せっかくなので訪れた城郭を整理、以下のGoogleMap上にまとめてみましたので、もしよろしければご覧ください。
城郭以外にも古戦場、城下町、宿場町、古墳や博物館、資料館も訪問しているので、あらためてみるとけっこう登城したなぁと思います、けっして遊んでばかりではなくて、しっかり仕事もしてます^_^;(たぶん)

赤のマーカーをクリックすると、満足度と指定史跡、コメントを記載しています。
満足度は十段階(★は1で、☆は0.5)で表してみましたが、城へ思い入れ、理解度、体調などもろもろの要素で変わってくるので参考程度にしといてください。遺構が無い城に星はありません、また、十分に鑑賞できなかった城は横棒(----)にしています。もし、間違いがあればご連絡頂けるとありがたいです。

新年 

あけましておめでとうございます。

今年のお正月は名古屋で家族とまったりしてます。

①P1025584
昨日大須観音へ初詣に行ってきました。
名古屋では熱田神宮に次ぐ初詣スポットらしいです。


②P1025603
大須観音の境内には干支の犬。
たくさんの方がいっしょに記念撮影してました。もちろん我が家も。


③P1025639
昨年末から今年1月1日まで仕事だったので、ビールで仕事納め。

皆さまにとりまして、幸多き一年でありますように。


本年もよろしくお願い致します。




大給城(愛知県豊田市)その2 ~名古屋勤務シリーズ~ 

こんにちは、名古屋勤務も来年1月末までと決まりました。まだまだ足を延ばして登城したいお城は数知れず、残りの期間で登城するお城を計画中です。
まずは、大河ドラマ直虎の興奮冷めぬうちに、愛知近県ではまだ訪問していない静岡県のお城への登城を優先しようと考えているところです。

さて、大給城その2です。

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01 2郭を離れ、北側に下ると水の手曲輪に到着。集水施設らしいのですが、こんな大規模な施設は初めてです。
水の手曲輪は上下段2段になっていますが写真は下段から上方を眺めた写真です。

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02 水の手曲輪下段の貯水部でしょうか、半分欠損していますが石積で囲われていたようです。


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03 水の手曲輪下段の北端。土塁でしっかりと囲われています。写真中央下の土塁のへこみは水量を調整する排水部と思われます。


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04 写真03の土塁下の様子。水の手曲輪は集水の目的のため谷筋に作られており、石塁で補強しており、高さもあることから、谷筋を守る目的もあったと思われます。


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05 水の手曲輪石積みの様子。

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06 水の手曲輪上段の石積みの様子。神籠石系山城の谷筋にはよく水門が設けられていますが、よく似ています。写真の石積の中央にも水量調整の開口部が見えます。

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07 写真06の石積み開口部の上部の様子。神籠石系山城の水門も大体開口部の上部は写真のような切込みやへこみが見られます。


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08 水の手曲輪を後にして、いよいよ1郭へ

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09 写真08を進むと虎口が見えてきます。左に折れると1郭に入れますが、攻め手はここでウロウロしていると正面と左側の二方向から矢が飛んできます。

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10 写真09正面石積みの右端の様子です。

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11 写真09から左に折れ虎口を正面から見たところです。

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12 写真11の虎口から1郭に入ると右手に(写真では中央)1郭を東西に分ける石積みがあります。攻め手はこの石積み上からも狙われますね。

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13 更に進むと写真中央右に1郭東に入る虎口が見えてきます。

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14 写真12の石積みを1郭東から見たところです。石積みはかなり崩落しています。


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15 写真14の石積み上から1郭西側を見下ろしたところです。

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16 写真12の石積み全景


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17 1郭東側の石碑


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18 1郭東の東端にはこの様な巨石がいくつもあります。

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19 1郭東の東端の石積み

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20 1郭を後にして居館跡に向かいます。


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21 写真奥が居館跡です。手前に上下2段の小曲輪があります。

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22 写真左が居館跡、右が小曲輪です。

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23 居館跡全景

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24 最後に1郭東の東端からの眺め

大給城の場所・駐車場・登城口


最後見て頂きありがとうございました。

大給城(愛知県豊田市)その1 ~名古屋勤務シリーズ~ 

こんにちは、先週末から更に寒くなりましたね。週末もすっきりした天気にならずお出かけもままならない感じですが、今日は岐阜基地航空祭に会社の仲間とでかけてきました。4年ぶりのブルーインパルスの飛行とのことでした。写真も少しだけアップさせて頂きます。

さて航空祭はさておき、今回は愛知県豊田市の大給城のご紹介です。大給って「おぎゅう」って読みます。最初は読めませんでした^_^; 
大給城は大給松平氏の居城で、付近には松平城や松平氏館など、徳川家ゆかりの遺構数多くあり、以前からこの地域は訪問してみたいと思っていました。中でも大給城は、深い空堀に多数の石積に巨大な取水施設がありぜひとも登城したお城のひとつでした。
案の定見どころ一杯でしたので、二回シリーズでのご紹介となります。よろしければご鑑賞下さい。

大給城は、もと土豪長坂新左衛門の城であったが、岩津(岡崎市)に進出した松平宗家三代の信光が攻略し、三男親忠(松平宗家四代)に与えた。親忠は細川城(岡崎市)とともにこれを次男乗元に譲り、乗元が大給松平氏の初代となった。大給松平二代乗正は永正七年(1510年)までに城の大修築を行った。以後、乗勝、親乗、真乗、と続き、天正十八年(1590年)六代家乗のとき徳川家康の関東への国変えに伴って上野国(現群馬県)に移り、大給城は廃城となった。(案内板より、豊田市教育委員会)

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01 登城口から歩いて数分のところに駐車場があります。3,4台ぐらいしか停めれなかったと思います。

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02 道路脇に登城口があります。案内板もあって迷うことはなさそうです。

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03 気持ちのいい登城道を進みます。

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04 しばらく登ると分かれ道。左に行くと大給城。右に行くと松平乗元の墓へ。松平乗元の墓へはすぐなので行ってみることに。

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05 右が今登ってきた道。左奥が松平乗元の墓です。

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06 松平乗元の墓

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07 門扉には三つ葉葵

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08 松平乗元の墓を後にして、大給城へ。正面に虎口。左に石碑と空堀が見えます。

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09 縄張り図

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10 空堀

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11 空堀の石積み

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12 写真8の正面虎口を左に折れたところです。かなり埋まっていますが往時は門が設えていたと思われます。

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13 写真12の虎口を入り振り返ったところです。右奥の土塁上には櫓があったとのこと。

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14 写真13の櫓台から虎口を見下ろしたところです。

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15 虎口を過ぎるとすぐ右に、主郭東に一段下がった2郭の虎口が現れます。この虎口に折れはないようです。

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16 2郭の様子。土塁は明瞭に残されています。

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17 2郭東側の土塁の様子。

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18 2郭を後にして取水施設と考えられている水の手曲輪へ向かいます。途中、大給城東端にある帯郭を進むと、石積みの残る土塁にぶつかります。帯郭の移動を遮る目的なのでしょうか。このような遮断物はあんまりみたことがないです。

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19 18の土塁手前には堀切も作られていて、遮断効果を高めています。

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20 更に進むと水の手曲輪は直ぐですが、途中にも石積を残す土塁などが残されていて興味は尽きません。

<おまけ>岐阜基地航空祭

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エアロバティック・パイロット室屋義秀氏のエクストラ300

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ブルーインパルス

大給城の場所・駐車場・登城口


最後見て頂きありがとうございました。

岩村城(岐阜県恵那市) ~名古屋勤務シリーズ~ 


こんにちは、ブログにスポンサーサイトが登場してしまい、久しぶりの投稿になってしまいました。
だんだん寒くなってきましたね。長崎から名古屋にきて早三か月が過ぎ、長崎では草木が枯れ、クモや蜂が姿を消す、これからの時期が山城めぐりのシーズンになるのですが、東海地方はどうなんでしょうか。特に岐阜県の山間部はなんだか寒そうです。

さて、苗木城に続き今回ご紹介するのは岩村城。どちらの城も比較的近いのでセットで登城される方が多いと思います。
岩村城は備中松山城、大和高取城と共に三大山城と呼ばれており、名に恥じない、おすすめのお城です。

岩村城といえば、信長の叔母・女城主の城です。岩村城の城下町も女城主をキャッチフレーズに集客を図ろうとしていますが、もちろん大河の直虎ではありません。
元亀3年(1572年)武田信玄の家臣・秋山信友から攻められ、4ヶ月を超す籠城戦で和睦し、信長の叔母は信友と結婚し、遠山氏の養子となっていた信長の第四子御坊丸は人質として甲府へ送られました。
天正3年(1575年)織田・徳川の連合軍は長篠の戦いで武田勝頼を破ると、信長は嫡男信忠に岩村城を攻めさせ、開城となりました。
開城の条件は、籠城兵の助命であったが、信長は籠城兵を皆殺しにし、叔母を許さず、逆さ磔刑に処せられた、悲しい出来事を持つ城として有名です。

岩村城の見どころはやはり石垣群で、本丸虎口の六段壁が有名なのですが、六段壁のほかにも、麓の居館跡から続く登城道はよく遺構が残り、往時の雰囲気をかみしめつつ本丸に進むとよいと思いますし、本丸埋門付近の何回もクランクした石垣は興味深いです。


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01 苗木城から移動する場合は、中津川駅からJRで恵那駅で降り、明智鉄道に乗り換えます。どこも地方鉄道は知恵を絞って集客にがんばっていますが、今回乗る電車の1両は食事を楽しみながらの企画列車のようでした。

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02 岩村城下の様子。ここは伝統的建造物群保存地区となっているようで、古い建物も残り、町ぐるみで街並み整備に取り組んでいるようです。

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03 岩村駅を城下町に沿って東に向かうと写真右側の居館跡に着きます。太鼓櫓がお出迎えです。

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04 更に登ると登城口。草に隠れていますが石碑もあります。

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05 美しく曲がったこの場所は初門と呼ばれています。有事の際は門を建てて通行を遮断するようです。

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06 更に登ると一の門が見えてきます。二層の櫓門があったそうです。

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07 まだまだ登ると土岐門に到着。礎石は角がシャープで今まさに門を撤去したばかりのようです。写真撮影した場所付近は、古図で狭間付きの土塀が描かれており、土岐門まで来た敵兵は側面から狙い撃ちされます。

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08 土岐門を過ぎしばらく歩くと畳橋。左の石垣から中央の石垣に畳橋と呼ばれる木橋が渡されていたようです。現在は木橋は無いので、道なりに進むと中央の石垣上に登ることができます。

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09 八幡曲輪の虎口が見えてきました。

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10 八幡曲輪の虎口の右側の石垣。反り上がっていて鋭いです。門があってもよさそうですが、無かったようです。

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11 八幡神社に至る階段。

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12 更に進む奥に見えてきました。

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13 有名な六段壁。正面より石段がより重層的に見えるこの角度が好きです。

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14 六段壁右の階段を登っていくと長局埋門跡が見えてきます。かっこいいです。

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15 長局埋門虎口。真っ直ぐには入れてくれませんね。


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16 長局埋門の礎石。きれいに残っています。

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17 長局埋門を入り左に折れ、すぐに右に折れると、桝形にあたります。まだ本丸には入れません。

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18 写真17番の桝形を本丸から見下ろしてみました。

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19 ようやく本丸到着

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20 本丸北側の虎口。どの虎口もしつこいくらいの折れ。

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21 本丸石垣を北側帯曲輪から眺めてみました。

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22 写真20番を真っ直ぐ進んで左に折れたところです。勝手口のような虎口は生活感があって好きです。

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23 写真22番の虎口を出て左に折れたところです。この折れ具合が楽しいです。

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24 埋門跡。櫓門が設えていたようです。

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25 岩村城南側の尾根を断ち切った堀切。中世時代の遺構とのこと。

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26 本丸東下の曲輪のきれいなカーブを描いた石垣。石垣に沿って進むと六段壁が見えてきます。

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27 一応有名なアングルでパチリ。

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28 最後に藩主邸跡から眺めた旧岩村城下の街並み。

岩村城の場所

最後まで見て頂きありがとうございました。
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プロフィール

しんこう

Author:しんこう
しんこうといいます。長崎市在住の50歳目前のオヤジです。かみさんと子供2人の4人家族です。よろしくお願いいたします。趣味の山登り、城や地元長崎の様子などについて発信させて頂きます。この屋根瓦は倉敷を訪れた際に、色の組み合わせが綺麗だなぁと思って撮影したものです。

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